主日の福音13/04/14(No.646)
復活節第3主日(ヨハネ21:1-14)
イエスはみことばで食べ物を与える

今週の福音朗読は、イエスが死者の中から復活した後、三度目になるご出現の様子が描かれています。選ばれた朗読で、20年も30年もこの朗読箇所を耳にしていて、まったく気付いてなかったなぁという点がいくつかありました。皆さんにとっても、新しい気づきかも知れませんので、そこから入りたいと思います。

まず、今回の三度目のご出現は、「シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた」(21・2)という設定になっています。数えると7人です。弟子たちは少なくとも11人いたはずですから、この人数は7という数字に意味をもたせているのでしょう。7は教会の7つの秘跡を思い出させますから、後の教会のことを暗示していると思われます。

次に、イエスが「子たちよ、何か食べるものがあるか」(21・5)と弟子たちに尋ねます。わたしはこの問いかけは、てっきり「魚は捕れたか」という意味なのだと思っていました。「魚は捕れたか」という解釈もあるようですが、厳密には漁があったかどうかを聞いているのではないようです。実際は、漁のあるなしにかかわらず、「食べ物をもっていないようだね」と尋ねていて、「わたしが食べるものを用意してあげよう」という思いがあるのです。

そして、わたしが見落としていた点でもっとも驚いたのは、次の箇所です。「さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。」(21・9)弟子たちは食べ物がなくて、漁に行ったはずです。この陸にあったパンと魚はだれの食べ物なのでしょうか。復活したイエスの食べ物だったのでしょうか。

さて、わたしにとってほとんど見えていなかったこれらの部分をつなぎ合わせると、次のように言えると思います。復活したイエスの三度目となる今回の出現は、最初から食べ物を与えるためのものであった、ということです。すでに炭火がおこしてあり、魚もパンも用意してあったというのも、弟子たちに食べさせるためにイエスが先に用意していたのかも知れません。

もう少し話を進めましょう。最初から、イエスが弟子たちに食べ物を与えるために出現されたというのは分かりました。では今週の朗読箇所ヨハネ21章は、ただそのことを書き記すための物語なのでしょうか。もっと、広がりのある物語だと思います。

7人のグループにイエスは食べ物を与えてくださいました。これは、後の教会を表していますから、復活したイエスは、今を生きる教会共同体にも、食べ物を与えてくださることも含まれています。

この7人の弟子のグループは、漁に行くことで食べ物を手に入れようとしました。「漁に行く」ことはすなわち「外に出て行く」ことです。社会に出て、生活の糧を得ようとするのは、現代のわたしたちも同じです。すると、復活したイエスは社会に出て行くわたしたちにも、食べ物を与えてくれると教えておられるのです。

興味深いのは、復活したイエスの、食べ物の与えかたです。かつてイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、感謝の祈りを唱え、裂いてそれを弟子たちに与えてくださいました。今日イエスは、違う形で食べ物を与えてくださいます。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」(21・6)「さあ、来て、朝の食事をしなさい」(21・12)と言葉を掛けて食べ物を与えてくださいました。つまり復活したイエスは、みことばで、弟子たちに食べ物を与えてくださったのです。

同じことは、わたしたちにも当てはまるでしょう。復活したイエスは、今わたしたちの前に現れて、みことばで食べ物を与えようとしておられます。キリスト者であるわたしたちが、社会に出て生活の糧を得ようとするとき、みことばを通してわたしたちに食べ物を与えてくださいます。陸に上がってみると、すでに必要なみことばが用意され、食事ができるように整えられています。イエスはいつも、先回りをして、みことばで食べ物を与えてくださるのです。

福見教会・高井旅教会は4月29日に記念の日を迎えます。福見教会献堂100周年、高井旅教会(正確には52年目ですが)献堂50周年です。ここまでの歩みも立派なものでしたが、これからの歩みは違った意味で困難な道、険しい道を歩むことになるかも知れません。

信徒の高齢化、過疎化、また生活から信仰が薄れてきている危険もあります。そんな中で、これから生活の糧をどこに求めるかと考えたとき、教会に自分たちの食べ物があるだろうかと疑いをもつ人も出てくるかも知れません。

イエスはそんなわたしたちに、今も声を掛けてくださいます。わたしは、みことばであなたたち教会家族に食べ物を与える。教会の外に食べ物を求めに行っているその場所で、みことばを与え、網が破れそうなほどの食べ物を与える。教会に戻って集まっているその場所で、先回りしてみことばによって食べ物を与える。イエスは今も、わたしたちを奮い立たせようとしておられるのです。

4月29日の式典で、福見教会・高井旅教会ともに祭壇を新調します。祭壇は、イエスの食卓のしるしです。祭壇を新しくすることで、新たな心で、イエスのみことばと御聖体から食べ物をいただき、100周年50周年のその先へと歩みを続ける力をいただけるでしょう。

イエスは今も、みことばによってわたしたちに食べ物を用意してくださいます。外に食べ物を探しに行ったときも、祭壇を囲んでいるときも、復活したイエスのみことばがわたしたちを生き生きとさせ、主を思い出すことができますように、このミサの中で恵みを願いましょう。
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‥次の説教は‥‥
復活節第4主日
(ヨハネ10:27-30)
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