主日の福音13/03/31(No.644)
復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
イエスは必ず死者の中から復活する

あらためて、主のご復活おめでとうございます。このあいさつを、今年、上五島の11の小教区が、11人の主任司祭によって交わされるのはおそらく無理だろうと思っておりました。いつかお話ししたと思いますが、1つの小教区の主任司祭は昨年夏脳出血に倒れ、リハビリ生活に入っていたからです。

ところが、この後輩司祭は、該当する小教区信徒の報告によると、聖火曜日に小教区に戻り、何と聖木曜日からの聖なる三日間の典礼をこなし、小教区復帰を果たしていると言うのです。三日間の典礼をどのように執り行ったかまでは聞いておりませんが、驚異的な意志の強さだと思いました。

聖火曜日は、長崎の浦上教会で聖香油ミサが執り行われ、今わたしが話している後輩司祭もミサに参列していました。実はそれより前の3月17日の叙階式にも彼は参加していたのですが、正面玄関からの入堂には加わらず、前もって自分で決めた席で司祭団の入堂を待って、一緒にミサをささげたのです。

以前にも話したと思いますが、右半身はいまだに機能が回復していません。右手はぶらりと下がったまま、右足も引きずってようやく歩いているといった状態でした。しかもどこで転んだのか、右目を覆うように握りこぶし大のあざができていました。およそ10日後の聖火曜日でも、状態はほとんど変わりませんでした。

つい最近まで大相撲春場所が行われていました。力士は場所中に怪我をした場合、怪我を押して土俵に立つことも、大事を取って休場することも選べると思います。わたしが若手司祭と同じ立場だったら、おそらく休場を選択することでしょう。しかしこの司祭は、あくまで土俵に立つことを――司祭ですから土俵ではなくて祭壇ですが――に立つことを、選んだのです。

わたしはこの後輩司祭を褒めるつもりもけなすつもりも、どちらの意図もありません。ただ言いたいことは、祭壇に立つのでしたら痛いのなんのと言って欲しくないと思っています。休む権利も持っていて、いろいろ言われることを承知の上で祭壇に上がってきたのですから、一人でこなすべき部分は一人でこなし、だれからも何も言われなくても当たり前だと思って欲しいのです。

「わたしは病人なんだから、周りが手助けしてくれるのが当然だ」とか、そういうことをもしどこかで漏らすのでしたら、はっきりお休みをいただいて、もっとリハビリを続けてから復帰して欲しいと思っています。もちろん、足を引きずってでも祭壇に上がってきたその気持ちは、認めたいと思います。

今回わたしは「復活の主日・日中のミサ」に選ばれたヨハネ福音書第20章の9節、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」(20・9)という箇所を、小教区に復帰した司祭のことを思い浮かべながら考えてみました。

同じ地区で働く他の司祭たちは、本人のことを心配してあえて厳しい言葉を掛けています。わたしたちはわたしたちの立場で話しかけているわけですが、彼自身は、わたしたちには分からないような死者の国までいったん行ったのかもしれません。そして、イエスが必ず死者の中から復活されることになっているのであれば、いくらかでも「死」の体験をした彼は、今回イエスの復活の何かの部分に触れたのではないでしょうか。

すると、今回小教区に復帰した同僚司祭は、自分の体験で「死者の中からの復活」を教えてくれているのかもしれないと思いました。評価はさまざまあると思いますが、自由にならない体を引きずって、ほかの司祭の何倍も時間を使って、何かをしようとしています。

そこまでの死ぬ思いをしたことのないわたしにとっては、思い通りにならない手足を引きずって、脂汗をかいて一つひとつの所作をこなすその気持ちを十分には理解できません。しかし考えてみれば、イエスが真っ先に「死」というこれ以上ない不自由な状態から復活したのです。

イエスはまったく自由のない状態にいったん置かれて、それから栄光の姿をまとったのです。この驚くべき出来事が「死者の中からの復活」のはずです。今回復帰した司祭は、ほかのどの司祭よりも不自由を味わったのですから、ある意味上五島地区でいちばん、イエスの復活について学びを得たのかもしれません。

弟子たちが空の墓を見ても驚くばかりで聖書の言葉を十分理解できなかったように、わたしたち司祭もしばしば頭でっかちで、言葉を連ねる割には真実が見えていないのかもしれません。長く十字架にはりつけにされ、今も自由を奪われたまま、その体を引きずって祭壇に這い上がってきたこの後輩司祭の体験談に、耳を傾けてもよいのかなと思いました。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
神のいつくしみの主日
(ヨハネ20:19-31)
‥‥‥†‥‥‥‥