主日の福音13/05/19(No.651)
聖霊降臨の主日(ヨハネ14:15-16,23b-26)
聖霊が、イエスを通して御父から注がれる

浜串教会は、今日聖母行列を行ってから聖霊降臨のミサに入りました。聖母行列が、聖霊降臨の意味合いを考える良い機会となりました。「マリアさまに賛美」です。聖母行列は、希望の聖母が設置されている岬から出発します。ということは、必然的に岬までいったん出向いてからでないと行列ができないということです。

ここに、聖霊降臨のお恵みを黙想するヒントを見つけました。イエスによって弟子たちに約束された聖霊は、今日のわたしたちの聖母行列で体験したように、御子イエス・キリストがいったん御父のもとに行ってからでなければ、わたしたちのもとに送ることはなかったのです。ですから、主の昇天と、聖霊降臨は切り離すことのできないものなのです。

先週、わたしは主の昇天が橋を架けることに例えられると言いました。イエスが復活して天に昇り、この地上と神の国とを結ぶ橋を架けてくださったのだと話しました。橋は、もしも一方通行であったらその価値は半分しかありません。橋を通して、こちら側と対岸とを行き来できて初めて、橋の価値は完全なものとなります。

イエスは、天に昇られたことでわたしたちの地上の世界と御父の国とに橋を架けてくださいました。この橋は、実は聖霊降臨を待って完全な役割を果たすことになります。御子イエスがわたしたちの救いを父なる神に橋渡しする、そして父なる神からわたしたちにイエスが約束された聖霊が遣わされる。そうして、イエスがかけてくださった橋は片側通行の橋ではなくなり、橋を通して神の救いのわざが行き来するようになったのです。

中田神父の本心を言うと、先週この考えは頭の中に浮かんでいまして、全部話すこともできたのですが、そうすると今週話すことはもうなくなってしまいます。それで、「橋を行き来することで橋の役割は完全なものになる」と話すのを控えておりました。もしかしたら、先週の話の中で、「橋は相互に行き来することができるはずだが」と考えていた人もいたかも知れません。疑問を持った人がいたなら、大変鋭い感性だと思います。

ここまで来たのですから、橋の果たす役割について説明を尽くす必要があります。この世界と御父の国との橋は、この世界から御父の国へ行くことのできる御子イエスにしか架けることができないものでした。同様に、この橋を通して御父のもとから聖霊が遣わされますが、この恵みもまた、御父のもとからわたしたちのもとへ来ることのできる御子イエスによってしか果たすことができません。

つまり、この橋を行き来することができるのは御子イエスお一人であって、わたしたちはこちらから渡ることもあちらから戻ることも、本来できないということです。ただ、イエスという道を歩むとき、わたしたちはイエスを通してこの世界から御父の国へ架けられた橋を渡していただくことになります。

最も大切なことは、昇天の栄光も、聖霊降臨の恵みも、ひとえに御子イエスの働きによるものだということです。神から人への橋渡し(恵み)、人から神への橋渡し(救い)いずれも、御子イエス・キリストを通して父なる神が一方的に与えてくれたいつくしみのなせるわざなのです。

わたしたちに救われる十分な根拠があったから救いの手が差し伸べられたのではありません。わたしたちに受ける権利があったから恵みが注がれたのでもありません。ひとえに、三位一体の神のあふれるいつくしみのおかげなのです。神のいつくしみが、わたしたちの救いを成し遂げる原動力、聖霊の恵みが注がれる根拠なのです。

今日、わたしたちは聖霊降臨をお祝いしています。聖霊降臨は当然喜ばしいことですが、どのように喜べばよいとお考えでしょうか。もちろん聖霊に対するいくつかの祈りを唱えて聖霊の恵みを喜ぶことができます。それは一つの方法ですが、では祈りの本がなければ、聖霊の恵みに感謝できないのでしょうか。わたしたちはそんなに、愚かで弱い存在でしょうか。

わたしは、聖霊降臨の恵みを喜ぶいちばんの方法は、イエス・キリストに心から感謝することだと考えます。天と地の架け橋となってくださり、約束してくださった聖霊を送ってくださったイエス・キリストに感謝する。聖霊に対する祈りはその中の一つでしょう。ほかにも、だれかに聖霊の恵みを願いたいとき、聖霊の恵みが注がれるようにあなたが架け橋となってあげる。イエス・キリストの姿に倣うことは、何よりイエス・キリストに感謝する方法ではないでしょうか。

どんな場合でも、橋を架けるためには両方の土地に支柱を立てる必要があります。神の国に支柱があるかどうか、わたしたちの心配は無用ですが、わたしたちの世界に支柱は立っているでしょうか。この世界に支柱を置く場所はどこでしょうか。それは、わたしたちの心だと思います。

わたしたちが神に心を開いて、神が支柱を置き、この世界と神の国に橋が架かるように喜んで協力すること。そうして、わたしたちの共同体に、わたしたちの地域に、神の国との橋が架かり、わたしたちの願いを取り次ぎ、聖霊の恵みが注がれるようになるのです。

聖霊が注がれ、わたしたちが聖霊に心を開いて、多くの人に恵みが届くための橋渡しとなれるように、喜んでわたしの今日一日を神に提供しましょう。より多くの人が、この世界とつながる神の国を身近に感じ、神に心を開く人が増えるように、恵みを願いましょう。
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‥次の説教は‥‥
三位一体の主日
(ヨハネ16:12-15)
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