主日の福音 1998,11,29

待降節第一主日(Mt 24:37-44)

 

今日この日曜日から、いよいよ待降節に入りました。皆さんの手元にこの小さなパンフレットがあるでしょうか。「待降節」という字が教えてくれることを、今日はとくに考えてみたいと思います。

読んで字のごとくとは、このことですが、これからの四週間は、イエス様がお降りになるのを待つ季節です。私はそれに加えて、「目を覚まして」「楽しみにして」待つことをおすすめいたします。イエス様の誕生は、ただ何となく待つべき日ではなく、心待ちにしてお迎えすべき日なのです。

ただ何となく日を過ごしても、12月25日は確実にやってきます。けれども、何となく待ったのでは、イエス様の誕生も通り過ぎていってしまうに違いありません。二千年前のあの日、イエス様の誕生に喜び湧いた人々もいましたが、宿屋を追われたことや、命をねらうヘロデのことなどを考えると、すべての人が待ちに待っていたというわけではなかったのです。

まず始めに、「目を覚まして待つ」ということを考えてみましょう。福音は、目を覚まして主人の帰りを待つように促して、待降節の最初の日曜日の準備に当てています。いつ主人か帰ってきてもいいように、万全の体制で待っていなさいと勧めます。イエス様の誕生を待つ私たちにも、同じことを勧めているのです。

「目を覚まして」待ちます。それは、言い換えると、ぬかりなく、準備を怠らずに待つ、ということです。幸いに、小学生の子供たちは、家庭で貯金箱を準備して、クリスマス会にお捧げものをするようにと促しています。かつて占星術の学者たちがイエス様を礼拝に来たとき、黄金・乳香・没薬をお捧げしたように、子供たちには喜びの日に合わせて、一つの準備が始まりました。

中学生も、これまた初めての試みとして、クリスマス聖歌隊なるものを組んで、ささやかながら準備を進めています。歌を通して心を一つに結び、イエス様をお迎えするためです。また大人の皆さんにも、有志で聖歌の練習を始めることにしました。喜びは、準備の大きさで決まるようなものです。この四週間、精一杯準備にいそしむことにいたしましょう。

これは余談ですが、先週の木曜日、子供たちのけいこの後のミサで、私がわかりやすく貯金の工夫を教えまして、子供たちにこんこんと説明したんです。

「缶ジュースはいくらするか」「120円」

「商事に売ってある紙パックのジュースはいくらか」「うーん、70円」

「じゃあその差額は」「50円」

「それをどうする?もちろん貯金だよなぁ」

ここで合いの手が子供から入りました「お菓子の余計に買えるねぇ」

「お菓子は買わない!貯金じゃ、貯金。分かった?」

まぁ、子供はしたたかというか、ちゃっかりしております。それでも、何かの形で工夫して、お捧げものを準備するに違いありません。

待降節のもう一つの心がけは、「楽しみにして待つ」ということです。待降節という言葉からはよく意味が出てきませんが、同じ言葉でもラテン語の"Adventus"という言葉は、「楽しみにして待つ」という意味合いがよく感じられます。何せ英語の"adventure"という言葉が、ここから出ているくらいですから、「ワクワクして待つ」と言ってもいいくらいです。

この一年のうちで、私がワクワクドキドキして待ったことと言えば、やはり太田尾教会への赴任辞令でしょう。だいたいこの辞令というのは、一ヶ月ほど前に内示の書類が届きまして、その後に本字令という仕組みになっております。

その内示が届いてからの一ヶ月は、あっという間でした。いつ郵便局員が持って来るんだろうか、今日か、明日か、ハラハラしまして、もしや私が休みを取ってテニスに行ったときに届いたらどうしようか、そんな心配でおちおち出かけることもできなかったわけです。

そろそろ来るかなー、と思ってからの数日間は、司祭館に勤めているシスターに、「シスター、大司教勘からの手紙は、開けたりすんなぞ。ほかの信者さんがビックリするけん、大騒ぎすんなぞ」と念を押して、出かけたものです。

郵便局員は思いがけないときに来る。私が本の買い出しに行った直後に、入れ替わって局員が来たのだそうです。私は油断して、その日は夕方になって帰ってきましたら、司祭館はおろか、修道院まで大騒ぎで、「どこに行ってたんですか!ついに来ましたよ。大切な書き留めが!」と言っております。「だから騒ぐなと言ったのにとは思いましたが、もうあとの祭りです。恐る恐る封筒を開くと、今のこの教会の任命書だったわけです。

皆さんも、これくらいワクワクドキドキしてクリスマスを待ってほしいと思います。待つだけの価値あるお祝いです。いくら準備しても惜しくない出来事です。私たちの心の中に、イエス様が生き始めます。私の家庭、私の地域に、命そのものである命が生まれます。今年も主が幼子としておいでになってくださいます。一年一年「今年のクリスマスはどんな喜びに結びつけていこうか」よく考えて、新たな気持ちで迎えたいものです。

 

 

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