2004年生月教会黙想会(3/3-3/5・3/4-3/6)
信仰に根ざした一週間を保ちましょう(説教は四回)

説教師 太田尾教会 中田輝次神父
【第一回】

ふだんの暮らしの中に、信じていけるだけの十分な根拠を見つけましょう

・いちばん大切なものを見直してみましょう
・すべてをより頼むことのできる方を確かめておきましょう
・あらゆる希望を失ったとき、神だけが私の手を取り、助け起こして下さいます

【第二回】
「主の日」から「次の主の日」まで、私たちにできることを拾ってみましょう

・私たちの暮らしは、「一週間」が基本と思います。ヨハネ福音書の初めを読むと、一週間を考えるヒントを見つけます
・私の暮らしに、ヨハネが捉えた一週間は重なるでしょうか。重ならないのでしょうか
・キリストの弟子として、信者として、一週間のうちに期待されていることが結構あると分かります


【第三回】
十字架に架けられたキリストに、私たちは罪を赦されたのです

・イエスの最後の場面と、復活して弟子に現れる場面から、「赦し」にかかわる事柄を学びましょう
・教会は、「信じる人々の集まる場」であり、「感謝をささげ、恵みのパンをいただく場」であり、「互いに愛し合い、ゆるしあう場」です
・「全能の神と、兄弟の皆さんに」告白しましょう


【最終回】
私たちは神に定められた時間と場所の中で信仰を守っているのです

・「いま・ここ」が、あなたの信仰生活を全うする場所と心得ましょう
・「いま・ここ」は、具体的にどういう場所なのか、捉えてみましょう
・私は本当に「いま・ここ」に住んでいます。キリストの弟子としての生き方を全うしていきましょう。
2004年生月教会黙想会(3/3-3/5・3/4-3/6)
信仰に根ざした一週間を保ちましょう(説教は四回)

説教師 太田尾教会 中田輝次神父
【第一回】
ふだんの暮らしの中に、信じていけるだけの十分な根拠を見つけましょう

・いちばん大切なものを見直してみましょう

初めまして。太田尾教会の中田輝次神父です。主任司祭の辻原神父様は、私の二年後輩です。今日を含め三日間、皆さんの黙想の説教をすることになりました。よろしくお願いいたします。
黙想会の大きな柱を、「信仰に根ざした一週間を保ちましょう」としてみました。家庭での祈りがだんだんおろそかになり、日曜日に教会に来て、ようやく務めを果たして、また普段の生活に戻る。そのような風潮が珍しくなくなってきた中で、もう一度「普段から信仰心を忘れないで一週間を過ごす」かたちを取り戻したいと思います。
また、「一週間」ということに少しこだわって、話を進めたいと思っています。私が考えている「一週間」は、「主の日」から「次の主の日」までと考えて話したいと思います。「主の日」は皆さんが教会に集まり、ともに礼拝をささげ、恵みのパンをいただく日(具体的には日曜日)です。この大切な日から、次の「主の日」まで、私たちはどんな暮らし方を求められているのでしょうか、ということを考えたいわけです。
話の進め方は、初めに聖書から出発して、必ずお一人おひとりの生活に当てはめていく形で進みます。聖書を読みますが、その中に私たちが自分の生活で見つけるべき答えが必ず含まれています。聖書の中に答えを見つけて、さらに自分の生活の中にも答えを見つける。そうすることで聖書の話は私たちの生活の中にもそのまま見つかることが分かってもらえると思います。、
この時間、三つの箇所を選んでいます。それぞれ、考えてもらう問いかけをしますので、少しずつ学びながら積み上げていくことにします。さっそく最初の朗読から入っていくことにしましょう。初めに読むのは、「『愚かな金持ち』のたとえ」(ルカ12:13-21)です。

聖書を読む:「『愚かな金持ち』のたとえ」(ルカ12:13-21)

この「愚かな金持ちのたとえ」を、整理してみましょう。ある金持ちの畑が豊作になります。穫れた穀物が、倉庫に納まりそうにありません。金持ちはもっと大きな穀物倉庫を作ってすべての穀物を納め、おおいに満足しました。けれどもその晩、神が「愚か者よ、お前の命は今日限りだ。お前が集めた物はいったいどうなるのか」と注意するのです。
このたとえで考えて欲しいことがあります。「お一人おひとりにとって、絶対に失いたくないもの・いちばん大切なものはなんですか?」ということです。「家族がいちばん大事」「健康がいちばん大事」とか、考えていることはいろいろあると思います。
たとえ話の中では、豊かに実った作物が、金持ちにとって失いたくないものでした。少々費用がかかってもいいから新しく倉庫を作って、納めようとします。穫れた作物を失いたくなかったのです。けれども、この金持ちは命を失ってしまいました。人間にとって、もっと大切なのもは、命だったのではないでしょうか。
ある人にとっては、信頼している友人がいちばん大切かも知れません。ただし、もしものことですが、もしも、その友人が、離れてしまったらどうなるでしょうか。もう、目の前真っ暗で、生きていけないでしょうか?
また、先にあげた「家族」や「健康」も、突然の災難で失うこともあるでしょう。そんなとき、昨日までそばにいた人がいなくなれば、ショックで立ち直れないかも知れません。けれども、悲しくても、きっと次の日からも何とか生きていくと思います。とてもつらい。力が抜けて、何も手につかないかも知れません。けれども、生きては行けると思います。
それは、あなたがもっと大切なものをまだ持っているからではないでしょうか。いちばん大切だと思っていたものを失って初めて考えるわけですが、もっと大切なものが残ったから、生きていけるのだと思います。これ以上大切なものはないと思っていたのに、それを失ってもなお残ったものは、いったい何なのでしょうか。
こんな体験を通ってきた人は、「私を決して見捨てない人、私から決して離れていかない人が欲しい。もしそういう人が見つかったら、その人を失いたくない」と思うだろうと思います。だたし、決して裏切らない人を人間の中から見つけるのはそう簡単ではありません。私を決して見捨てない人は、なかなか見つからないかも知れません。
いちばん大切なものを失ったあとに残ったもの、それは神様そのものなのではないでしょうか。決して私を見捨てない、決して私から離れない神だけが、いつどんなことになっても最後までなくならないものなのではないでしょうか。そのことに気が付いたならば、どんなに人を失っても、どんなにものを失っても、私を決して見捨てない神様だけは失いたくないなあ、と思うわけです。
そう考えると「愚かな金持ちのたとえ」が教えてくれたこと、それは、「命が何より大事だ」というありきたりなことではないのかも知れません。命は確かに大事なのですが、からだの命は神が定めたときに取り上げられてしまいます。何を取り上げられても、神への信頼を失わないこと、神から頂いた永遠の命を失わないようにすること、それが、神の前に豊かな人なのだと、そう言いたいのではないでしょうか。
こんなふうに、もう少しじっくり考えてみると、初めに考えた「私にとっていちばん大切なもの」は、答えが変わってくるかも知れません。大切でなくなったということではありませんが、家族にしても健康にしても、もとはと言えば神様が与えてくださったものです。
神様が与えてくださるものがいちばん大切だと、そういう気持ちに変わっていけるなら、失った悲しみに押しつぶされることはなくなるかも知れません。神様から与えていただいたものは、私から取り去られても失ってしまうわけではありません。
家族を神様から与えられた人は、その一人が私から離れたとしても、失ったわけではありません。神様のもとに移ったからです。わが子を失った経験をお持ちの方も、神様が与えてくださったその子は、いまは神様のもとに移されているのであって、滅びたわけではない。そう思うとき、神様への信頼がどれほど大切であるかが、生活の中でしみじみと感じられるのではないでしょうか。
改めて、お一人おひとりにとって、いちばん大切なものは神への固い信頼だと思います。それは聖書の中だけの話ではないのです。あなたの暮らす、生活のまっただ中でもそのまま当てはまるのだと思います。私の信頼する神だけが、どんなことがあってもなくしたりしない、誰からも取り上げられないものだと思います。生活の中でいちばん大切なものが、神への固い信頼だと思えるようになったときに、あなたにとっての「信仰に根ざした一週間」が始まるのです。

・すべてをより頼むことのできる方を確かめておきましょう

二つめの聖書の箇所は、「バルティマイのいやし」(マルコ10:46-52)という物語です。一つめの時と同じように聖書を読むことにしましょう。

聖書を読む:「バルティマイのいやし」(マルコ10:46-52)

バルティマイは、目が見えません。生まれたときからか、あとでそうなったのかは述べられていませんが、そのハンディのためにいろんな苦労をしなければならなくなります。当時、目が見えないということは、仕事を見つける可能性が全くなくなることを意味していました。バルティマイは、そのために道端に座って人々の憐れみを乞う生活しかできませんでした。
「道端」というのは意味があると中田神父は思っています。バルティマイは、皆と同じ道路の上にいないのです。皆と同じ場所に立っていないのです。皆が当たり前に受けているものを受けられずに、はじき飛ばされている、それが、「道端に座っている」ということなのだと思います
私たちはこの日本に暮らして、皆と同じように、同じものを受け取っています。けれども、私たちが当たり前と思っていることを受けられない人が、実はいるということ、これはちょっと考えれば納得できると思います。薬のない病院で行列しているいろんな国の人々、戦争で逃げ回っている家族や道ばたの子供たち、家庭で虐待を受けていのちの危険にさらされている人とか。よく考えたら、はじき飛ばされて、あたかも道端に座って泣いているような人がいるわけです。
再び朗読に目をやると、イエス・キリストが近くを通りかかると聞いて、バルティマイは大勢の人が見ている中で「私を助けてください」と叫びます。「叫ぶ」ということで思い出したことがあります。皆さんは商店街とかで、街頭募金、その他の協力などで、大きな声で呼びかけたことはないでしょうか。たくさんの人がいる中で大きな声を出すことは、かなり勇気がいります。ちょっと言うと、自分を捨てないと、声は出ないと思います。
中田神父も、歳末助け合いとかの募金で、ショッピングセンターの前に立つことがありますが、中田神父はいつもこれくらいの声を出して呼びかけをします(募金をするときの声の大きさで)。街頭募金はだいたい2時間くらいですが、1時間超えたあたりで、私の声はいつもつぶれてしまいます。
「迷惑」と感じる人もいると思います。「バルティマイ」の話をほかの福音書で見比べると、周りの人が叱りつけて黙らせようとしたとも書かれています。けれども、「自分を捨てて叫ぶ彼」を止めることは、誰にもできません。とうとうイエス様に、イエス様の心にバルティマイの叫びは届きました。
イエスが「何をしてほしいのか」と仰ると、「先生、見えるようになりたいのです」と答えます。奇跡が起こってバルティマイはいやされました。すごいなあと皆さん思うかも知れませんが、中田神父は案外冷静にこの奇跡を見ています。
目の見えない人が見えるようになること、それは誰にもできない不思議なことですが、イエス様が本当に神の子だったら、神様だったら、そんなに不思議ではないと思います。神様が、奇跡を行うことって、不思議なことでしょうか?私はそんなに驚かなくてもいいと思います。そう思いませんか?
じつはこの話の中で、私たちが考えなければいけないことはもっと別のところにあると思っています。それは、「バルティマイは、本当に目が見えるようになっただけなのでしょうか」ということなんです。
もし、バルティマイのいやしが、お医者さんが治療するように、目が見えるようになったことだけだったとしたら、この物語を結びは、「その後彼は感謝のうちに日々を過ごした」というような結びになりそうなのですが、物語の最後を確かめてみてください。物語の結びには「なお道を進まれるイエスに従った」と書かれています。
これはどういうことなのでしょう?病気を治してもらったのだから、もうイエス様のあとをついて行く必要はないのではないでしょうか。バルティマイはそうは思わなかったようです。たぶん、「イエス様にすべてをまかせて生きよう」と決心したのだと思います。
確かに、目が見えるようになったことはすごいことなのですが、いろいろ考えると、目が見えるようになるとほかにもすばらしいことが与えられます。バルティマイは、これからは道端に座る必要はないでしょう。ほかの人が、当たり前のように受けていたことを、自分も手に入れることができるからです。
仕事も、自分で見つけることができるでしょう。みんなから「かわいそうにねぇ」と言われて生きる日々から、希望を持って生きる日々へと変わることができます。まとめると、バルティマイはイエス様に出会ったことで、希望のない生活から、希望に満ちた生活に造り替えてもらったということです。180度変わりました。イエス様と出会ったことで、すべてが変わった。だから、今からはイエス様にすべてついて行くことにしようと思ったわけです。
「バルティマイのいやし」は、次のようなことを教えてくれます。たとえどんなに悩み・苦しみが深くても、イエス様は出会った人をすっかり変えて希望ある生活に送り出してくださる。誰にも変えられなかった生活を、イエス様は変えてくださるということです。
そこで考えてみたいのですが、今この時代にも、すべてを良い方に変えてくださるイエス様は働いてくださるのでしょうか。バルティマイにはイエス様が通りかかってくださったけれども、私には果たしてイエス様は通りかかり、私に声をかけ、私の悩みをすっかり取り去ってくれるのでしょうか。バルティマイはちょうどその時代に生まれたから良かったけれども、私はまったく違う時代、まったく違う場所に生まれているではないか、そう考えたくなります。
時間と場所を、ぐっと近づけたいと思います。私自身の体験ですが、これまでに私は、交通事故を起こしたことと、事故の被害にあったのと両方を体験しました。私が加害者になった、追突事故を起こしてしまった体験を、少し分かち合いたいと思います。二十歳代前半の頃に、借り物の車で夏休み期間中に五島を走っていたときのことです。当時はまだ大神学生で、スータンを着て間もない時期でした。
細かい様子は省きますが、あっと思ったときには車は前の車にめり込んでいきました。ガシャンという音を立てて、車と車がくっつく様子は、いまでもはっきり覚えています。相手の方も首が痛いということで病院にかかり、事故は人身事故となってしまいました。
目の前が真っ暗になると言うのは、ああいうことを言うのだなあと思いました。あと三年ほどで神父になるところでしたが、これで私の将来は閉ざされたなあ、と思ったわけです。私一人では謝りきれない事故でしたので、父親に伴われて誠心誠意謝り、償いをしたのですが、気持ちとしては糸の切れた凧のようでした。
その後、福江の裁判所に出頭し、免許停止三ヶ月でしたか、はっきり覚えませんが言い渡されて、大神学校に戻ってから福岡の教習所で講習会に参加したりもしました。これからどうしよう?何か仕事を見つけないといけないのだろうか、いろいろ思っていたのですが、あとで聞いた話、被害に遭われた方はけがも無事に快復したあとで、私が神父になろうと目指している学生だと知って、続けて頑張ってくださいと父親に伝えてくれたのだそうです。
心から感謝しました。かなり落ち込んで、暗闇の体験をしたのですが、振り返ってこういうことを思いました。車をぶつけたとき、誰も助けることのできないその場所に、イエス様は通りかかってくださっていたのではないだろうか。そう思ったわけです。
誰も助けることはできない場面でした。私の責任で引き起こした事故ですから、どう処罰され、将来を断たれても何も言えない身分だったのですが、イエス様だけは最後まで見捨てることなく、出来事を通して神に信頼することを教えてくれたのだと思います。
誰にも助けてもらえそうにない中で、幸いにイエス様に憐れみをかけてもらい、今に至っています。私は、信仰と結びつけて、確かにこれは神様が働いてくれなければよい方向には変わらなかったと感じています。時間も場所も、バルティマイの時よりはずっと皆さんに近くなりましたが、皆さんはどう感じたでしょうか。
いま、この時代にも、イエス様は困り果てている私たちのそばを通りかかり、誰にも変えられなかったことをすっかり変えてくださる。その実感を持つことができたでしょうか。もし、私の体験が皆さんにとって身近に感じることができたら幸いです。

ここまで、考えてきたことは二つです。あなたにとって、いちばん大切なものはなんでしょうか、すべてを良い方に変えてくれる方はいるでしょうか、ということでした。いちばん大切なことは、私に今のすべてを与えてくださった神様を忘れないということでした。すべてを良い方に変えてくれるのは、私の体験によれば、イエス様以外にない、と感じています。

・あらゆる希望を失ったとき、神だけが私の手を取り、助け起こして下さいます

最後に考えてもらうことは、すべての希望がなくなったとき、それでも生きていけるでしょうかという「とても重い」問題を考えます。私個人の話で、人身事故を起こしたとき、もう生きていけないと、そこまでは思いませんでした。司祭になる道は断たれたとしても、何かをやって生きていこう、そんな気持ちでしたが、これから考えることは、「すべての希望がなくなったとき」です。
すべての希望がなくなったとき、それでも生きていけるでしょうか。日常の暮らしの中にあっても、場合によっては「まったく希望のない状態」というのはあり得るのではないかなあ、と思います。それでも、明日生きるために、私は何かにすがることができるのでしょうか。何かすがることのできるものを知っているでしょうか。
残念なことですが、「もう生きていても仕方ないかなあ」と思う人がいることは、悲しい事件を通して耳に入ることがあります。どうして?と思うけれども、私たちからは分かってあげることのできない「苦しみ・つらさ」があったのでしょう。
すべての希望を断たれる体験は必ずしも大人とは限りません。事件に巻き込まれたりいじめで命を絶つ中学生も今もどこかで泣いているのでしょうから、もう生きていても仕方ないよなあ、と思えるように場面もまた、他人事ではないと思います。
そんなことをときどき耳にするたびに、できればどこかで「あなたはまったく希望がないと思っているけれど、そうじゃないよ」というメッセージを送ってあげたいと思うわけです。そこでこの時間の最後として、イエス様と出会って変えられた母親の物語を通して、いっしょに考える時間を作りたいなあと思いました。

福音書朗読「やもめの息子を生き返らせる」(ルカ7:11-17)

この話は、物語としては分かりやすい話です。ある若者が棺に納められ、埋葬されようとしていました。その母親はやもめであって、埋葬される息子は一人息子です。イエス様はこの母親に、「もう泣かなくともよい」と仰って、若者を生き返らせ、母親に返してくださいました。話はシンプルなのですが、ここには「希望」について深く考えさせる内容が含まれています。
説明に入っていきたいと思います。「やもめ」それは夫を亡くし、そのことで生活の支えを失っている女性です。イエス様の時代には、女性が働くことは考えられませんでした。だから、社会の中でも弱い立場におかれ、彼女たちを食い物にする悪い人たちもうようよしていたわけです。
この母親にとって、一人息子は何より大切なものでした。どれくらい大切だったか、言葉で表すと、「たった一つの希望」そしてまた「すべての希望」でもあったのでした。その、一人息子を失ったのですから、お母さんは、「すべてを失い、一切の希望を断たれた」わけです。
埋葬に向かう人々の様子をじっと見ていたイエス様が、母親に「もう泣かなくともよい」と仰います。正直に話しますが、中田神父が同じお母さんに出会ったら、「もう泣かなくともよい」とは言えません。泣かなくてもいいように何かできるのであれば、「泣かないで」と言いますが、私には無理です。絶対無理。
それなのに、イエス様は「もう泣かなくともよい」と仰いました。どれだけ泣いても消えないほどの悲しみに突き落とされた女性に、主は「もう泣かなくともよい」と声をかけます。もし、イエス様が今の悲しみを消してくださるほどの喜びを与えることができなければ、それは無責任なことを言っていることにならないでしょうか。
当然イエス様は責任を持ってくださいます。あのお母さんの悲しみを消すことができるのは一つだけ、一人息子を生き返らせることしかありません。イエス様は、その通り、一人息子を生き返らせ、母親に返してくださいました。それは、お母さんにとって、一人息子が戻っただけではなくて、すべての希望を返していただいたのと同じだったのではないでしょうか。
そこで最後の問題を解いてみましょう。「すべての希望がなくなったとき、それでもあなたは生きていけるでしょうか?」いちばん大切だと思っているものを失うこともあるでしょう。どんなことでも、信頼して相談できると思っていた人に裏切られることがあるかも知れません。そしてさらに、すべての希望を取り上げられてしまったら、もう生きては行けないと思うのかも知れなませんね。
「私はそこまで苦しくなったことはないから」そう感じて、この問題について考えたくないと思うかも知れません。けれども、同じこの土地に、同じ時代に、すでにそこまで追い詰められるような人も、いないとは言い切れません。
皆さんが、そこまでの苦しみを体験したことがなかったら、あなたには、もう少しエネルギーがあると言ってよいでしょう。誰かを元気づけるエネルギーが、残っているのです。だったら、苦しんでいる誰かを助ける人であって欲しい、ある人が、もうダメかも知れないと思う前に、あなたは生きていいんだよ、あなたのことを私は覚えているよと、声をかける人になって欲しいのです。
中田神父にとって、イエス様はすべての希望を失ったときでも、それでも希望を与えてくださる方です。福音書のあちこちで、希望のない人に希望を与えてくださった話を読み、自分でも考えてみて、これほど希望を奪われていても、イエス様は希望を取り戻してくださった。だったら私は、明日も生きていける、そう思うことができます。
特別に同じ時間・同じ場所で体験した人を見つけなくても、私自身は聖書の出来事は、遠い昔の話とは思っていませんので、聖書の中に書かれている出来事でイエス様がまったく希望のないところにも希望を与えてくださる方だと十分理解できます。
「すべての望みが絶たれた」そんな様子を伝えてくれる聖書の話は、ほかにもいくつも見られます。三十八年間寝たきりの人を治して、もとの生活を取り戻してくれた話(「ベトザタの池で病人をいやす」ヨハネ5章1-18節)、指導者の娘がよみがえる話・十八年間出血症に悩んでいた女性を治してくれた話(いずれもマタイ9章18-26節)など、まったく希望のないところに希望を返してくださることを理解するに十分な例をあげることができます。
特に、三十八年間寝たきりの人を治してくれる話は、「やもめの一人息子を生き返らせる」話と重なる部分があります。三十八年寝たきりの病人に、イエス様は「良くなりたいか」と尋ねています。三十八年間痛めつけられ、苦しめられた人にとって、初対面のイエス様から「良くなりたいか」と言われることは、残酷なことだったと思うのです。もし、無責任にそう仰ったのであれば、酷い話ではないでしょうか。もちろん、イエス様は責任を持って、その人に希望のすべてを返してくださいました。
「すべての希望がなくなったとき、それでも生きていく力を与えてくれる」そんな方を知っているなら、幸せだと思います。ときどき、人間は弱さのために「もうダメだ」と思ってしまうものです。もうダメだと思って、それでも布団に入ってぐっすり眠れる人はいいですが、絶望して、生きていても仕方ないと思う人がいる。もしその人が、「それでも生きていける」という体験に触れることができたら、明日も生きていけると思うのです。そして今日、こうして黙想会にあずかっている皆さんは、「明日も生きていける」その体験を少し味わうことができたのではないかなあ、と思っています。

一回目の話の結びとして、一つのお願いをしたいと思います。それは、聖書を通して、身近な体験を通して考えた問題に、答えが見つからずに悩んでいる人がたくさんいるということです。そして、まだ答えを見つけることのできない多くの人のために、私たちは生活を通して「生きた答え」になっていくべきではないでしょうか。カトリックの信仰を得て、私たちは大きな困難に出会っても信じていける、生きていけることを、心に持って暮らして欲しいのです。
「真っ暗闇を体験したこともあるけれども、私はそれでも生きていけると思うよ」「どんなにたくさんのものを失っても、決して失うことのないものをカトリックの信仰でもらえたよ」こんな話を誰かにできたら、一生涯のうちに一度でもいいからこんな励ましで誰かを生き返らせることができたら、神様はあなたに天国の報いを用意してくださると思います。
私たちには、ふだんの暮らしで十分に信じていけるだけの理由が必要です。教会の中だけが信仰の場所ではないからです。今暮らしている中で、信仰のおかげで真っ暗闇を超えることができた、失った希望を返してもらえた、そうしたことを身近に感じることのできる一つか二つの聖書の話を、しっかり身につけて欲しいと思います。
また、聖書の話は私たちの今の暮らしにもそのまま繰り返し出てくることがあります。幸いに体験を通して聖書と同じことを学んだ人は、それを大胆に宣べ伝えましょう。その時きっと、イエス様はあなたのそばを通りかかってくださったのです。



【第二回】

「主の日」から「次の主の日」まで、私たちにできることを拾ってみましょう

・私たちの暮らしは、「一週間」が基本と思います

二回目の話は、「一週間の組み立て方」を考えてみようと思っています。お一人おひとり、いろんな暮らしの中に置かれているわけですが、たいていの方は、「一週間」を一つの区切りとして生活を立てているのではないかなあ、と思っています。
ただし、遠洋漁業に従事する方は、月夜間から月夜間までが一つの区切りでしょうから、またちょっと違った暮らしになるかも知れません。私の父は、40歳代初めまでは、遠洋漁業に従事していましたので、月に一回しか家に帰ってきませんで、子供たち端間に帰ってくる父親が、月夜間の三日間帰ってきているなどとは知りもしませんでした。
当然、その間漁にならないので帰ってきていることも知らず、ときどきお土産のおもちゃや給料を持ってくるために帰ってきている、それくらいにしか考えていませんでした。今になって考えると、厳しい仕事から解放されて、ホッとしている時間だったのだなあと、当時のことを振り返るわけです。
今現在は、牛を飼っています。肉牛です。仔牛を育てて、競りに出して生活していますので、昔とはまったく違った生活になりました。聞くところによると、私が神学校に入ったので、毎日ミサに行けるように、船をおりて陸の仕事に変わったのだそうです。そういうことも、あとになって聞かされました。

まあ、いろんな生活の立て方がある中で、ここでは、一週間を一区切りと考える生活を頭に置いて話してみたいと思います。そうすると、「ある曜日から、一週間後の同じ曜日まで」が、その人にとっての一週間になるわけです。
あまり褒められた話ではないのですが、中田神父の一週間を正直に話しますと、「月曜日から月曜日」が、一週間の区切りになっていると思います。意識としてもそうですから、正直に打ち明けております。もう少し言うと、月曜日はおそらくたいていの神父様が休みを入れている曜日だと思います。土曜日のミサ・日曜日のミサ、またはその他の必要なお世話を一通り終えて、ホッと一息つくのが月曜日です。月曜日が終われば、また次の日曜日に向かって、気持ちを向けていく。説教の準備に頭を切り換えると、そういう過ごし方をしています。
中田神父は「月曜日から月曜日」でした。ある人は、また違った一週間の流れがあるでしょう。ざっくばらんに申しますと、週一回楽しみにしていることができる日を区切りにしている人もいると思います。まあそれはパチンコであったり、ゴルフであったり、カラオケであったり、いろいろだと思いますが、そういう楽しみにしていることがうまく気持ちの切り替えになって、「さあ次の一週間」そう思えるのではないでしょうか。
ちょっと、一息入れる日は必要です。365日いっさい変えずに過ごそうというのは、私の考えでは、あまりお勧めできないですね。気分転換できる日がどこかに入っていないと、人間は機械ではないですから、疲れてしまうと思うのです。
一週間を組み立てる中でいちばん多いかなあと思うのは、日曜日が一つの区切りになっている方ではないでしょうか。
そこで、日曜日が切り替えの大切な日になっている方々に、日曜日に何が含まれているか、もう一度考えてもらいたいと思います。日曜日はいつも家族で出かけますとか、日曜日ぐらいしか釣りに行けないので、趣味の釣りを楽しみます。どれもいいなあと思うのですが、やはりカトリック信者ですから、日曜日にミサに行くこと、このミサを通して一週間の区切りをつけてもらえたらなあと思います。
ただ、日曜日にミサに行くと行っても、ミサに行くことがつらくなっていては問題です。話の初めで考えたように、気持ちを切り替える日、さあ次の一週間も頑張るぞと、そういう力・恵みをいただくひとときになっていないと、行くたびに疲れてしまうのではかわいそうです。

振り返ってみて、日曜日のミサは楽しみになっているでしょうか。集まってきたみんなと親しく話をしたり、説教を聞くことができるのでありがたいとか、お御堂にしばらくとどまることで、内側から満たされることができるとか、そういう「ここでしか味わえない」喜び・楽しみがあるでしょうか。
ぜひ、何かを見つけて、日曜日のミサから新しい一週間に向かって行って欲しいと思います。久しぶりにあの人と過ぎた一週間のことをおしゃべりできるから楽しみですと、きっぱりそう仰ってもよいでしょう。やはり神様がみんなを集めている場所で、ここでしか味わえないものが次の一週間を準備してくれることが、これまで並べてきた一週間の生活の立て方の中でいちばんすぐれていると思います。
「日曜日のミサ、説教が何よりの楽しみです」という方はいらっしゃるでしょうか。そうであれば、主任神父様は幸せでしょうね。責任も感じるだろうと思いますが、次の一週間に進んでいくための何かの力添えになれるなら、何かヒントをあげられるなら、司祭にとってはこれ以上ない喜びだと思います。司祭も人間ですから、「神父様のお説教が毎週の楽しみです」と言ってもらえたら、もっともっと説教も磨きがかかってくるのではないでしょうか。
今ちょっと説教に磨きがかかる話をしたので、少し横道にそれるかも知れませんが、信徒の皆さんは上手に神父様を働かせて欲しいと思います。多くの人は、「働かされているから」一生懸命働くわけです。でも司祭は「働かされている」わけではありませんので、ある意味、信徒の皆さんが上手に働かせることは、これは人間の知恵だと思います。
例えば説教。「毎週の説教が楽しみです」と言われれば、多くの神父様方はさらに磨きをかけようと思うのではないでしょうか。そう言った声のかけ方で、神父様は頑張っちゃうわけです。
いま中田神父がお世話になっている太田尾教会、以前から、「教会の場所がよく分からない」と言われていたそうですが、そういう声が聞こえる割には、なかなか改善されなかったわけですね。そこで私はちょっと頭を使いまして、赴任してまもなく町長さんに挨拶に行くことにしました。その時いっしょに、太田尾教会のためにこのさい力を貸してもらおうと考えたわけです。
信徒の町会議員の方に町長さんに面会する場を設けてもらいまして、挨拶を終えた私はこう言いました。「私はこちらに来て間もないのですが、教会にたどり着くまでの案内板を、何とかしてもらえないでしょうか。観光のパンフレットを見ても、教会を必ず地図に入れてくれているわけですが、そのわりには案内板がありません。」
「観光客が迷子になる分には私は迷惑を被りませんが、じつは私も教会に帰れなくて迷子になることがあるんですよ。教会の神父さえもわが家に帰れないでは、問題ですよね。どうでしょう。案内板を見直してもらえないでしょうか」

本当の会話は、もう少しキツイ言い方をしたのですが、まあ、そのようなことを伝えました。おかげで今はきちんとした案内板がついています。ほかにも、教会の歴史を書いた立て看板もなかなか直してもらえずに、「教会にあったものを修繕すると言って一年も二年も持ち帰ったままにしておくのは、それはあずかっているとは言えませんよ。そんなのドロボーじゃないですか。ドロボー」
ついムキになって観光課の職員に食いついたところ、そのあとすぐに直して付け替えてもらいました。ちょっと言いすぎたかなあ、と思ったのですが、ちょっとした知恵で神父様を「働かせる」というのは、信徒の皆さんの務めと思っています。
ちなみに、私のように土地に不慣れな者にとっては、やはり教会までの案内板は助けになります。「A−coop」あたりから案内板がついていれば、助かりますねぇ。皆さんが「神父様、教会までの案内板がないと迷子になります」と言ったらウソになりますので、生月の外に暮らしている親戚や友達に教会に来てもらって「案内板があったらいいですねぇ」と言わせたらどうでしょうか。きっと神父様は頑張っちゃうと思うのですが、どんなもんでしょう?

・ヨハネ福音書の初めを読むと、一週間を考えるヒントを見つけます

ちょっと横道にそれてしまいましたが、話を続けていきます。私たちが生き生きと暮らし続けるためには、どこかで一区切りがあって、その区切りが、教会に集まってミサにあずかり、説教を聞き、聖体に養われることであれば、いちばんすばらしいですねということでした。
今からヨハネ福音書の最初の部分を取り上げようと思いますが、じつはこの1章から2章にかけての部分は、私たちに一週間の過ごし方を考えさせるとってもよい材料になると考えています。
取り上げる部分が長いので、内容をかいつまんでお話していきたいと思います。ヨハネ福音書というのは、おそらく、十二人の弟子であったヨハネが、90年ころに書き上げ、その後ヨハネの弟子が書き足して、完成したものと言われています。ヨハネ福音書についてはこれくらいでよいでしょう。
また、聖書全般に共通の決まりごとなのですが、それぞれの書物の区切り方は、大きな区切りに「章」を使い、その中を細かく区切るために「節」という分けかたをします。1章1節から18節までは、独立した物語なのですが、その続き、1章の19節から2章の12節までは、ひと続きの物語のように書かれています。この、続き物の話を全体として取り上げながら、二回目の話の中心に分け入っていきたいと思います。
今示した箇所(1章19節から2章12節まで)の中に、五つの物語が収められています。この場で暗誦できるようになりましょう。具体的に、次の五つです。【洗礼者ヨハネの証し】【イエスを神の子羊と紹介する】【最初の弟子たち】【フィリポとナタナエル、弟子となる】【カナでの婚礼】以上です。顔のしわはもう要らないかもしれませんが、この五つを頭に刻めば、脳のしわが五つ増えることでしょう。少し努力して、今回の話の間だけでも記憶し続けてください。何回か、繰り返してみましょうか。

(何回か、繰り返してみる)

もう、暗誦できるようになりましたね。それぞれに、少し説明を加えておきましょう。洗礼者ヨハネは、自分のことを人々にはっきり証言しました。私は救い主ではなくて、救い主を準備するために遣わされた者である。来るべきお方のことを全く知らずに待ち望んでいる人々に、洗礼者ヨハネは「この人が救い主です」と伝えるために、洗礼者ヨハネは「声」となってくれました。
その翌日、洗礼者ヨハネはイエス様を人々の前で神の子と紹介します。霊が鳩のように天から降って、イエス様の上にとどまる様子を見て、はっきりと救い主を指し示しました。誰も、救い主はどんな方か知ることができなかった中で、洗礼者ヨハネはイエス様を救い主として、紹介してくださいます。
その翌日、洗礼者ヨハネは自分の弟子をイエス様のほうに行かせます。人間の救いのために神が遣わしてくださった方に、これからはついて行きなさいと、自分の弟子を新しい生き方に送り出しました。洗礼者ヨハネの二人の弟子はイエス様についていって、イエス様の住んでおられる家に泊まり、最後までついていく方だと確信したのでしょう。すべてをこの人にゆだねて生きてみたい、心からそう思える何かをつかんだのだと思います。そのうちの一人、アンデレは、自分の兄弟シモン・ペトロにも声をかけてさそいました。「あのイエス様は一生涯ついて行くにふさわしい人だ」自信を持って、同じ道を進めたのでした。
その翌日、イエス様はフィリポとナタナエルを弟子にしました。ナタナエルははじめイエス様の出所にけちをつけたのですが、いちじくの木の下にいるのを私は見たとイエス様に当てられたことで、すっかりイエス様についていく気になりました。ちょっと見るとたったそれだけでどうして?と思うかもしれませんが、いちじくの木の下というのは、暑いイスラエルの国の戸外で、日陰を作ってくれる身近な場所です。そこで人びとは、待ち望んでいる救い主について考えたのだそうです。イエス様は、「ナタナエル、あなたがたった今まで思い巡らしていた救い主は、この私だよ」と、ナタナエルが考えていたことを言い当ててくれたのです。探し求めていた人に今出会った。すべてをイエス様に託してみたいと、弟子になったのでした。
そして三日目に、ガリラヤのカナで婚礼が行なわれました。水がぶどう酒に変わり、そのままでは面目を失ってしまう世話役のピンチを救い、人々に喜びを取り戻してくれました。三日目、それはイエス様の復活が暗に込められています。三日目にその場にいた人びとすべてに喜びと希望が戻った。それはつまり、復活したキリストが、主の日に信じる人すべてに喜びと希望を取り戻してくれることを意味しています。最終的にこの三日目は、復活の出来事を繰り返し祝う日曜日のミサのことが言われているのではないでしょうか。

さて、今覚えてもらった五つの物語には、ひと続きの物語にするための工夫が施されています。一つひとつの物語に説明を加えるあいだにも、あえて強調してみたのですが、物語のつなぎに「その翌日」と必ず一言添えて、話を始めているんです。この一言が加えられたことで、物語はひと続きとなり、この続き物の話が、ある一定の日数で繰り広げられたものであるを語っているわけです。
実際に、何日間で起こった出来事なのでしょう。「その翌日」ということばを頼りに、日数を数えることにしましょう。まずは、洗礼者ヨハネの証しが初日に起こりました。「その翌日」、洗礼者ヨハネはイエス様を神の子羊として紹介します。「その翌日」、最初の弟子たちがイエス様によって選ばれました。「その翌日」、さらにフィリポとナタナエルが弟子に加えられます。そして、「三日目に」ガリラヤのカナで婚礼があったというのです。指を折って数えた人もいらっしゃることでしょう。何日間で起こったという計算になるでしょうか。
そうですそうです。七日間で起こったことになっているのです。私たちが考えたひと区切りが、ここに見られるのです。二千年前の物語ですが、少しも古さを感じないのではないでしょうか。また、遠く離れた土地で起こりましたが、少しも距離を感じないのではないでしょうか。

・私の暮らしに、ヨハネが捉えた一週間は重なるでしょうか。重ならないのでしょうか

さて、ヨハネ福音書の著者が書き残した「一週間」は、私たちの生活と重なっていくのでしょうか。重ならないのでしょうか。少しずつ見ていきましょう。
洗礼者ヨハネの証しという物語から始まった一週間でした。彼は、「声」となった人でした。自分がいくらかの者であると触れ回ることはいっさい控え、「声」となりました。
「声」、それは、「声の持ち主から出てくるもの」です。ヨハネが叫ぶとき、その声は持ち主の思いを忠実にのせて響き渡りました。声の主が考えてもいないこと、声の主の意向に反することを叫びません。謙虚に、けれども確実に、声の主の思いを伝えるのです。
洗礼者ヨハネの働きは、遣わしてくださった神の「声」となることでしたが、私たちも「声」となって、人々の前に「救い主」を知らせることができるのではないでしょうか。いくつか、例を挙げておきます。
どこかの食堂で(レストランで)、ご飯を食べるとき、「食前の祈り・食後の祈り」を唱えて食べているでしょうか?これは、人々のあいだで「声」を出すことです。いつも祈りを欠かさない人は、救い主を知らせる「声」となってくださっていることになるのです。家庭での食事の時、食事に限らず、朝・夕の祈りを唱えて一日を始める人も、世の中にあって、洗礼者ヨハネと同じ「声」となってくださっているのです。外で、祈りを忘れない人は、世の中にあって、「声」となってくださっているのです。
次に、洗礼者ヨハネは自分の弟子の中から、イエス様についていく者を二人送り出しました。手塩にかけて育てた弟子を明け渡すのですから、人間としては考えるところもあるでしょう。けれども、「さあ行ってきなさい、これからあなたはあの人のお世話になるのだ」と、寛大な心で送り出しました。
皆さんの家庭に当てはめましょう。ここでは教会のために特別に働いてくれる人を送り出す様子に当てはめたいと思います。具体的には、教会の中で役員さんになる人を出してもらうこと、会長になる人・典礼係・教会の掃除当番など、誰かを特別に教会のために出すことを考えてください。もちろん、その中でも際立っているのは、神学生や志願者を出してもらうことです。

家庭の中で、社会の中で、欠けては困る人を教会の奉仕に骨折ってもらうのは、ずいぶんためらいがあるでしょう。ですが、教会という家族の中から、一人でも二人でも、イエス様について行きなさいと、寛大に送り出してもらいたいなあと思います。これも、「すべてをおまかせする神の子羊がいるのだ」ということを世に証しすることになるのです。
イエス様の弟子になりなさいと言われて送り出された二人は、さらに自分の兄弟・親戚と、身近な人から自分たちのいっしょにやっていかないかと誘いました。よく神学生やシスター志願者は、自分の兄弟や姉妹を同じように誘ったりするのですが、そうして互いに切磋琢磨して、キリストのより近い弟子として働く者になっていくのは、すばらしいことだと思います。兄弟姉妹ともに司祭や修道者になれるというのは希ですが、まったくゼロでもありません。平戸・北松地区と佐世保地区で兄弟の神父様が奉仕しておられます。ごく近くで触れることができて、すばらしいと思います。
司祭・修道者ということだけではなくて、家庭の中でも私の配偶者に、キリストともっと親しくなることを勧めることも立派な働きかけです。いちばん近くにいる人といっしょに、イエス様を信じていけることは、家庭の平和に大きな助けになると思うのです。
そして三日目には、婚礼に招かれたイエス様と弟子たちのように、私たちも教会に集い、いつも不足しがちになる恵みを、皆ともに満たしていただきます。婚礼の席で、味のついていない水からぶどう酒を飲ませてもらったように、小さなパンのかけらをイエス様がご自分のからだに変えてくださって、食べさせてくださいます。
どうでしょうか。ヨハネ福音記者が描いた「一週間」の出来事は、私たちの生活にあっても十分当てはまることが、少し見えてきたのではないでしょうか。私たちは世にあって信じているお方の「声」となり、私たちが信じているお方を告げ知らせます。声を上げるだけでなく、神様のために特別に働く人を選び出すことも、証しを立てることになります。それらと合わせて、教会に集まって泉から恵みを汲み、一週間の出来事をお互いに感謝するなら、今の時代の中で、私たちはみごとにヨハネ福音書の一週間を生きることになると思います。

・キリストの弟子として、信者として、一週間のうちに期待されていることが結構あると分かります

二回目の話を思い切って簡単にすると、「私たちは一週間で神様のもとに集まり、世の中に送られていきますから、世にあって『声』となり、『行いでキリストを証しする人』になりましょう」ということです。
なかなか難しいなあ、と思っている方もいらっしゃると思います。ですが、「声」になることは、じつはどんな人にもできることなんです。どんな場所にいても、わたしはできると思います。仮に、「声」が出なくても、「声」になることは十分可能だと思っています。
太田尾の小教区での話なのですが、あるおじいちゃんがとうとう入院することになりました。入院中に、どんどん体力も奪われ、ついに眠っているだけのようになってしまいました。病院の医者は、ある時家族に、「心の準備をしておいてください」と言ったのです。
ところが、そのおじいちゃんは、医者の見立て通りには進まず、長く眠ったまま病院にとどまりました。医者には、なぜこのままで苦しみに耐えられるのか、生きていられるのか、理解できなかったのだそうです。
私はそのおじいちゃんのことを思うたびに、こう思うのです。きっとおじいちゃんは、「声」となって病院にとどまっておられたんだ、本当に命をあずかっているのは、人間の医者ではなくて、神様なのだということを証しする「声」になってくださったのだと、今も思うのです。
いっさい、声を出すことはできません。ですが、おじいちゃんは確かに「声」になっていたと思います。見た目には眠っているだけなのですから、行いも見えません。けれども、病院にたずさわっている医者・看護する人、おじいちゃんの家族、病室の方々、すべての人にとっての「声」だったのではないでしょうか。

「行い」でキリストを証しする。生活の中で、たいへん難しいことの一つだと感じているかも知れません。ここで、思い出してほしいのは、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)という聖パウロの確信です。
長崎市には、原爆病院という病院があります。詳しいことは知りませんが、被爆者の治療のために建てられた病院なのだと思います。長崎の教会にいた頃、私はこの病院に入院している方を何人も見舞っていました。そのうちの一人、あるおばあちゃんは、病気が重くて寝たきりの人でした。私は、転勤で入れ替わりになる先輩の神父様から、「原爆病院にはこれこれの病人がいるから、いついつにお見舞いしてください」と申し送りを受けていたのでした。
原爆病院のお見舞いをしながら、そのおばあちゃんの病室に行きました。御聖体を授けて、しばらく話を聞いていたのですが、こんなことを言い出しました。「あの階の何号室に、誰それという信者の人が入ったそうです。よろしくお願いします」。
どこの世界にも宿老さんみたいな人がいるもんだなあと、ほとほと感心いたしました。女性ですから、「世話焼きおばさん」ということになるのでしょうか。たびたび、新しく入室した信者の人がいると教えてくれて、その人もいっしょに見舞ったことがありました。中にはお世話してくださる神父様が来る人もいたのですが、どうかすると私たちの知らないうちに、自分のところの信者が入院していたりしたのです。
驚きました。その人は、起きあがることすらできない人です。どうやって、新しく入ってきた人のことが、それもどうやって信者かどうかまで、分かるのでしょうか?同じ階の人ならまだしも、違う階の人、違う病棟の人を見つけてくださるのですから、これにはもう脱帽でした。
どうやって、誰のつてでこのおばあちゃんのところに情報が集まるのか、最後まで分かりませんでしたが、私はこのおばあちゃんが息を引き取るまで見舞い、話ができるあいだはしばしば、新しい病人を教えてもらったのでした。
手足が自由な私たちは、今までの話の中で、「行いで証しをするのは難しいなあ」と尻込みしています。ですが、ベッドから一歩も動けない人が、誰かを動かして、迷子になっている子羊を探し続けてくれました。そのおばあちゃんが知らせてくれなければ、ある人たちは退院するまで一度も顔を見ることなく終わったかも知れません。

まるで十字架に磔にされているように、ベッドから動けない人が、私と同じカトリック信者がいたら私に必ず知らせてくださいと、証しを立て続けて生涯を全うすることもあるのです。私たちには少なくとも、動く手足があります。まだ、何かができるのではないかと、改めて考えさせられました。

「声が出なくても『声』となってくださった方」「動けないのに、『いなくなった羊』を探してきてくれる方」どちらにも共通していることがあります。病人で、見舞いに行っている方ですから当然といえば当然ですが、御聖体を授かっているということです。
声が出せなくなったおじいちゃんも、しばらくは定期的に御聖体を頂きました。ベッドに寝たきりのおばあちゃんも、意識がしっかりしているあいだはずっと聖体拝領をしていました。それが、二人にとっての証しをする力の源だったのではないでしょうか。
そう考えると、私たちはますます身が引き締まります。ここにおられる多くの方が日曜日ごとにミサに来て、聖体拝領をしているのだろうと思います。船をおりて陸に上がっているあいだは、教会にも来てくださるのだと思います。
そうであれば、次に聖体拝領をするまでのあいだ、健康でいられる私たちはなおさら世にあって「声」となる必要があるし、当然そうなれると思います。手も足も動いている私たちは、教会から遠のいている人のところへ出向いたり、お知らせその他を届けてあげたりと、小さなことでもできることはいろいろあると思います。
ついでなのですが、中田神父がいろんな人に呼びかけている活動を紹介しておきます。中田神父は、毎週日曜日のミサ説教を録音してためております。これまでで二年分の説教が手元にあります。
例えば、教会に行きたくてもいけない人がいて、教会に行くことはできなくても、説教だけでも聞かせてあげたいと思っている方がいらっしゃれば、中田神父に声をかけてください。カセットに収めたものか、CDか、どちらかの形でお譲りすることができます。皆さんが手足となって、日曜日の説教を一人でも多くの方に届けていけるなら、これも立派な証しになると思っています。
ちなみに、今回こちらの教会で話している黙想の説教も、ここにテープとCDの形で前もって録音して用意しています。黙想会に参加できない人に、このテープを運んであげることで、黙想会にあずかった人と同じ時間を過ごせるのではないでしょうか。
お役に立てれば、幸いです。



【第三回】

十字架に架けられたキリストに、私たちは罪を赦されたのです

・イエスの最後の場面と、復活して弟子に現れる場面から、「赦し」にかかわる事柄を学びましょう

今日は、説教のあとに赦しの秘跡が組まれています。少し、赦しの秘跡の準備を頭に置いて、話を進めてみたいと思います。いくつかの聖書の箇所を取り上げます。二つの場面についての朗読です。一つは、十字架に磔にされる場面(ルカ福音書から、ほかの罪人とのやりとりを、ヨハネ福音書からは。兵士が槍でイエス様の脇腹を突き刺す様子を読みます)、一つは復活して弟子たちに現れる場面です。
先に、十字架上での罪人とのやりとりについて考えてみましょう。イエス様の右と左には、当時暴動と争乱のかどで投獄されていた罪人が磔にされました。

(聖書を読む:「十字架につけられる(ルカ23:33-43)」)

そのうち、ルカが記すイエス様の十字架の場面には、はっきりした特徴があります。それは、「赦しのことばだけを、イエス様は残してくださった」ということです。次の二つのことばです。
ちなみに、イエス様が十字架につけられる様子は、四つの福音書とも書き残しているのですが、それぞれに特色があります。マタイとマルコは、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」ということばだけが記されていますし、ヨハネ福音書には、「婦人よ、ご覧なさい、あなたの子です」「見なさい、あなたの母です」「渇く」「成し遂げられた」などのことばが残されています。あくまで十字架につけられてからを比べてのことです。
そうすると、十字架の場面に、福音を書き残したそれぞれの著者によって、込められた思いがあるということなのですが、ルカ福音書からは、「イエス様の深い赦し、いつくしみ」を読みとることができると思います。
だれの場合であれ、私たちがこの世を去るときに、いくらかの時間が残され、話すことができるとしたら、それは、大切なことだけを言い残そうとするのではないでしょうか。どんなにおしゃべりな人でも、無口な人でも、残りあと二つ三つのことを話す時間しか残されていないとなれば、それは、嘘偽りのない真実のことばを残すに違いありません。
そういう中で、イエス様は人々への赦しのことばを残そうとされたのだと、ルカは言いたいわけです。「されこうべ」の陸でイエス様を囲むすべての人の赦しのために、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と仰ってくださいます。傍らで十字架に磔にされた一人には、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と仰いましたが、これは、改心したことを受け入れ、その人をお赦しになった何よりの証です。死ぬ間際までイエス様にひどいことを言ったもう一人の罪人のためには、何もことばを残しませんでしたが、それは、ルカ福音記者が、「赦すイエス様」をはっきり描くために、あえて触れなかったのだと考えます。イエス様はその罪人を放っておかれたのです。そのことでののしった罪人がどうなったかは分かりませんが、まあ、天国じゃない場所に行ったのでしょう。
ともかく、ルカ福音書によれば、イエス様はあの十字架の場面で、人々の赦しのために、赦しのためだけに、ことばを残されたということです。十字架につけられたイエス様を囲む場所は、イエス様の深い憐れみによって、「赦しの場」となりました。

今度は、「イエスのわき腹を槍で突く(ヨハネ19:31-37)」場面を読んでみます。ヨハネ福音書だけが書き残した部分で、ヨハネにとってのはっきりとした狙いがあったと考えられます。そのことを言い表しているのが、兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺し、「すぐ血と水とが流れ出た」という部分です。

(聖書を読む:「イエスのわき腹を槍で突く(ヨハネ19:31-37)」

私たちは神学校で、「この時、イエス様から教会が生まれたのです」と習いました。イエス様から血と水が流れ出たとき、私たちのためにすべてが明け渡され、教会が生み出されたということです。血と水とが流れ出た十字架のもとに人々が集まっている、これが教会の誕生の姿ということです。イエス様を十字架につけろと叫んだ群衆が集まり、罪人がイエス様の隣で磔にされた場所で、イエス様はご自分の血と水分さえも与え尽くすことで教会を生み出してくださったのです。

皆さん、ここまで話していて、何かにお気づきになりませんか?十字架のイエスのもとに人々が集まって、十字架上のキリストは赦しのことばを残してくださった。これは、今私たちが集まっている教会のことを、そのまま言い当てているのではないでしょうか。
私たちが集まっているこの場所は、御聖体が大切にしまってある聖櫃があり、またもう一つは、十字架につけられたキリストが置かれている場所です。ですから、ここはあの「されこうべ」の場所と同じく、イエス様が十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。と仰ってくださることを期待して良いのではないでしょうか。そのような願いを込めて、十字架上のイエス様を眺めて良いのではないでしょうか。
十字架につけられたキリストが、この聖堂の中に安置されています。それはつまり、私たちをいつも赦してくださるために、居てくださるということです。もっと言うと、私が赦しを願うよりも前に、イエス様は赦しのことばを父なる神に取りなしてくださる。取りなし続けておられるのです。
私たちはどうかすると、私がふさわしく改心して、罪を言い表したから、私のおこないが先にあったから赦してもらっていると思い込みがちですが、十字架のキリストがおられるこの場所は、先にイエス様が「父よ、彼らをお赦しください」という言葉を述べてくださる場所だと思います。私たちの改心は必要なのですが、私たちの改心が不十分であっても、先にイエス様は赦しのことばを私たちに語ってくださる場所だと思います。あとは、信頼して、すべてを言い表すことです。私が、赦してもらいたいと思うことを、明らかにすることだと思います。
これは、神様は喜ばないだろうなあと思うことは、神様に打ち明けて赦してもらいましょう。じょうずに言う必要はありません。神様は喜んでなかっただろうなあと思うことであれば、それはそのまま言い表してください。イエス様は先に、赦してくださるために、ここにいらっしゃるのです。この場所は教会、十字架につけられたキリストのもとに集っているのですから、血と水とが流れ出た場所に集っているのですから、私たちは赦されるか赦されないかの不安はないと思います。もうすでに、イエス様の赦しが、そこまで来ているのです。

・教会は、「信じる人々の集まる場」であり、「感謝をささげ、恵みのパンをいただく場」であり、「互いに愛し合い、ゆるしあう場」です

十字架につけられたイエス様が、赦しを与えてくださることを考えましたが、そのキリストから血と水とが流れて教会が誕生したと話しました。教会はもう一つ、最後の晩餐の出来事を繰り返して、「主の死を思い、復活をたたえる」場所でもあります。
イエス様は弟子たちを囲んで、パンとぶどう酒を用いてミサの中心となる出来事を残してくださいました。私たちが学んでいることとして、この最後の晩餐の途中でイエス様は席を立ち、次々に弟子たちの足を洗い始めました。このことから、私たちは教会に集まって、「感謝をささげ、恵みのパンを頂いて、互いに奉仕しあう」ように期待されています。ここに集まってミサをささげ、聖体拝領をし、奉仕について心を配る。とてもすばらしいことだと思います。
赦しの秘跡そのものからは離れますが、私たちが互いにどんな奉仕ができるのか考えることは、大切です。教会の掃除も一つの奉仕でしょう。独りよがりなことを言っていては、掃除一つまともにできません。互いに協力し合い、助け合ってできることですから、立派な愛の奉仕です。
太田尾の小教区では、年に一度クリスマスの頃に、役員の方にお願いして教会に来ることのできない病気の方々、高齢の方々をお見舞いすることにしています。初めのうちは私が促して活動を進めていたのですが、今は自主的にお見舞いしてくださっているのでたいへん助かっています。ある意味で、主任司祭の手を離れた活動は、本当の自発的な活動として育っているかどうかの目安になると思います。一つの愛の奉仕として、参考になればと思います。
何か、奉仕のわざを考えて自分たちで育てていくことは、イエス様のもとに集まる私たちに期待されていることだと思います。この教会は、十字架につけられたキリストがおられることで「赦しの場」であり、最後の晩餐が繰り返されることで「感謝をささげ、恵みのパンをいただく場」であり、「互いに愛し合い、奉仕しあう場」でもあるわけです。

ここで新たに、聖書の箇所を一つ読んでみたいと思います。復活したイエス様が弟子たちに現れる場面です。ここから、「互いに赦し合う」ことを学びたいと思います。

(聖書を読む:「イエス、弟子たちに現れる(ヨハネ20:19-23)」

この箇所でイエス様は、二つのことを弟子たちに伝えていると思います。「手とわき腹とをお見せになった」というのですが、これは、「わたしはあなたがたをすでに赦している。安心しなさい」ということでしょう。
もう一つは、「聖霊を受けなさい。20:23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」と仰って、あなたたちは先にわたしから赦された者なのだから、「聖霊」を受けたら、赦してあげる人になりなさいということです。
「あのときのことは赦していないが、けれども罪を赦す権限を与えよう」とは仰っていません。何しろ、弟子たちはイエス様がつかまってから、ほとんど散り散りになって逃げたのですから、「あのときのことは赦してください」とは、口が裂けても言えないわけです。そういう負い目をイエス様はまったく気にせず、赦された者として、積極的に罪の赦しのために奉仕しなさいと仰ってくださいました。
私たちが奉仕にいそしむのは、名誉心や自分の満足のためではなくて、それは、赦された者なのだから、という理由ではないかと思います。わたしに何かができるから、というのもあるでしょうが、本当に相手のためになる、その人のためになる豊かな奉仕をするためには、「私は、先にキリストから赦された者だから、寛大な奉仕を心がけよう」こういう気持ちから始まるなら、きっと実を結ぶのではないかなあ、と思います。ぜひ、心がけたいと思います。

・「全能の神と、兄弟の皆さんに」告白しましょう

さて、この時間の話を終えるに当たって、最後に赦しの秘跡の式のことについて触れながら、心の準備をすることにしましょう。今でも、ある人は「最近告解の仕方が変わったので分からない」ということを仰るのですが、私はそのことで二つの返事をしたいと思います。
一つは、赦しの秘跡と呼ぶようになり、祈りのことばが見直されたのはもうずいぶん前の話ですよね。だから「最近告解の仕方が変わって」というのは的はずれではないかなあ、と思います。もし本当にそうお考えでしたら、昔のとおりの進め方で結構ですので、あずかって欲しいと思います。
私がなりたての頃の体験ですが、「昔の仕方でお願いします」と断って、「いつ、告解をしました」「罪はこれです」「終わりです」とだけ言って、黙ってしまったと言うことがありました。私はあっけにとられまして、「もしかしたら、昔の仕方って、今の仕方よりもぶっきらぼうだったのかなあ」と思いながら、あまりにびっくりして返事ができずにいたら、「もう、終わりです」とまた仰るのですね。案外、昔のしかたでと仰る方と、今の標準的な仕方との違いって、この程度のものなのかも知れません。
また、そうかと思えば、「我罪を犯せしによりて霊父の御祝福をこいねごう」と、文語調の立派な言い出しで始まった告白も体験できました。誤解の内容にしておきたいのですが、今話していることはいっさい本人と分からないように、また、罪の内容はいっさい触れずに話していますので、ご安心いただきたいと思います。
で、その「霊父の御祝福をこいねごう」がですね、私の耳は「霊父のえーんしくしくをこいねごう」と聞こえたわけです。これには参りまして、「えーんしくしくって、この人はいったい何ば泣きよっとやろうか」と、小さな胸を痛めながら、はっきりと聞き取ろうと思って一生懸命耳をそばだてたこともありました。あとで「霊父の御祝福を請い願う」と言っているのだと、やっと分かりました。
それから、「かく覚えたる罪と覚えざる罪とをことごとく痛悔し、これが赦しと償いの恩典を請い求め奉る」と言っているのはよいのですが、途中でうっかり気を散らしたりして引っかかったとします。そこで、「続きは何だったですかね」と言うのはやめましょう。私はその時代の赦しの秘跡の仕方を勉強していませんので、教えてあげることはできません。あしからず。
十字架のしるしをして、いついつからの告白ですとことわりを入れて、罪を言います。罪を言い終わったら、今日までの罪を告白いたしました。赦しをお願いいたしますと続けます。ここで司祭は果たすべき償いを言いまして、悔い改めの祈りを唱えてくださいと告げます。
普通は、ここで「神よ、私はあなたに罪を犯したことを心から悔やみ・・・」と言えば結構です。もし、よく覚えていなければ、従来の「痛悔の祈り」(ああ天主、われ主の嫌い給う罪によって、限りなく愛すべき御父に背きしを深く悔やみ奉る。御子イエズス・キリストの流したまえる、御血の功徳によりて、わが罪を赦し給え、聖寵の助けをもって今より心を改め、再び罪を犯して、御心に背くことあるまじと決心し奉る)と唱えても良いわけです。
赦しの秘跡って、神妙な場なのですが、それ故さらに、笑うに笑えないことがいっぱいあります。「悔い改めの祈りを唱えてください」と言ったところ、「悔い改めの祈り?知らんなあ・・・悔い改めの祈り?」としきりにつぶやくものですから、「痛悔の祈りを唱えてください」と、半分自棄になって言ったわけです。するとその人は、「あー、痛悔の祈りね。それなら分かる」と言って、こう祈りを始めました。「神よ、私はあなたに背いたことを心から悔やみ」「かたーく決心いたします」。現場の私はお腹がよじれそうにあったのですが、必死にこらえて先を続けました。
小さな子供と赦しの秘跡を進めていて、こんな微笑ましいこともありました。その教会は、小学生の場合は衝立を使わずに赦しの秘跡をしていたのですが、すらすらと流れるように唱えてくれる子供に「悔い改めの祈りを唱えてください」と言いましたら、次のようにきっぱりと言いました。「神よ、あなたは私に背いたことを心から悔やみ・・・」。分かりました?「神よ、あなた私に背いたことを心から悔やみ」と言うものですから、「そんなことは悔やまなくていい」と私も返事をしたわけです。

そういうことを考えてみれば、赦しの秘跡のやり方が新しいからできない、その他いろんなことは些細なことです。中には、「目の見え〜ん」「暗くて見え〜ん」と仰るのですが、それは見ようとするから見えないのです。見えなければ、見ない。目を閉じて赦しの秘跡をしても構わないじゃないですか。私はあるときは目を閉じて告白に耳を傾けていますよ。

最後に、私たちは赦してくださるイエス様の深い愛に信頼を寄せることにしましょう。私たちの経験から考えて、赦してあげるということは、その人へのこれ以上ない愛の形だと思います。「あの人は許せない」と言えば、その人への情はもうなくなっているのですが、それでも、赦してあげる、「許せない」と思っているところを赦してあげるときに、私たちは自分の愛の深さを、さらに広げることができるのです。
夫婦の間で、親子の間で、親戚や、知り合いとのなかで、許せない!というようなことがあったかも知れません。それでも明日も、絆を保つためには、赦しが必要です。そこで赦してあげるとき、私たちは自分の体験から、イエス様はいつも私たちをこのように赦してくださっているのだと、実感として分かるようになるのだと思います。その、深い愛から出る赦しに、私たちは信頼して、罪を告白することにいたしましょう。

全能の神と、兄弟姉妹の皆さんに告白します。



【最終回】

私たちは神に定められた時間と場所の中で信仰を守っているのです

もう最後の説教になったのですね。私は、説教をするときに絶対に原稿を用意しないと落ち着いて話ができないほうなので、こうして原稿を準備してみて、今回は説教が四回だった分、ちょっぴり楽をさせてもらったかも知れません。皆さんはいつも通りの四回なのでしょうから、もしかしたら説教のせいで、窮屈な思いをしたことがあったかも知れません。それも、この一回で終わることになります。
最後の話は、自分の置かれている場所を改めて見直し、信仰生活の面で成長し続けようとの決心を作っていただきたい、そのための助けになればと思って話してみたいと思います。

・「いま・ここ」が、あなたの信仰生活を全うする場所と心得ましょう

人間は、置かれたその場所で成長していくものだと思います。置かれている場所もいろいろでしょうが、教会の中にも置かれている場所がありまして、例えば司祭の手伝いをしてくれる侍者も、置かれている場所で成長しているのだとつくづく思います。
とある教会でのことですが、侍者になりたい子を募集したら二人の同級生が申し出ました。どちらも二年生です。結果から申しますと、一人は気が利く子、一人は気が利かない子でして、二人で一組ということで、侍者に使うことにしたわけです。
さて練習をさせて何度かミサにも使ってみまして、気の利かないほうにも、いよいよ大事な部分をさせることにしました。子供の両親もたいへん期待して、緊張してミサにあずかっておりました。気が利くほうがリードして、自分の隣にいるもう一人の子に、こうして、ああしてと教えてくれています。そして、問題の場面がやってきました。
侍者の大事な仕事の一つに、鈴を鳴らすという仕事があります。タイミング良くならしてもらうと、司祭も集中してミサを続けることができますが、タイミング悪いと、やはり気が散るものです。うまく鈴を鳴らせるだろうかと、私のほうも心配でした。
いよいよ近づいてくると、二人で相談する声が聞こえてきます。「ね・ね、もうすぐ一回目の鈴を鳴らすところだよね」「うん」「もうすぐかなあ」「鳴らせ、鳴らせ」「え?鳴らすの?鳴らしていい?」そう言っているあいだに、一回目の場所は過ぎてしまいました。
今度は、パンとぶどう酒が御体と御血に変化するところです。隣で気が利くほうが何度も「鳴らせ、鳴らせ」と言っているのに、「ほんとに鳴らすの?」と言うばかりで、いっこうに鳴らす気配はありません。しまいには私もあきらめまして、「まあ、今日は仕方ない。あとでよく教えておこう」と思うことにしました。
もちろん見ている両親ももどかしくて、信者の席から「はよう鳴らさんか」と手まで振って教えようとしているんです。するとその息子はどう答えたと思いますか?「お母さん、僕ここにいるよ」手を振って返しているんです。あーもうダメ。そんな感じでした。
で、最後に御血を拝領するところもとうとう終わりました。また、次のために教えてあげればいいさと思っていたら、最後にチリンと鳴ったんです。やればできるじゃないかと思って侍者のほうを見たら、片付けるときに鈴が動いた音でした。
まあ、そうやって笑い転げたあの侍者も、聞くところによると中学3年生だそうです。おろおろ、うろうろしていた息子でしたが、数年経つとしっかり新米の侍者を前に、「ああせい、こうせい」と指示を飛ばすようになったというのですから、だれもが置かれた場所で育っていく、成長していくのだと思います。
私が説教をしているときではありませんが、手伝いに来てもらった神父様が説教をしているときに、居眠りして椅子から転げ落ちた侍者もいました。ミサが始まるまで香部屋では祭服に着替えて待つわけですが、待つあいだテーブルに手をかけて頭を下げ、気持ちを集中させていたときに、「ねえ、神父様。悩みのあると?聞いてあげようか?」と言ってきた子もいました。お前に相談する悩みはないと思ったりもしますが、その置かれた場所で、その木成に成長し、育っていくのだと思います。

・「いま・ここ」は、具体的にどういう場所なのか、捉えてみましょう

侍者の微笑ましい話をしばらくしましたが、侍者に使ってもらっている子どもにとって、置かれている場所というものがあります。この席、この椅子のある場所という意味ではありませんよ、「自分が手にしてそれを司祭に渡したり、司祭の動きにあわせて自分も動いたりすることで奉仕する」そういう場所に何人かの子は選ばれたわけです。
この子どもたちは、自分が置かれた場所で、司祭がより美しく、よりふさわしくミサを捧げるために奉仕します。奉仕することで、ほかの子どもたちとは違った成長をさせてもらいます。「ぼくがぶどう酒や水を神父様に渡すと、神父様はそれを受け取って、カリスに入れる。もしぼくがちゃんと渡してあげないと、神父様は困ってしまう」そう考えるだけでも、子どもの中ではたいへんな進歩を遂げるわけです。
聖体拝領をさせているとき、初めのうちは司祭の持っているチボリウム(器)に自分が手に持つ皿をカチンカチンぶつけてしまうのですが、そのうちにもっと上手になっていきます。さっと差し出し、それを引く。舌にのせて聖体をいただく人にはそのように、手のひらに載せていただく人にはそれに合わせて、自在に皿を扱えるようになるわけです。
どの神父様もそうかも知れませんが、私は最初に子どもに声かけるときに、まだ右も左も分からない時期から侍者をさせます。全くのゼロから始まるのですが、私は約束事のように最初の日には、手を合わせることだけ言い聞かせて、慣れた侍者の隣に座らせます。
例えばその子が「太郎」だとしましょう。ミサが始まる前に、ちょっとした訓練です。「太郎、今日から侍者だなあ。緊張してる?そうかあ。一つだけ約束しような。立っているときはどうする?」分からない子もいますが、まあたいていの子は手を合わせます。
「そう。そのとおり。じゃあ座っているときはどうする?手を組む。そうだな」何回か繰り返させます。「立っているときは?座っているときは?」「立っているときは?座っているときは?」「約束だぞ」何のことはないのですが、それでもその子にとっては最初にお願いされた務めですから、一生懸命やってくれます。ミサの終わりに、「どうやったね」と聞くと、中には「難しかった〜」と言う子もいます。な〜んにも難しいことはないのですが、まあ、可愛いじゃないですか。

さて、皆さんの生活の場所、神様から育てていただく場所を、皆さん自身はっきり理解しているでしょうか。あなたが置かれている場所をはっきり掴む条件、私は三つくらいかなあ、と思っています。結婚しているか独身であるか、男性であるか女性であるか、また、同じ信仰を分かち合える人がいるかいないか、こんなことかなあと考えてみました。
皆さんが結婚生活の中に置かれているなら、配偶者と信頼を保つこと、お互いに、許し合うことを通して、置かれている生活の中で成長していくと思います。結婚生活もなかなかに困難であることは私も理解できます。結婚当初は考えもしなかった災難に見舞われることもあります。
お互いにいつまでも健康を与えられるとも限りません。一方が大きな負担をかけることになる場合もあります。病気で負担をかけるかも知れない、あるいは痴呆で、負担をかけるかも知れません。そのような困難をともに担っていくことで、神様はあなたを育ててくださるわけです。
「旦那はもう死んでおりません」と言われて、ちょっと困ったことがありましたが、配偶者を失うことは、それはそれで大きな負担を担って生きることですから、これからも神様への信頼を保って生きることで、信仰者として育てられているのだと思います。
独身生活の方々は、自分の信仰をより自由に保つことができると思います。キリストに喜ばれる一週間を、いろんな制約をおかずに、もっと自由に組み立てることができると思いますので、わがまま勝手な一週間ではなくて、神様のために捧げる時間を結婚している人よりも寛大に取るように心がけましょう。
結婚している人が、手伝うことのできない曜日や時間帯に、教会の奉仕をするとか、社会活動により自由に参加して、信仰を証しするとか、何かに縛られずに奉仕できる身分にあることを心に留めておく。そうすると神様もあるとき声をかけて、信仰を伝える良い場所に導いてくださるでしょう。こうして独身生活者は、より自由に神様と結ばれて、育てていただけます。

男性と女性という違いも、置かれている場所を大きく左右するのではないかと思います。女性はしばしば、思いやりやいたわりの気持ちが強く働くのですから、聖書のたとえ話の中に出てくる「神のいつくしみ」を社会の中で表していくことができます。例えば、「良きサマリア人のたとえ」にあるように、病気やけがをしている人を十分に介護してあげるといったことは、やはり男性よりも女性がすぐれていると思います。
例えば祖父母が入院したというとき、男性はしばしばうろうろするだけで、ほとんどお役に立てません。女性はかいがいしくお世話をし、聖書の中の「良きサマリア人」を生きることができます。女性であることの恵みだと思います。
男性も、女性とは違った良さを持っています。些細な例なのですが、私が波止場でイカ釣りをしていたときに、小さな小舟で一組の老夫婦が港から出ようとしていました。なぜ夫婦で出る理由があったのか知りませんが、その日はお風呂の中で水遊びをしているくらいの波だったのですが、それでも女性のほうが、「もうダメ。もうダメ。帰ってちょうだい!」と言っていました。
まだ防波堤を出て、ちょっとという場所でした。あそこで戻れと言うなら、ばあちゃん最初から乗るなよと言いたかったのですが、やはり厳しい自然の中で漁に励むとか、危険な場所や高い場所で力仕事をするなどとなれば、これはなかなか女性では難しいわけです。男性がいて、そういう務めは果たすことができるのでしょうから、男性と女性で、置かれている場所はさまざまに変わってきます。

また、周りにいっさい同じ信仰の人がいない方もたまにいらっしゃいます。そういう方々は、自分がどこにも理解を求めることができないと、悩んでいるかも知れません。
私は、そういう、一人だけ信仰を受けたという人に、もっと手を差し延べてあげたらいいと思います。教会は、このようなときに、家族になってあげるべきです。社会の中にあって家族として暮らしていても、信仰を見れば周りは皆自分と違う信仰を持っている。そうであれば、もしかしたらたいへんな負担を強いられているかも知れません。
教会は神の家族と言われます。家族であれば、兄弟のことを思いやるべきです。信仰を同じくする人が、健康であるか、病んでいるか、日頃苦しい思いをしていないか、例えば日曜日にいっしょに集まる中で、だれも一人きりにならないように配慮してあげるべきです。
たった一人で信仰を守るよりも、神様は助け合って信仰を保つことを望んでおられると思います。たった一人だけ信仰を得ている方を心に留めておくことは、役員の皆さん、また教会の責任者の大きな務めと考えます。

いくつかの置かれている身分の違いや生活の違いを考えてみました。神様は、今、あなたが置かれている場所をよくご存知です。そして、あなたが置かれている場所で、置かれている仕事の中で、あるいは、今担っている困難の中で、信仰者としてあなたを育て、導こうとされます。神様はあなたが置かれている場所をだれよりも知っておられるのですから、その中でいちばんすぐれた育て方も知っておられます。信頼を持って、置かれた生活の中で信仰を保ち続けて欲しいと思います。
ある時私たちは、「どうしてこんな生活をしているのだろう。私はこんな生活で終わりたくない」とか、「私は理解されていない。私が置かれている場所は不当だ、不正義だ」と悲観する人もいるかも知れません。
ですが、あなたが置かれている場所は、イエス様も置かれているのではないでしょうか。例えば、あなたは日曜日に聖体拝領をして、いまの生活に置かれています。イエス様もあなたの中で、この一週間同じ場所にいたのではないでしょうか。
あなたは不平不満を述べますが、あなたといっしょにいて、あなたを通して働こうと望んでおられるイエス様は、同じように不平不満を持っておられるのでしょうか。そう考えるとき、もっと私たちは自分が置かれた場所を理解しようと努める必要があると思います。
もしも、不当な迫害を受けているとしたら、それは相談が必要ですが、そうでない場合は、もしかしたら、私が描いている生活じゃないことを不満に思っているだけで、置かれている生活をよく理解すれば、その生活にあなたが力を出せることが、きっと見つかると思っています。
信仰と照らし合わせて置かれている生活を考えているわけですが、本当に都合の悪い中にあなたが置かれているとしたら、神様も放ってはおかないと思います。神様みずからが働いて、あなたをより良い中に置きかえてくださると思います。すっかり場所を変えてくださった例を、一つだけ紹介しておきます。
イギリスに、ジョン・ヘンリー・ニューマンという枢機卿がいらっしゃいました。かれは、1801年から1890年まで生きた方で、オックスフォード大学に学び、1824年にイギリス国教会(英国教会)の聖職者となりました。英国教会では、イギリス国王が最高の指導者と考え、ローマ教皇を最高の指導者としていないので、カトリック教会から分かれています。
ヘンリー・ニューマンは、学問研究の中で初期キリスト教の研究に向かいます。教会の初期の時代こそが、カトリックとかプロテスタントとか英国教会といった区別はなかったわけですから、そこにキリスト教の真実の姿を見つけようとしたわけです。
おそらくそのことが改めてカトリック教会を見直すきっかけになったのでしょう。結局彼は、ローマ=カトリック教会こそが初期教会の精神を継承するものだと考えるにいたり、1845年にローマ=カトリックに改宗しました。1846年45歳でカトリック司祭となり、1879年(78歳)にレオ13世により枢機卿に任命されました。
とても華々しい経歴のように聞こえますが、ニューマン枢機卿が英国教会の聖職者の立場から、カトリックに改宗するまでには、深い深い闇を体験したと言われています。ご自身、改宗のいきさつを記した『その生涯のための弁明』(1864)を書いておられるのですが、その書物を読むまでもなく、聖職者としてまかせられた羊を置いて、カトリック教会に移ってくることは、言葉には表せない苦しみ・悩みがあったのではないでしょうか。
ただ、神様はその苦しみ・悩みの中でもいっしょにとどまってくださったのだと思います。どうしても、どうしても移らなければならなくなったときには、神様が場所を変えてくださるのではないか、私はこの枢機卿様の話を思うたびに、そう思うわけです。

・私は本当に「いま・ここ」に住んでいます。キリストの弟子としての生き方を全うしていきましょう。

一人ひとりが置かれている生活の場所は、ほぼ、イエス様がそこで育てよう、成長させようと考えておられる場所だと思います。そうであれば、まずは「この場所で私はカトリック信者としてこれからも育ててもらいたい」と、強く願うことから始めましょう。同時に、「イエス様はきっと、私が今置かれているこの場所で育ててくれるに違いない」と、固く信じることです。
この強い信頼に足って、一週間を実りのあるものにしていく工夫を考え、今年一年間の目標とか、基本のかたちを探して欲しいと思います。私は、日曜日の聖体と聖書に養われて、次の日曜までイエス様の声となるんだ、イエス様の手となり、足となって協力する。
私が生活の中で告げ知らせることのできる声は、こんなことだ、私がおこないでイエス様を知らせるとしたら、こういう形になる。私にとっての「声」と「行い」をはっきり形にする、一つの絵に仕上げる。そこまで、この黙想会でたどり着きたいと思います。
三日間にわたって、私は、生活の中ではっきりイエス様を信じていけるだけの材料を持っているかということから始まって、「声」となり、「行いで証しする」ことに進みました。一週間を目安に、私の暮らしの中にうまく織り込んでいってくださることを願いたいと思います。
最後になりますが、この生月教会に招いてくださった主任神父様を初め、熱心に聞いてくださった皆さんに、心から感謝したいと思います。またいつか、ご縁がありましたら、皆さんともっとゆっくりお話でもできる時間が取れたらいいなあと思っています。
私にとっても、この黙想会を準備しながら、ふだんにも増して一生懸命に神様と向き合う貴重な時間を取ることが出来ました。皆様の教会がこれからもしっかり根を張って成長し続けますように、太田尾に戻ってもお祈り致します。
三日間、どうもありがとうございました。

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