主日の福音12/11/11(No.618)
年間第32主日(マルコ12:38-44)
どれだけ行いに愛を込めることができるか

先週からようやく、来年1月の司祭団マラソン大会のトレーニングを開始しました。46歳にもなると、練習を開始する決心をすることがまず大変です。「外は寒いだろうなぁ」と思っただけで練習を明日に延ばしてしまいます。実際外に出てみると思ったほど寒くはないのですが。

浜串教会バス停からマリアさまの手前まで6往復しようと思って走り始めますが、最初はその6往復ができないのです。6往復で8キロ走ったことになるのですが、頭が「6往復し終わった時には相当疲れるだろうなぁ」と考えてしまうと、4往復5往復した頃に「いやー、今日はよそう。次回あらためて6往復しよう」と、脳が諦めてしまうのです。

大会当日は10キロのコースが予定されていますから、8キロくらいはふだんからどんな状態であっても走れないと結果は出せません。「今日はやめとこうぜ」と誘惑する脳を何とかだましだまし、練習を積み上げようとしている所です。

わたしはもともと運動音痴なので、この司祭団マラソンくらいしか安定して良い結果を出せるスポーツがありません。まぐれで結果の出るスポーツはあるかも知れませんが、マラソンは、練習さえ積めばきっちり結果を出すことができます。

ですから、この司祭団マラソン大会に賭ける思いは大きいのです。それは、今週の福音朗読でイエスがやもめの献金を見て仰った言葉に通じます。「皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(12・44)

朗読された福音書に登場する大勢の金持ちと貧しいやもめ、両方の献金にどれほど開きがあったか、そのことも記されています。「皆は有り余る中から入れた」ここには、お金をいくらぐらい入れたかが描かれていませんが、それは裏を返せば、いくらにもならないお金だったということです。手放しても気にならないほど、微々たる額だったのです。

これに対し、貧しいやもめが手放したお金は、覚悟を決めてささげたお金でした。「自分の持っている物をすべて、生活費を全部」献金箱に入れた。この世で生きるためのすべをささげ、神にすべてを頼って今日を生きる。その覚悟をもって、すべてを入れたのです。

マザー・テレサは、愛の行いの心構えとして次のように語りました。「大切なことはどれだけたくさんのことや偉大なことをしたかではなく、どれだけ心を込めてしたかです。」金持ちが投げ入れた献金と、貧しいやもめが入れた生活費全部とでは、どれだけ心を込めてしたかに大きな開きがあります。イエスがとらえていた貧しいやもめの心構えを、マザー・テレサも見事にとらえていたということです。

わたしたちは他にも、この貧しいやもめと同じようにどれだけ心を込めて愛のわざをおこなうことが大切であるか、教えてくれるお手本を持っています。

皆さんは幼きイエスの聖テレジアという聖人をご存じでしょう。彼女は、幼くしてカルメル会という観想修道会に入りましたが、彼女には他にも姉がいまして、そのすべてが修道女になり、しかも1人をのぞいて全員がリジューという土地の同じ修道院に入ったのだそうです。ですから姉たちは目の前で妹の修道生活を見て生活したことになります。

妹テレジアは、亡くなってから28年という異例の速さで列聖されました。その時のことを、姉のシスターが「妹がなぜ列聖されるのか分からない」と言ったのだそうです。幼きイエスの聖テレジアの偉大さは、どれだけ神への愛に燃えて修道生活を送ったかを、「右の手のしていることを左の手に知らせない」(マタイ6・3参照)ほど、隠れた主にのみ仕えて暮らしたということです。

今週の福音でわたしたちに求められていることは、今の自分に持てる愛情のすべてを込めて、目の前の一つ一つのことを果たしなさいということだと思います。何かの行事に参加するにしても、ある人はあふれんばかりの健康に恵まれています。ある人は、その場に参加するだけで精一杯という人もいます。どんな状態であれ、どれだけ心を込めて愛のわざを行うかが、問われているのではないでしょうか。

今日、午後2時から、浜串小教区の6人の中学生が堅信式に臨みます。堅信の秘跡を受けて、大人の信者の仲間入りをします。準備は、それなりに整えてきたわけですが、本人がどれくらいの思いで、堅信の秘跡を受けたいと願っているのかが大事です。

堅信の秘跡を受けると大人の信者の仲間入りをするのですから、これからカトリック信者として、責任を引き受けるということを意味します。自分の人生を、カトリックの信仰を土台にしてしっかり歩いて行くこと。教会の公の礼拝であるミサに、これからも積極的に参加すること。今週の朗読のように、献金箱に入れる献金も、親から渡されたからそれを投げ入れるのではなくて、この献金が、神の国の完成のためによりよく使われますように、そういう思いを込めてささげること。大人にはそういう姿が期待されています。

また、これからさらに高い教育を受けるために進学し、自分で働き、一緒に生活していく相手を見つけ、自分で国の政治家を選んだりします。教会の教えがもっとよく理解できる人になりたいとか、イエスの教えがより人々に広がっていくお手伝いをしたいとか、そういう気持ちを持って、堅信の秘跡を受けてもらえたらと心から願っています。

大人の信者と言われるには、中学2年生はまだまだ頼りないかもしれません。けれども、堅信式で聖霊の七つのたまものは確実に注がれます。わたしは、聖霊の七つのたまものが注がれた人として、これから彼らの意見に耳を傾け、尊重してあげたいと思います。

堅信を受ける受堅者が、これからの信仰生活、すべてを神に託して前に進む人になれるように、皆さんで一緒に祈ってあげましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第33主日
(マルコ13:24-32)
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