主日の福音12/08/26(No.607)
年間第21主日(ヨハネ6:60-69)
永遠の命の言葉を語り続けるために

今年の夏休みが始まるにあたって、子供の休み中は、親子で早朝のミサにあずかる良い機会だから、参加しましょうと呼びかけたはずですが、とうとう誰も来ませんでした。残念です。

写真を説教台に貼り付けています。タイトルは、「グリーンランドナウ」です。佐世保市の大野教会の後輩神父さんが、fecebookにアップした写真をお借りしました。小学生、「グリーンランドいいなぁ」と思いますか?この写真には次のようなコメントが付いていました。

「これが最新のアトラクション、地上59メートル・天空の回転ブランコ『ゴクウ』です。毎朝がんばってミサに来た15名の子供と共に楽しんできました。」聞きましたか?毎朝がんばってミサに来た15名の子供たちだって。

来年あたりどうですか。朝の6時にミサに来て、そのままラジオ放送で体操をして、豪華な遠足。今週休暇を取るので朝のミサがありませんから、今となっては主任司祭の遠吠えでしかありません。

この主日のミサを終えましたら、夏休み休暇をいただきたいと思います。休暇中は放電して何もしないつもりです。実家にしばらく滞在することもそれなりに意味があるのかなぁと思っております。

休暇中、代わりの神父さまが居りませんので、皆さまにはご不便をおかけすることになると思います。司祭がいないということは、司祭でしかできないこと、司祭だけに委ねられている奉仕が受けられないということです。その点は申し訳なく思っております。ミサはこの期間お休みになりますが、釣りには行きたいと思っていますので、近くをウロウロするかもしれません。

今週は堅信組の中学生に叙階の秘跡について福音と結びつけながら話したいと思います。叙階の秘跡は、男性のカトリック信者を、神さまがご自分の使命を果たし続けるために選び、司祭とする秘跡です。12使徒がまず叙階の秘跡の恵みを受け、使徒の後継者である司教が続き、現在ではそれぞれの司教が、司教の協力者として司祭を叙階しています。

司教の協力者として、司教に叙階していただく司祭、いろんな協力のために派遣されていきますが、まずは小教区の司牧のために派遣されます。ほかにも、将来司祭を目指している神学生を育てる神学院とか、教区全体の活動を取り仕切る教区本部事務局に入るとか、結婚問題など法的な内容を取り扱う部署とか、中には大学の先生であったり留学させて勉強を積んでもらったり、ほかの教区を支えるために派遣されたり、カトリック中央協議会で全国的な働きをしたりします。これらすべてを司教さま一人で果たすことは不可能ですので、協力者である司祭を叙階し、教区を守り導いているわけです。

この、司教さまと司祭が一致して取り組んでいる働きは、「命を与える霊の働き」と言うことができると思います。今週の福音朗読に、「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたに話した言葉は霊であり、命である」(6・62-63)とあります。命を与えるイエスの霊の働きを、司教と司祭は世の終わりまで受け継いでいくのです。

「命を与える霊の働き」と言いました。それはどんなものでしょうか。それはわたしたちがどんなに素晴らしい存在かを明らかにする働きです。人間の命がどんなに素晴らしいか。それは洗礼によって一人ひとり聖なるものとする恵みが注がれるほどです。ほかの生き物には、聖とする恩恵「成聖の恩恵」は与えられません。

また、イエス・キリストがご自分の御体と御血を、食べ物として与えてくださるほど人間は尊い存在です。人間の救いのためにイエスはご自分の命をささげてくださいました。天使のためには命をささげませんでした。

さらに罪をゆるして清めてくださり、聖霊の七つのたまものを注いで強めてくださり、一組の男女を夫婦として祝福し、神の創造のわざに参加させてくださり、命の危険にさしかかった時は病人を訪ねていって励ましてくださいます。人間に注がれるありとあらゆる神の恵みが、人間はどれほど尊い存在かを明らかにしてくれるのです。

人間の尊さ、素晴らしさを証明するすべての恵みを、目に見える形で示すために必要なものは何でしょうか。それは叙階の秘跡を受けた司教・司祭の存在です。叙階の秘跡を受けた司教・司祭が、七つの秘跡を通して示される人間の素晴らしさを目に見える形にしてくださいます。

人間の価値、人間の尊さをイエスはご自分が語る永遠の命の言葉で極みまで証明してくださいました。イエスに耳を貸さず、イエスから離れていった人々もいました。けれどもすべてを捨てて従い、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」(6・68-69)と立派に答えた弟子も必ずいたのです。

イエスが、わたしたちの素晴らしさを永遠の価値にまで引き上げてくださいました。その働きを、叙階の秘跡を受けた司教・司祭は受け継いでいきます。司祭を目指してから司祭に叙階されるまで、中学生からだと16年もかかります。けれどもイエスさまの働きを受け継ぐ司祭の働きは、その1つひとつに永遠の価値があります。

ぜひ子供たちの中に、青少年の中に、日本の社会が与えることのできない価値を人に与える司祭を目指す人が生まれることを願います。イエスが与え続ける永遠の命の言葉を、受け継いで語る司祭が1人でも2人でも与えられますように、今日のミサの中で願いましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第22主日
(マルコ7:1-8,14-15,21-23)
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