主日の福音11/12/18(No.566)
待降節第4主日(ルカ1:26-38)
神の御計画にいっぱいに心を開く
もしかしたら見かけたことがあるかもしれませんが、12月1日から司祭団マラソンの練習をちょっとだけ始めました。来年1月下旬に予定されているマラソンは10キロ走るのですが、今は4キロ、せいぜい走って5キロといったところです。
まだ全く見かけたことのない人が多いはずです。昼間に走ったのは1度だけで、あとは夜にこそこそ走っております。わたしは長崎出張も多い人間ですが、長崎に行くときにもマラソンシューズをそのまま履いて行って、長崎市松山町にある陸上競技場跡地で走り続けています。
毎日欠かさず走れているわけではありません。火曜日金曜日のふれあいミニバレーをする日はお休みで、雨降りの日もお休みしています。マラソン当日は、雨だろうが雪だろうがお構いなしに走らないといけませんが、今はそこまでの元気はありませんし、うっかり雨の中走って皆さんに迷惑をかけるようなことがあってはいけません。
浜串を走る時は、次のような走り方をしています。司祭館の玄関から、まず岬の聖母に向かい、折り返します。そのあと、後浜串のバス停まで上って、いったん浜串生活館まで下りて来ます。そしてもう一度、後浜串まで上って下りて、下りたら岬の聖母まで走って折り返し司祭館に戻る。こういう走り方で約5キロです。
当日走るコース途中に山越えをする難所が1ヶ所あって、その場所が後浜串までの上り坂に似ています。ちょうど良い練習になっています。最終的には、5キロの練習を2回繰り返す持久力を付けなければなりません。12月からの練習では間に合わないかもしれませんが、前回よりは納得できる走りができるものと信じております。
さて待降節も第4週に入り、ちょうど一週間後が救い主の降誕を迎える日となりました。救い主の降誕を迎える中でも、最も深い信仰をもって迎えるように求められているのが、救い主の母となることを求められたマリアです。今週はその、マリアの救い主誕生を受諾する場面が選ばれました。わたしたちの直前の準備として、マリアの信仰に学ぶことにしましょう。
天使ガブリエルが、マリアのもとを訪ね、男の子が生まれ、マリアは救いの計画の協力者になると告げます。神である主がマリアを選び、救い主の母となることが知らされましたが、はいそうですかと承諾するにはあまりにも難しい話だったと思います。
マリアは最初、人間の立場から納得できる説明を求めました。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(1・34)物事はふつう原因があって結果があり、理由があるからそれに見合う決定が下るものです。マリアは天使ガブリエルの言葉を何とか理解しようと、人間の側から納得できる説明を求めたのです。
天使はこれに対して、聖霊があなたを包むことと、神にできないことは何一つないという返事で答えました。天使は神に遣わされた存在です。神の計画を知り尽くしているわけではないでしょう。そこで、天使ガブリエルは、神の計画にマリアが心を開いて受け入れることができるように、必要な言葉をかけたのでした。
神の御計画ですから、天使が説明して納得できるものでもないと思います。むしろ、マリアが、神の御計画を受け取るために、天使は全力を尽くしたのではないでしょうか。マリアが心を開いて御計画を受けるか否か、そこにすべてがかかっていました。
今年、日本全体で3人の司教さまが選ばれました。司教さまが選ばれるいきさつは詳しくは知りませんが、3人とも日本におられるバチカン大使から「あなたはベネディクト16世教皇さまから○○教区の司教に選ばれましたよ。お受けしますか?」と問われたそうです。
わたしは、時代も場所も違いますが、マリアが天使ガブリエルから、「あなたは身ごもって男の子を生みます。その子をイエスと名付けなさい」(1・31)と言われた時と似ているのではないかと思いました。司教さまに選ばれたと言われても、人間の側からの説明で納得するのは難しいと思います。
なるほど、だからわたしが選ばれたのですねと受け入れる人はいないのではないでしょうか。むしろ、「どうしてそのようなことがありえましょうか」と、状況を飲み込めないだろうと思うのです。こんな時、司教さまに選ばれた方々は、教皇さまを通して示された神の御計画に心を開いて、「お言葉どおり、この身に成りますように」(1・38)と答えるのだと思います。
この場面で、人間の立場での説明で納得することは難しく、むしろ、神の御計画に心を開く、心を開いて受け入れることが必要なのだと思います。今年、わたしたち日本の教会は、マリアと同じ立場に置かれた3人の新しい司教さまを与えられました。この司教さま方がどんな思いだったろうなぁと推し量る時、マリアの心にいくらかでも触れることになると思います。
マリアは、神の御計画を受け取るため、精一杯心を開いて自分を委ねました。救い主の誕生は、わたしたちが神に精一杯心を開いて自分を委ねる体験を積ませてくださいます。いっぱいに心を開かなければ、神さまの御計画を受け取ることはできません。
これから起こる様々な出来事、その中に込められた神の御計画を、いっぱいに心を広げて受け入れていくことができるよう、マリアに倣う決意を新たにいたしましょう。
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‥次の説教は‥‥
主の降誕(夜半)
(ルカ2:1-14)
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