主日の福音12/11/18(No.619)
年間第33主日(マルコ13:24-32)
千年を一日のように過ごす

年間第33主日を迎えました。年間の季節は、来週の「王であるキリスト」の週で最後になります。この年間の季節の終わりを利用して、教会は「終末」について考えさせようとしています。

「終末」は、どちらかというと言葉の響きに「滅びる」という感じがあります。医療でも「終末医療」「終末期医療」と言うと「重い病気の末期で不治と判断されたとき、治療よりも患者の心身の苦痛を和らげ、穏やかに日々を過ごせるように配慮する療養法」という特別なお世話を意味しています。

イエスが今週の福音で語ろうとする「終末」は、どのようなものでしょうか。天体に異変が起きて、人の子が大いなる力を栄光を帯びて雲に乗って来ると仰います。その瞬間を想像するのは難しいですが、そこに人々が居合わせた時、どんな態度を取ることになるかは想像できます。2通りの人々、1つは恐れに囚われる人々、もう1つは希望に満ちてその時を迎える人々です。

天地が過ぎ去り、人の子が力と栄光を帯びて現れる。これは、この世のものがすべて意味を持たなくなり、人の子がすべての人にとってすべてとなることを意味しています。ですから、もしもこれまでの生活がこの世に頼り切って、神の子イエスへの信頼を持たずに生きていたなら、終末のその日がやって来ると、恐れに囚われることになるでしょう。

一方、この世はいつか過ぎ去ると知って、過ぎ去らないもの、神の子イエスへの信仰に生きてきた人々にとっては、この世のすべてが過ぎ去って神の子イエスがすべてとなったその時は、希望に満ちた場面となるはずです。わたしたちは、この世の終わり、終末がいつになるか分からなくても、それがいつやって来ても今の暮らし方次第で恐れおののく日になるのか、希望に満ちて迎えることになるのかが決まってくるわけです。

そうであるなら、終末を考える場合、それがいつになるのかを推理するよりも、今をどのように過ごすかのほうがよほど大切であるということが分かってきます。終末は千年後かもしれませんし、すぐそこまで来ているのかもしれません。

いずれにしても、わたしたちが今を、過ぎ去るこの世に絶対の信頼を置くのではなく、決して過ぎ去らない神の子イエスへの信仰に土台を置いて生きる。この生き方さえ変えなければ、恐れるものは何も無いのです。

では、神への信頼を置いて生きる姿を、もう少し具体的に考えてみましょう。先週中学2年生の6人は、堅信の秘跡を受けました。大司教さまの前に1人ずつ出て、聖香油を額に塗ってもらい、「主の平和」と肩をポンと叩いてもらったのを覚えているでしょう。

ちなみに、昔の堅振の秘跡では、「主の平和」と声を掛ける時は、司教さまが受堅者の頬を平手打ちしていたそうです。強い信仰を持っているかどうかを確かめる儀式だったのかもしれません。

わたしは、この堅信の秘跡を受けた1日のような過ごし方を、毎日の生活の中で繰り返して欲しいと思っています。大司教さまに毎日会いに行くという意味ではなくて、大司教さまを迎えるために、朝からどんな過ごし方をしただろうか、1時間前にはどんな気持ちで待っただろうか、ミサの間は、どんな心で過ごしただろうか。実際に秘跡を受けてから、どれくらいの喜びを感じただろうか。そんなことを思い出して、毎日の生活に活かして欲しいのです。

堅信式のミサの時、皆さんは今までの中でいちばん気を引き締めてミサに参加したはずです。堅信式のミサでご聖体拝領をした時、いちばん緊張して拝領したはずです。その気持ちを忘れずに、ふだんの教会のミサに参加し、聖体を拝領しましょう。

司教さまがささげておられるミサも、主任司祭がささげているミサも、同じ緊張感で参加しているなら、いつ終末の時がやって来ても恐れる必要はありません。ご聖体を司教さまから授かった時と同じ気持ちでいつもの日曜日に聖体を拝領するなら、終末の日を、希望に満ちて迎えることができるはずです。

堅信を受けた中学生を例に取りましたが、すべての人にとって、今を信仰に固く根ざして生きるコツがあります。それをことばで言い表すと「千年を一日のように過ごす」ということです。

ペトロの手紙2の3章8節に次のような言葉があります。「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」

あと1日しかなかったらどのように過ごすか、千年続けてもかまわない生き方があるとしたらどのような過ごし方か。この機会に考えてみましょう。すべての人にとってそれは、「神の子イエスへの信仰に根ざした生き方」のはずです。

今日の聖体拝領、司教さまから授けてもらっているつもりで拝領してみましょう。一つ一つのことに、いちばん心を込めた時のことを思い出して、今日を過ごしましょう。その積み重ねの先にもし終末のその日がやって来ても、わたしたちは希望に満ちあふれてその日を迎えることができるはずです。
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‥次の説教は‥‥
王であるキリスト
(ヨハネ18:33b-37)
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