主日の福音 1998,06,14
キリストの聖体(Lk 9:11b-17)
今日、私たちは御聖体をお祝いしています。ミサの中で一番大切な、私たちの命の糧を、普段にもまして喜び合い、感謝の気持ちを育てることにいたしましょう。

イエス様は、人里離れたところで集まっている群衆に話し、いやしの業を行っていました。弟子たちはと言うと、群衆を解散させて、ほうぼうの町や村に宿を取らせようとします。良かれと思ってしたことでしたが、イエス様からすれば、「ご自分から離れていく」ことに他なりませんでした。

「あなたたちが彼らに食べ物を与えなさい」とイエス様は仰います。イエス様の宿題は、簡単には解けない難問でした。弟子たちは驚き怪しみます。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません」。これはつまり、自分たちはここにいる五千人を満たしてあげるほどのものは持っていないという意味です。

パンと魚に限らないことですが、大勢の人の前に立つ人は、そこに集まっている一人ひとりに、何かを与え、満たすことが求められます。文化講演会、コンサート、スポーツの試合をする選手たち。それぞれに、見る人聞く人を満足させるのでなければ、集まった人は納得しないのです。

その意味で、中田神父も、同じ場面に立たされているかもしれません。今日はどんなお説教をするだろうか。固唾を呑んでとまでは行かなくても、多少の興味はあることでしょう。

たしかに、イエス様はこのつまらない私にも、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と仰っておられると思います。私は、「お安いご用です」と答えるのでしょうか。とんでもないです。あのときの弟子たちと同じように、「どうやって食べさせるのですか」と、逆に食ってかかるかもしれません。

教会は常に、いろんな人が集まるところです。小さい子供からお年寄り、受けた教育、社会的な身分、心持ちなど、千差万別です。本当は、どう考えてもすべてに応えることなど無理なのです。

それでも、きっとイエス様は「彼らに食べ物を与えなさい」と迫ってくるのでしょう。そこには、一つの真理が隠されているのです。「わたしが食べ物になるから、それをあなたは分け与えなさい」。イエス様はいつも、すべての人にとって豊かな食べ物だから、私から離れずにいれば、きっと人々を満たすことができる。だから恐れずに分け与えなさいと仰っているわけです。

ちょうどそのことを、火曜日から金曜日にかけて行われた黙想会で感じました。黙想会自体は、指導してくださった神父様のすばらしいお説教でもちろんためになったのですが、私は別のことで、いい黙想会になりました。

大島から黙想会に参加したわけですから、私はカトリックセンターに都合四泊いたしました。まだ年若いので、同じ部屋に二人の司祭と相部屋でした。出来事はその初日に起こりました。一人の司祭は、私より年下なのですが、寝付いたかと思うと「ゴーゴー、ガーガー」ものすごい鼾をかき始めたのです。

これは半端ではありません。けっきょくその日一日、私はぐっすり寝ることができませんでした。本人は知らないのだからと思って、初日は我慢したのですが、二日、三日となると我慢も限界です。この野郎と思って、枕を手に取り、忍び足で近寄りました。

すると、危険を感じたのか、今度は「スースー」と、静かになるのです。いったん振り上げた枕をどうすることもできず、頭に来たまま自分の布団に入りました。騒音公害、大島でこんな大きな音は一日のうち何分もありはしません。今度こそはと思って四日目を迎え、黙想会に入りました。

「すべてを神様のそばで考えましょう。すべては恵みに変わります」。説教師は何事もなかったかのように話の続きをしています。私は「何がか」と思ったのですが、考え直しました。人間としては許せないあのことこのことも、神の前でゆっくり考えたら、恵みに変わるものなのか。

なかば諦めて、お御堂でお祈りをしていたら、何だか小さいことに苛立っていたような気がしてきました。私はこれくらいの忍耐しかないのか、こんなに心の狭い人間だったのか。少し気分が楽になり、最後の日はあまり気にせず休むことができました。苛立ち、焦っている私に、イエス様はたしかに食べ物となり、満たしてくださったのです。

今日、私はどのような気持ちでミサに集まったのでしょうか。ほとんどのかたが、感謝と賛美のうちに集っていると思います。もちろん、心の中は分かりません。心苦しいものがあったり、いささか人に見せたい虚栄心が潜んでいたり、仲直りせぬまま顔を出しているのかもしれません。

ですが、イエス様は今日も、私たちすべてにとって食べ物となってくださいます。謙虚な人には祝福を、虚栄心に駆られた人には心の謙遜を、ある人には赦し、心の癒しと、イエス様はすべての人にすべてとなってくださるのです。

最後に、イエス様の言葉をもう一度繰り返して終わりましょう。「あなたたちが彼らに食べ物を与えなさい」。イエス様はあいだに立って、恵みを分けてくださる協力者を求めておられます。私たちもイエス様の良き協力者になって、イエス様のパンをこの大島じゅうに分け与えましょう。「すべての人が、食べて満腹する」まで。