主日の福音 1998,11,15
年間第三十三主日(Lk 21:5-19)
年間の主日も終わりに近づき、来週の王であるキリストの祭日を迎えて教会のカレンダーは一年を締めくくります。今日の福音は終末についての教えを述べることで、私たち自身一年を振り返り、また終末についての思いをはせるようにと促しています。

福音書ではさまざまな終末の兆候について述べられていますが、それはどれも分裂という言葉に結び付けて考えて良いと思います。戦争、暴動あるいはキリストの名を騙る者、これらさまざまな分裂に結びつく兆候をイエスは述べながら、実はそれが本当の意味での終末には結びつかないということをはっきりと説明してくださいました。

私は常々終末、世の終わりについて次のようなことを考えています。終わりという言葉が私たちに連想させるものをはっきり見極めた方が良いということです。二つの意味を考えて良いと思います。

ひとつは消えてなくなるという意味合いの終わりがあります。今週一週間は聖書週間というテーマが与えられているのですが、この一週間が終わればある意味で聖書週間はまた来年まで消えてなくなるということになります。もっとも、聖書は皆さん地道に読んでほしいのですが。

それもひとつの終わりなのですが、もうひとつの意味で終わりというと、私は完成ということもある意味で終わりに結びつく言葉ではないかと思っています。例えば野球選手。彼らは自分の技術を磨いてその技術を完成させるまで追い求めていくわけですが、選手それぞれが技術を完成させるとその時点でひとつの終わりがやってくるわけです。

完成された技術は頂点で、一番素晴らしい状態で保たれ、そこからなお一層の進歩発展は見られません。それはそれでもうひとつの意味の終わりだと思います。イエスキリストは世の終わりついて語りましたが、先程までの話を少しあてはめると、キリストが語る世の終わりは消えてなくなる意味での終わりではないと思います。この世界がある日ある時消えてなくなって終わってしまう、そういう意味で世の終りをとらえるよりもむしろ、すべてが完成され、その完成された最高の状態で永遠に保ち続けるられる。このような世の終わりを私たちはむしろ考えるべきではないでしょうか。

そう考えると分裂をもたらすのは確かに終末、完成という意味での終末には結び付かないと思います。むしろ一致に向かう動きが見られるなら、それは完成へと向けられ、キリストの述べる世の終りに私たちを向けていくのではないでしょうか。

一致に向かう動きとは何でしょうか。それはすべての人にキリストがのべ伝えられること、世界にキリストの平和が行き渡るように、私たちが一致して祈ること、こうした動きこそ世の終わり、完成に近づく一瞬ではないかと思います。

こうしてみると実は世の終りについてのカギをカトリック信者は握っているということになるのではないでしょうか。あちこちに分裂があり、不和があり、争いがあります。こうした中で私たちは互いに仕え合うこと、隣人を自分のように愛すること、そのほかキリストから汲み取った一つひとつの教えをもって一致して行動する知恵、私が言うところの決定的な鍵を持っているわけです。

一致して行動するこの力は、まぎれもなく世の終わりをもたらしていきます。キリストは重ねて、分裂は避けられないが、それらは結局世の終わりを告げるものではないということを教えてくださいます。完成に向かう動きですから、私たちは世の終わりを恐れるべきではなく、むしろ顔を上げてキリストがもたらして下さる完成された世界に与る者として落ち着いて臨むことができるわけです。

もちろんそこには一致に向かう動きを私たちがよく理解し、生活の中で実行し、一致のために祈る必要がありますが、こうした動きに全員が参加するなら、確かに私たちにとって世の終わりは何ら恐ろしいものではなく、むしろ喜びにあふれた状態と呼んでいいと思います。キリストはこの地上に生まれ、すべての人を一つにするためにご自身の命をささげてくださいました。すると、終末に向けての動きはイエスキリストを通して、二千年前から絶え間なく続けられているのです。

私たちも、キリストの弟子としてお互いに一致に向かう動きを探していくことにいたしましょう。教会活動の中での一致、家庭の中での一致、社会参加における分裂を取り除く努力。これらの努力を通して私たちは一歩一歩を確実にキリストが始めてくださった完成への歩みを進めていくのです。

この一週間、私は置かれた場所でどのように振る舞い、どのように生活を組み立ててきたか振り返ってみましょう。一致に向かうための動きがたくさんあれば神に感謝しますし、反対に分裂や不和をもたらすようなことをたくさんしてきたのであれば、この一週間反省と生活刷新のための謙虚さをもって、なすべきことが私の心に示されるように祈ってみましょう。

神は私たちの手を通して世の終わりの完成を待ち望んでおられます。私たちは鍵を握っています。完成という扉を開く日まで、一致してキリストを証していけるよう、今日のミサの中で恵みを願っていきましょう