主日の福音13/05/05(No.649)
第主日(ヨハネ14:23-29)
聖霊が教え、思い起こさせる

無事に百周年・五十周年の記念式典を終えてホッとしています。支えてくださった皆さんに、心から感謝申し上げます。5月3日(金)、教区の評議会総会がカトリックセンターで開かれたのですが、大司教さまがわたしを見つけて声を掛けてくださいました。心優しいなぁと感激しました。

今週は3つの朗読を眺めて感じたことを分かち合います。3つの朗読から、「聖霊の働き」に目を留めました。第一朗読、使徒たちがエルサレムで会議を開き、信者の生活に本当に必要なものは何かを協議して、大原則を決めました。その際、次のように前置きしてから話し始めています。「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。」これは、聖霊に祈り求め、聖霊による照らしを受けた結果、導き出した結論が正しいと判断したことを伺わせます。

第二朗読、迫害の最中にあるヨハネが「霊」に満たされて、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見ます。迫害を乗り越えるために「霊」が迫害にある教会を力づけてくださることを経験しました。

福音朗読では、「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(14・26)まさしく、聖霊が与えられたときに、すべてのことを教えてもらえるとイエスは約束してくださいます。

3つの朗読を通して、聖霊の助けが、どれほど大切であるかを教えてくれています。そこで、わたしたちにも聖霊の助け、導き、照らしがどのように注がれているのかを考えてみることにしましょう。

まず、弟子たちとイエスとの関わりから入っていきましょう。弟子たちは3年にわたってイエスと寝食を共にしましたが、十字架の場面ではイエスを捨てて逃げ出してしまいます。弟子たちには、イエスとの関わりが十分に理解できていなかったのです。

けれども聖霊は、イエスを捨てて逃げ出した弟子たちに、彼らにとってイエスとの関わりがどれほど大切かを理解させてくれました。ヨハネ福音書は、西暦90年頃に書かれたとされますから、この場面でイエスが「聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」と言っているのは、振り返って、ああそうだったなぁと納得して書いているわけです。

聖霊は弟子たちにとって、イエスとの関わりがどれだけ大切であるかを教えるだけではありません。わたしたちイエスを信じるすべての弟子にとって、イエスとの関わりがどれだけ大切であるかを聖霊は教えてくれます。そこで、わたしたちにとっての聖霊の働きを考えてみましょう。

考えるにあたって、今年の一つの目の付け所を紹介したいと思います。今年は偶然にも、5月5日「こどもの日」が日曜日に当たりました。わたしは常々、「こどもの日」とは、「こどものためにいちばんよいことをしてあげる日」と考えています。神から与えられたこの子に、何をしてあげることがいちばんよいことになるでしょうか。わたしは、イエスの近くにわが子を置いてあげることだと思います。

もしかしたら、今日はさまざまな行事でミサに参加できていないかもしれません。ミサに参加させることは、こどもをイエスの近くに置くために最も優れた方法ですが、それが叶わなくても、イエスの近くにこどもを置く方法は他にもあると思います。

親の責任で、こどもをイエスの近くに置く。こどもはまだその意味と価値を十分に理解できませんから、こどもの日にイエスの近くに導こうとする親の気持ちを理解してくれないかもしれません。しかし考えてみてください。イエスは、「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」と言われたのです。今は分からなくても、聖霊が、理解させてくださいます。

わたしたちは、イエスの側にいることが生活の基礎であるべきです。そのことを、ミサに来ることで、家庭で祈ることで、聖母月のロザリオで、学ぶことができます。もちろん、学べばそのまま分かるというものでもありません。そのために、聖霊がわたしたちに、イエスとの関わりの大切さを理解させてくれるのです。

こどもたちにもぜひ、イエスと繋がっていることの大切さを、まず体に覚えさせてください。体験によって知ったことを、聖霊はあとになって、ことごとく理解させてくださいます。聖霊の働きがあることをわたしたちが信じること。それが、次の世代にイエスの教えを受け継がせる鍵なのだと思います。
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‥次の説教は‥‥
主の昇天
(ルカ24:46-53)
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