主日の福音 1999,12,19
待降節第四主日(Lk 1:26-38)
御降誕を間近にひかえた今日の日曜日は、天使ガブリエルがマリア様に「おめでとう」という挨拶をたずさえてやってきます。もはや、この喜びは隠しておくことのできないほど大きな喜びであり、マリア様の「お言葉どおりになりますように」という受諾の言葉に始まって、全世界は主の到来の喜びに満たされることになります。マリア様の受諾があって始めて、私たちは神様が用意してくださったかつてない喜びに浸していただけるのです。

マリア様は正直に、ご自分の戸惑いを現されました。大天使ガブリエルは、いてもたってもいられずに挨拶にまいりました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。ですが、敬虔なマリア様は、幼いころから習い覚えていたであろう旧約聖書を思い巡らして、この挨拶は預言者の時代を最後に絶えて久しいことを知っていたかも知れません。この挨拶が私に向けられるのはなぜ?久しく聞かれなくなった挨拶が、今になってどうして使われているの?そんな戸惑いが浮かんできたのではないかと思います。

参考になるかわかりませんが、「主があなたと共におられる」という言い方がぴたり当てはまる箇所は、旧約聖書・新約聖書あわせて20箇所です。そして注目すべきことは、新約聖書の中ではたった一回、今日のこの箇所が最初で最後なのです。「主があなたと共におられる」という挨拶は、今日のこの日を境に、もう誰にも用いられなくなります。

残り19回は、すべて旧約聖書の中で使われていますので、旧約時代にはこの言葉はよく使われた挨拶のひとつ、それくらいの意味だったかもしれません。ですが、新約聖書の中では、今日のこの箇所でしか使われていないのですから、特別な意味がこめられていると考えたほうが良いのではないでしょうか。

私はこう考えます。マリア様に向けられたこの尊い挨拶は、マリア様一人をたたえる挨拶であるというよりも、むしろ、マリア様は、全人類を代表して、この一瞬ですべての人が受けるはずの祝福を受けたと考えたいのです。

もしかしたら、大天使は優れた知恵をお持ちですから、「今日のこの挨拶は、マリア様、あなたを最後にもう二度と使われることはありません。だから、私は、いっときでも早く、確実に、あなたにこの挨拶を届けたいのです」そんなことを考えていたかもしれません。こんなスリルあふれるやり取りの中にいるマリア様は、驚きと、喜びの入り混じった、言いようのない気持ちの高ぶりを覚えたに違いありません。

マリア様に向けられた挨拶が、マリア様一人のためのものでないことは、次の言葉の中にはっきり表されています。「彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」。マリア様に話し掛けていますが、聞いているのは実は全人類なのです。マリア様が受諾する一瞬ですが、実はこの一瞬に全人類の運命がかかっているのです。すべての人に、神様の支配、神のまなざしが及ぶそのときがやってきた。これを喜ばないでいられるでしょうか。

「目の前に近づいた喜び」を、どのように伝えたら良いでしょうか。私が「大きな喜び」で思い出すことは、二年前に任命状をいただいたときのことです。何せ生まれて始めて、任命書に「主任司祭として赴任していただきます」と書かれていたわけですから、嬉しくないはずはありません。

もうその日からしばらくは、後ろから金づちで叩かれてもわからないくらい嬉しかったのを覚えています。それもですね、これはちょっと好みが分かれるかもしれませんが、「皆さんの前で発表するのは、いついつからです。それまでは公表しないよう、お願いいたします」とあるわけです。


公表できない期間に、たとえばですよ、「何か、動きはありますか?」なんて聞かれても、「いやー、知らんねぇ」としか言えないわけで、知っているくせに、とぼけることは、私みたいな人間はたまらなく嬉しいわけです。こればかりは、どう表現しようもないですね。皆さんはどうでしょうか。

何が起こるかわからない。実はどんな場所なのか、一度も行ったことがない。そんな中で、任命書一枚を見て、私はこの小教区に赴任することを承諾しました。当たり前かもしれませんが、経験のないことを引き受けるのは、神への信頼とちょっとの勇気がなければできないことです。マリア様は、そのお手本を私たちに見せてくれているのです。

この一週間は、必ずやってくる救い主の前祝いです。さすがに「飲んで騒げ」までは言いにくいですが、もう喜びを隠す必要はどこにもありません。マリア様は、すべての人の代表として、神の御旨を引き受けました。「お言葉どおり、この身に成りますように」と答えました。

神様の導き、支配が行き渡ることに、両手をあげて賛成します。戸惑いの中で承諾したマリア様の言葉の意味は、こんな感じではなかったでしょうか。私たちも、同じ心構えで、この一週間を過ごしてまいりましょう。