主日の福音12/05/27(No.593)
聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)
聖霊はイエスをあますところなく教える

聖霊降臨の主日を迎えました。イエスによって約束された弁護者、真理の霊が、聖霊です。特に今年は、真理の霊と呼ばれていることに触れて、聖霊について考えたいと思います。

弟子たちはイエスに選び出されてから、3年間イエスと生活、行動を共にしました。その間、聖霊を送る約束はいただいていましたが、実際に聖霊が注がれるのはイエスが御父のもとに昇ってからでした。

今になって思うのですが、イエスはなぜ、ご自分が弟子たちと共におられた時に、聖霊を弟子たちに送らなかったのでしょうか。別の箇所では、「わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」(ヨハネ16・7)とあります。イエスのこのような言葉を重ねて考えると、やはりイエスがおられるあいだは、聖霊を送る時ではないということになります。

そこでわたしが考えたのは、聖霊はイエスと別の何かを教えるものではない、聖霊は、御父とイエスのことを教えてくださる霊なのだ、ということです。聖霊がイエスのことを余すところなく教えてくださるのであれば、目の前にイエスがおられるあいだは、「イエスとはこのようなかたである」という弁護者は必要ないわけです。目の前にイエスがおられるからです。

ここで聖霊のもう1つの呼び名、「真理の霊」について考える必要が出て来ます。「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(16・13)とあります。では「真理とは何か」が問われるのです。それはつまり、イエスとはどのようなおかたであるか、ということです。

今回の説教で参考にした材料から、4つの特徴を取り上げます。1つは、イエスは神の愛を人々にすべて示しました。弱い立場の人に対して、病気の人に対して、悲しみの中にある人に対して、神が人間に注ぐ深い愛のすべてを示してくださいました。

2つめに、イエスは交わりをもたらすかたでした。神が、人となってくださったことは、神が人間に交わってくださった何よりのしるしでした。イエスは罪人と呼ばれる人とも交わり、すべての人と交わりました。

3つめに、イエスは永遠のいのちを与える方です。「子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです」(17・2)とあります。イエスを信じる者すべてに、永遠の命を与えてくださいます。

4つめとして、イエスは祈るかたでした。大切な決定をなさるために、朝早く、一人静かな場所に行って祈りました。受難の場面を目前にして、苦しみもだえながら祈りました。十字架の上でも祈りました。こうして御父に祈ることで、御父の望みに忠実であり続けました。

聖霊は、イエスのこの4つの特徴を、弟子たちに忠実に教えてくださる霊なのです。真理、そのすべてをわたしがとらえたわけではありませんが、イエスの真理の4つの特徴を、聖霊は余すところなく弟子たちに教えてくださるのです。

4つ、もう一度確認しますと、神の愛を示し、交わりをもたらし、命を得させ、御父に祈るということです。イエスが生きられたように、わたしたちの信仰生活を導くために、今聖霊がわたしたちに注がれます。わたしたちはイエスの4つの特徴を、聖霊によっていつも教えてもらうことができます。あたかもイエスがそこにいるかのように、教えてもらえるのです。

特に堅信の秘跡を準備している皆さんに、この聖霊の恵みを願って欲しいと思います。堅信を受けようとしている皆さんが、イエスが生きたように、この時代の中で生きていく。そのための助けが、与えられるからです。

特に、証しをする力を願いたいと思います。「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。」(15・27)わたしたちは何をどうすればよいのか、ほとんど分かっていません。どうすれば、イエスを知らない人々が、「あなたの信じている神について、わたしにも教えてください」と近づいてきてくれるのか、ほとんど分かっていません。

カトリック教会が2000年の長きにわたり、受け継がれている一方で、教会は完全に一つではなく、分かれています。どうすれば一致できるのか、ほとんど分かっていません。

今信仰の大切さを理解している人が何とか教会を維持していますが、次の世代が同じように維持してくれるのか、ほとんど分かりません。さまざま、難しい状況が存在します。そんな難しい中で、もっとイエスそのものを聖霊に悟らせてもらい、証しによる実りが与えられるよう、このミサの中で恵みを願いましょう。
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‥次の説教は‥‥
三位一体の主日
(マタイ28:16-20)
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