主日の福音12/10/14(No.614)
年間第28主日(マルコ10:17-30)
天に富を積むために
誰でも、もう一段上の状態、さらに上のレベルに進めたらなぁと思うことがあるでしょう。スポーツでは今まさに日本のプロ野球もアメリカのメジャーリーグも大詰めを迎えていますが、打率が3割ちょうどの選手は、3割3分打ちたいという気持ちは必ず持っていると思います。
また、仕事で考えれば年収が300万円の人は、400万円にアップするともっといいなぁ、そのために課長か係長か部長になって、がんばりたいなぁと思っている人もいるでしょう。
学問の世界では、今年のノーベル賞医学・生理学賞を京都大学の教授が受賞しましたが、あくまでこの教授の研究は基礎研究で、まだ再生医療で患者を救ったわけではありません。当然今の研究を、患者を救うところまで進めたいなぁと思っていることでしょう。
いろんな立場の人が、自分の今の立ち位置から、さらに上を目指していると思います。ちなみにわたしはどうかと言いますと、たとえば何かの役職、上五島地区の地区長になりたいとか、あるいはどこかの教区の教区長になりたいとか、そういうことは目指しておりません。そんなことではなく、よりイエスの役に立つためには、さらに何をすればよいのだろうか、それはよく考えます。
そこで今週の福音朗読に登場した人物に繋がっていきます。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」(10・17)彼は、「何をすればよいでしょうか」と尋ねました。続くイエスとのやり取りで明らかなように、彼は周囲から十分評価されるだけの生活を維持してきたのです。さらにその上に、何を積み重ねたらよいか、知りたかったのでした。
イエスはまず、「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」(10・18)と言ってこの人の目を神に向かわせ、その上で十戒を思い出させる言葉を投げかけます。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」(10・19)
それに対してこの人は「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と答えたのです。どんな心境だったのでしょうか。1つは、それらを十分守ってきたという自負心があったのかもしれません。もう1つは、幸いに、それら十戒の掟を子供の時から守ってきて、ほっとしたのかもしれません。でもさらに、何かを積み上げて「永遠の命」を確実なものとしたい。それがこの人の今の望みだったのだと思います。
イエスは何と答えたのでしょうか。ひとことで言うと、「何かを積み上げて永遠の命を確かなものとするのではない。むしろ、いっさいを捨てて、永遠の命を確かなものとするのだ」と答えたのだと思います。
「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。『あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』」(10・21)
たしかに、彼は金持ちでした。「その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである」(10・22)とあります。もちろんイエスはこの人が金持ちだったから持ち物を売り払い云々と言ったわけですが、金持ちの話に終わらせてしまうと、わたしたちの多くは、自分とは関係のない話と受け取るのではないでしょうか。
そこで、今週の出来事がお一人お一人に必ず関係があることを理解するために、もう一度整理しておきたいのです。イエスは彼に、「さらにその上に何かを積み重ねるのではなく、いっさいを捨てることで、永遠の命に近づくのだ」と言いたかったのです。
何が求められているか。福音朗読に登場した金持ちは財産を売り払うことでしょうし、スポーツ選手はこれまでの技術、経験をいったん横に置いてまったくのゼロから次の高みを目指すことです。より上の年収を望む人も、今の状態に満足する気持ちをいったん捨てる必要があり、基礎研究で名声を手に入れた教授の方も、この興奮から離れて、また一から出直して目標に向かっていく。そうして目指すものが手に入るのではないでしょうか。
わたしも、よりイエスの役に立つ道具になるために、今まで書いてきたもの、今まで話してきたこと、この場面ではこのように接してあげるとよいといったような経験、そうしたものをすべて手放して、何度も何度も自分をゼロの状態にしていく。そうすることでもう一つ高い次元で、イエスさまのお役に立てるのかなぁと思っています。
皆さまにとって、「持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」というイエスの呼びかけは、どのように当てはまってくるのでしょうか。病気をして、これまで自分の宝物と思っていた健康を失ってしまった。これも、持っている物を売り払うことになるかもしれません。健康を失って、それでもイエスへの信仰に留まることができるなら、私たちは天に富を積むことになるのです。
事情があって、慣れ親しんだ仕事を取り上げられることがあるかも知れません。職場内の配置転換で、不本意な思いをするかもしれません。そうした時が、あなたにとって「持っている物を売り払う」体験になるかもしれません。その時になお、イエスへの信頼を保って前を向けるなら、天に富を積むことになるでしょう。
ペトロは、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」(10・28)と胸を張って言いましたが、彼もまた、十字架に向かうイエスを前に三度「そんな人は知らない」と言って、一番弟子であるという自負心を打ち砕かれ、打ち砕かれてイエスの羊を任せることのできる本当の弟子に変えられたのでした。
金持ちの出来事は、だれもが通らなければならない道です。わたしにとって、持っている物を売り払い、だれかにその恩恵をすべて譲るということはどういうことだろうと、じっくり考えてみましょう。ただで受けた物をすべてただで与える時、わたしたちはさらなる高みに招かれるのです。
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‥次の説教は‥‥
年間第29主日
(マルコ10:35-45)
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