主日の福音13/04/21(No.647)
復活節第4主日(ヨハネ10:27-30)
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける

つい最近国民栄誉賞を受賞することになった長嶋茂雄氏、注目されているからでしょうか、よく特集番組が組まれています。何本か特番を見た中で、現在も懸命にリハビリを続けている様子を特集している番組に心惹かれました。

わたしはリハビリをさせられる経験はありませんが、番組の中での長嶋茂雄終身名誉監督のリハビリの様子を見ていると、相当苦しいものなのではないか、そう感じました。かつて立教大学時代、入学した同期には甲子園で活躍した錚々たるメンバーが集っていて、高校時代ほぼ無名だった長嶋は、だれよりも努力してスターの座を掴んだと言われています。

しかし、その苦しい思いと比べても、脳梗塞に倒れてから失った機能を回復させようとする努力は、比べものにならないほど辛く苦しい訓練ではないか。そう感じました。汗びっしょりになって全身を曲げたり伸ばしたり、マシンを押したり引いたり、文句一つ言わず、トレーナーさんの指示を守って全力で取り組んでいました。

どうしてそこまでできるのだろうか。ちょっと言えばもう後期高齢者のおじいちゃんなのですから、リハビリで苦しむ様子は可哀想でもあります。もう無理しないでいいよと言いたいくらいですが、本人は今も前を向いて、胸を張って長嶋茂雄を生きているのだと思いました。

彼がリハビリを決していやがらない理由を、番組はこう説明していました。大学時代に、だれにも負けないくらい練習して、監督からもしごかれて、「練習は嘘をつかない」ということを体で覚えたのだそうです。そして今は同じように、「リハビリは嘘をつかない」と信じて、見ている方が目を背けたくなるような辛いリハビリを自ら引き受けている。番組はそのように紹介していました。

聞く所では、長嶋さんの奥さんはカトリック信者だそうです。息子の長嶋一茂さんもカトリックの洗礼を受けています。そうすると、どこかで、長嶋茂雄氏もカトリックの教えに結びつくものを見たり聞いたり、また自ら学んだりしているかもしれません。

今週の福音朗読、羊飼いであるイエスと、羊であるイエスに耳を傾ける人々との固い絆、深い信頼関係が描かれているのですが、このたとえ話の羊の姿、わたしは長嶋茂雄氏がだれにも言わずに、自分に今必要な姿として、受け入れているのではないかなぁと思ったのです。

羊は、常に羊飼いによって守られ、導かれなければ生きていくことのできない動物です。実際、方向感覚が弱くて、放っておくとすぐに迷子になって、獣の餌食になる弱い生き物です。そんな羊ですから、羊飼いに従うことは生きる上でとても大切なことなのでしょう。

羊飼いも、羊のことをよく知っています。それぞれの特徴や、弱さまで知っていて、どのように導けば良いのかをわきまえています。だから、羊は自分を任せることができるのです。今日の朗読よりも少し前の箇所では、「ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」(10・5)とあり、やみくもに従っているのではなく、羊は羊飼いを信頼して、自分を委ねているわけです。

放っておけば固くなって動かなくなる体を、トレーナーの人が動かし、トレーナーを信頼して、汗だくになってこんな動きもあるのだよと体に思い出させる。トレーナーを家族のように信頼して、自分の体を委ねてリハビリを続けている。そんな長嶋さんの姿は、やはり今でも背番号にふさわしい毎日を生きているのではないか。そう思いました。

わたしたちはどうでしょうか。イエスを羊飼いとして、全面的に信頼して、一日を始めているでしょうか。全面的に信頼するとは、自分の予想に反する状況の中でも、信じ続けるということです。

努力を続けているのに、思っている結果に結びつかない。こうであってほしいと思う生活ではなく、望んでいないこと、避けて通りたいことが起こる。こんな中でも自分たちを導いてくれる羊飼いイエスを信じ続けることが、今日求められていると思います。

「わたしは彼らに永遠の命を与える。」(10・28)信じる道のりは、易しいことの連続とはいかないでしょう。けれども、導いてくださるイエスは、永遠の命を与えると保証しておられます。わたしたちが、イエスの声を聞き分ける羊と言えるただ一つの状態は、どんな場面でも羊飼いを信頼するという生き方です。わたしたちが羊飼いイエスの羊であるためには、信じ続けることが必要です。

脳梗塞に倒れ、一時は輝かしい場面から消えた偉大な野球選手が、トレーナーを全面的に信頼し、汗まみれになってリハビリを続けています。そうやって、今の生活の中でわたしたちに勇気と感動を与え続けています。

わたしたちが、社会に対して証しするためにも、イエスを信頼し続けることが必要です。わたしたちはだれであっても、どんな場面でもイエスを信頼して生きるなら、イエスを知らない人々に大きな影響を与えることができるのです。「わたしは、イエスの声を聞き分けることができます」と人々に証明する暮らしを続けていけるように、このミサの中で恵みを願いましょう。
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‥次の説教は‥‥
復活節第5主日
(ヨハネ13:31-33a,34-35)
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