主日の福音13/08/18(No.665)
年間第20主日(ルカ12:49-53)
火によって変えられ火を熱源として持つ

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。」(12・49)今週は、イエスがこの地上に投げる「火」について、考えてみたいと思います。

イエスがもたらす「火」を考えるために、「火」についてすでに知っていることをつなぎ合わせたいと思います。まず、「火」は燃えている状態を指しているので、何か触れようとするものを燃やす力を持っています。海外では、山林で自然に発火し、火災が発生することがあります。

また、火を使って、物の形を変えることができます。鉄は、火によって熱せられ、ものすごい熱さの溶けた状態から、いろんな形に変わっていきます。刀を作る鍛冶職人は、火を使って思い通りの刀を作り上げます。

また火は、熱も持っていますので、近くにいる人から遠くにいる人まで、熱を伝えます。適切な距離にいれば、熱の恩恵を受けますが、近すぎるとやけどをしたりします。その他にもあるかも知れませんが、おおまか、こうした特徴を火は持っているわけです。

今挙げたような特徴を当てはめて、イエスがもたらす「火」を考えてみましょう。イエスが投ずる火に、触れようとするものを燃やす意味合いはあるでしょうか。聖書の出来事を探ってみましょう。

まず思い出されるのは、聖霊降臨の出来事です。使徒言行録第1章で、聖霊が弟子たちに注がれた時、炎のような舌の形をして、弟子たちに聖霊が降ったとされています。

ここでは、ものを燃やす火ではありませんが、弟子たちの心を燃やして、宣教へと駆り立てる火として働いています。イエスの投ずる火は、人の心を燃やす働きがあります。

また、物の形を変える火の働きはどうでしょうか。ここでは、いくつかの秘跡を考えてみましょう。洗礼の秘跡は、人を神の子とする働きがあります。また堅信の秘跡は、洗礼の恵みを強め、聖霊の七つの賜物で大人のカトリック信者に強めます。さらに叙階の秘跡は、もう一人のキリストと言われるほど、イエスの生き方、働き、恵みを人々に分け与える者に変えてもらいます。

ここまで考えると、イエスの投ずる火は、秘跡の恵みとなって人を今までとは違った存在に変える力を持っていることが分かります。他のどんな力も、人を神の子に変えることはできません。イエスが、「その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか」と仰ったことは、秘跡の中でとくに当てはまるかもしれません。

火は、同時に熱も伝えることを考えました。イエスが投じる火に、同じ特徴は見られるでしょうか。イエスによって火が投じられ、その火によって変えられた人が、だれかにその熱を伝えることができます。近くにいる人はより大きな熱意を伝えますし、遠くにいる人にも、何が起こっているのか知りたいと感じるような熱意を伝えることができます。イエスの投ずる火は、熱を伝えることも当てはめてよいと思うのです。

ところで、イエスが投ずる火は、「分裂」をもたらすことにもなると仰います。この「分裂」は、熱を伝えるたとえを考えると少し分かりやすくなるかもしれません。もし、家族の中でイエスの火によって熱意を与えられ、イエスに変えてもらった生活に喜んで身を置く人と、そうでない人がいるとしたらどうでしょうか。

イエスの火を受け入れた人は、熱心にイエスの生き方を取り入れていきますが、同じ家族の人がイエスの火を耐えられない熱さだと嫌うなら、そこにはどうしても分裂が生じるのではないでしょうか。

分裂は、イエスの火を喜んで受け入れるか嫌うかで生じます。イエスは、分裂が生じることを予見しています。イエスの火を嫌って、分裂した人々はどうなるのでしょうか。とくに家族の中で、分裂してしまった場合はどうなるのでしょうか。

わたしは、イエスの火を受け入れるために、長く時間を必要とする人もいると考えました。家族の中でさえ、今はイエスの火を受け入れられない人が現れて、分裂してしまいます。けれども、イエスの火はどんな人にも必要な火です。その人の中で熱源となって、その人を動かすからです。

今は受け入れられない家族がいても、時間をかけて、イエスの投ずる火によって、変えられ、動かされることを願いたいと思います。「父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」(12・53)とあります。分裂は辛い現実ですが、距離ができたことが、イエスの火を理解できるきっかけになるかもしれません。

わたしたちの心と体は、イエスの投ずる火によって神の望む形に変えられ、イエスの火が自分を動かす熱源となります。イエスの投ずる火によって生かされていることに感謝できる人でありたいと思います。そして、周りの人にイエスを感じさせる熱源となれるように、このミサの中で祈り求めましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第21主日
(ルカ13:22-30)
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