主日の福音11/12/25(No.568)
主の降誕(日中)(ヨハネ1:1-18)
神の独り子は神と人間との絆となられた

主の降誕日中の典礼では、ヨハネ福音書が朗読されます。幼子誕生の具体的な様子が描かれていないので、降誕の様子を読みとるのは少し難しいかもしれません。飼い葉おけに寝かされている幼子を目に焼き付けて、与えられた朗読から降誕の喜びを味わいましょう。

朗読では「言(ことば)」の働きが取り上げられていました。そして最後に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(1・14)とあります。言が、わたしたちの間に住んでくださいました。

待降節第2主日で「声」について考えましたが、ヨハネ福音記者が語る「言(ことば)」も、それを語る側と、受け取る側が存在して成立します。御父と、御子、聖霊の三位一体の中でまずそれは成り立っていましたが、今やわたしたちのために言(ことば)が与えられて、御父とわたしたち人間との間で対話が始まります。

これは、大きな喜びです。神は、わたしたちに言(ことば)を発して、語りかけてくださる。その言(ことば)とは、神の独り子、イエス・キリストです。神はどのようなお方なのか、神がどれほど人間を愛してくださっているのか、言(ことば)が肉となって、わたしたちに感じることができるようになってくださったのです。

これまでも、神はたとえば預言者を通して、人間に語りかけてきましたが、これからは神ご自身が、わたしたちと同じ姿になって、語りかけてくださいます。貧しい生活も、しいたげられる経験も、命さえ狙われることも、人間がおよそ経験するあらゆる苦しみ、悲しみを背負って、神は人間のそばにいてくださいます。

神が言(ことば)として、神と人間との対話を求めておられること、言(ことば)が肉となって、わたしたちの間に宿られたことを、わたしは「絆」という言葉で表したいと思います。

今年、東日本大震災と、福島原子力発電所の放射能汚染で多くの人が不安におびえる生活を強いられました。イエスの誕生も、「世は言を認めなかった」「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」とあるように、十字架を背負う運命が待ち構えていました。

それでも、今年日本人がたどり着いたのは、「絆」という漢字一文字でした。絆の必要性を強く感じましたし、絆の力をあらためて感じたのです。わたしたちのもとに宿ってくださった神の言もまた、神と人とを結ぶ絆として、宿ってくださったのです。神は今年、神と人間との絆として、わたしたちの間に宿ってくださったのだと思います。

わたしたちが今日ご降誕を祝う時、それは神との絆を思い出しているのです。この絆が来年のご誕生まで、固い絆でありますように、ミサの中で祈り求めましょう。
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‥次の説教は‥‥
神の母聖マリア
(ルカ2:16-21)
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