主日の福音12/02/05(No.574)
年間第5主日(マルコ1:29-39)
イエスによって変えられ、わたしも人を動かしていく
皆さん。マラソン大会、結果出しましたよ。何と、去年の13位から、5位に急上昇しました。1キロ6分、48分でゴールするだけの練習を積んできましたが、本番では1キロ5分25秒でカバーし、43分21秒でした。詳しいことは、張り付けている成績一覧を見てください。
ほぼ、満足できる結果だったのですが、惜しかったのは自分の前を走っていた4位の先輩です。8秒差でした。20メートルあったでしょうか。3位は、土井ノ浦の後輩です。彼とは1分近く離れていたので、来年追い抜くのは難しいかもしれませんが、目標にはしたいと思います。
ついでの話ですが、水曜日の晩、中学生のけいこのために浜串教会の聖堂の2階に上がってすぐ、「マラソン5位、おめでとうございます」と言ってもらいました。嬉しかったですねー。これまでの2ヶ月間の苦労が吹っ飛びました。わたしくらいの年齢であれば、中学生の子供がいても不思議ではないわけですが、子供に喜んでもらった親の気持ちがよく分かりました。子供が喜んでくれているその一言があれば、親はどんな苦労も苦労と感じないのでしょうね。
では福音の学びに入りましょう。イエスと弟子たち一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行きました。シモンのしゅうとめが、熱を出して寝ていたのですが、イエスは彼女を深くあわれみ、彼女の熱を取り去ってくださいました。
シモンのしゅうとめは、イエスのいやしを受けて、一同をもてなします。この出来事は一見するとわたしたちには縁遠いように見えるかもしれません。同じように、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、多くの悪霊を追い出してくださったとなっていますが、わたしたちはこの話を身近な出来事と感じることができないかもしれません。
奇跡に目を奪われがちですが、イエスとシモンのしゅうとめの反応を整理すると、中心にあるのは「悩み苦しんでいる人がいて、イエスはその人の悩み苦しみを取り去ってくださり、その人は一同をもてなす」という図式です。この中心にあるものが、何より大事だと思います。
つまり、わたしたちは人生を歩む中で、さまざまな悩み苦しみを経験しますが、その都度イエスはやって来て、あなたの悩み苦しみを取り去ってくださいます。もちろん、それは人間側が期待したとおりには起こらないかもしれません。
病人訪問をしながら、司祭はご聖体のイエスさまを届けますが、残念ながら司祭は病気を取り除くことはできません。けれども、ご聖体のイエスさまがおいでくださったことで、お見舞いを受けた人は慰められ、力を受けるのではないでしょうか。
ですからイエスは今も、人生のさまざまな悩み苦しみを抱えている人のもとを訪ねて、その悩み苦しみを取り除いてくださっています。救いの入り口を開くために洗礼を授けてくださり、罪の暗闇の中にある人に罪のゆるしを与えてくださり、いのちのためにご聖体となって食べ物を与えてくださいます。
また人生に迷う時期に堅信の秘跡で聖霊の七つの賜物を注いでくださり、病気や老齢でいのちの危険にさらされている人を病者の塗油で励ましてくださり、イエスを捜し求める人々のために叙階の秘跡によってイエスの代理である司祭を生み出してくださり、2人が一体となって歩んでいくために婚姻の秘跡で祝福してくださいます。
人間の側の期待通りとはいかないかもしれませんが、さまざまな形で、「悩み苦しんでいる人がいて、イエスはその人の悩み苦しみを取り去ってくださる」という図式が成り立っているのだと思います。問題は、そのあとの、「その人は一同をもてなす」という部分が残ります。わたしたちは、人生の様々な場面でイエスと出会いますが、その結果、一同をもてなすということにつながっているでしょうか。
シモンのしゅうとめは、自分が直面している悩み苦しみを取り除いてもらった感謝を、一同をもてなすことで態度に表しました。わたしたちもぜひ、イエスに出会い、イエスに自分の重荷を取り除いてもらった感謝を、形に表したいと思います。
いろんな場所に、感謝を表す形があるでしょう。家族に対してもてなしをすること、教会という、神の家族に対して奉仕活動をしてもてなすこともあるでしょう。小学生、中学生、高校生の教会活動のために力を貸すことも考えられます。自分が関わっているボランティアのグループ、社会の中での活動に参加することを通してなど、いろんな場所で自分にできるもてなしを発揮できます。
イエスはこの一連の動きを促すために、巡回して宣教しました。イエスは宣教に先駆けて人里離れた所で祈っておられますが、弟子たちはイエスを見つけると、「みんなが捜しています」と言いました。けれどもイエスは1つの場所に執着せず、次々に近くのほかの町や村へ出かけます。
人々がイエスに出会い、イエスによってもてなす人に変えられていく。その一連の動きを活発にするために、どんどん場所を変えていきました。初めは、イエスさまがエンジンを動かしてくださいます。それは、エンジンがかかった人が、他の人のエンジンを動かすためです。イエスはそうして、あちこちで神に出会い、神に変えられる人を生み出し、その人が周りの人を動かすことを期待しているのです。
きっと、今日のミサで、イエスはわたしたちのエンジンを動かしてくださり、わたしたちにも、わたしたちにつながるだれかを動かす人になるように、期待しているのだと思います。わたしたちはすでに模範になる信仰の先輩をたくさんいただいています。
特に、今日2月5日に祝う日本26聖人はそうです。26聖人はイエスによって殉教者の証しをするだけのエンジンを動かしてもらい、まわりの多くの人をさらに動かしたのでした。今日26聖人の取り次ぎを願いましょう。そして、イエスによって変えられ、まわりの人をもてなすことができるよう、ミサの中で恵を願いましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第6主日
(マルコ1:40-45)
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