主日の福音11/11/06(No.560)
年間第32主日(マタイ25:1-13)
自分の分の油を常に保つ
年間の主日も、残り少なくなってきました。今週が年間第32主日、来週が年間第33主日、再来週の「王であるキリスト」で年間の主日も終わり、そのあとは待降節で新しい典礼の暦が始まります。
年間の主日が終わりに近づくと、この1年の信仰の面での歩みを振り返ることも考えておくとよいと思います。わたしは、待降節から始まった教会の1年の歩みを、どのように進めてきただろうか。何か目標をもっていた人は、目標を達成できただろうか。そういうことを、これから残りの2週、3週の間で考えてみましょう。
今週の福音朗読も、典礼暦も締めくくりに近づいているという見方で読むとき、見えてくるものがあると思います。今週は「十人のおとめ」のたとえですが、十人のおとめたちは花婿を迎えに出て行きます。おとめは十人、花婿は1人ですから、ここで言うおとめは、「教会」を指し、花婿は「イエス・キリスト」を指していると考えるべきです。
花婿の到着が遅れたために、十人のおとめたちは皆眠り込んでしまいました。教会が、イエス・キリストの到着を待ち切れずに眠り込むというのは、一心にイエス・キリストに心を向けていない姿です。
本来は、わき目も振らず、気を緩めることなく、イエス・キリストの到来を待ち望むべきですが、人間の弱さのために心が向いていないこともあるかもしれません。そのたびに花婿であるイエス・キリストはわたしたちのもとに来て、準備を促します。「花婿だ。迎えに出なさい。」(25・6)
ところが、十人のうち、五人は愚かで、五人は賢いおとめです。わたしたちも同じかもしれません。神の民の半分は準備が不足していて、半分は備えができている。確かにそうかもしれません。ともし火は、花婿であるイエス・キリストがここにいると、周りの人に知らせるものです。
人によってその中身は違っているわけですが、どんなときにも祈りをためらわないことは、イエス・キリストがここにいることを知らせる1つのともし火だと思います。また、服装や、態度や、話す言葉、何を大切に考えているかなども、イエス・キリストの現存を知らせるともし火になると思います。
こうしたともし火は、油を切らしてしまうといつか消えてしまいます。ともし火を絶やさないための「油」とは、いったい何なのでしょうか。答えを探す時、頭の中を探してはいけません。答えはいつも、朗読した聖書の中から探すべきです。そこで、もう一度油についておとめたちが何を語ったかを確かめましょう。
「賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。」(25・4)本来、ともし火を絶やさないために、常に油を用意していなければならないのです。油はまずは、常に身近に用意しておくべきもののようです。
愚かなおとめは、「油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。」(25・8)と賢いおとめにすがります。けれども賢いおとめたちは、「分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。」(25・9)と答えました。油は、自分の分は自分で用意しなければならないこともここで分かります。
この2つの点を踏まえて、「油」は何を意味しているのでしょうか。油があって、ともし火となる。油があって、イエス・キリストを人々に知らせることができる。すると、油は、わたしたち1人1人の「善い行い」のことかもしれません。
わたしたちは、「善い行い」を常に身近に用意する必要があり、しかも、自分の分は自分で用意しなければならないということになります。愚かなおとめたちが店に行って自分の分を買いに行くというのは、「出かけて行って善い行いを実践して、それから戻ってくる」ということなのでしょう。
さて、「愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた」(25・10)とあります。
善い行いを常に実行している賢い人は、いざという時に用意ができていたので間に合いました。けれども善い行いを常に心がけていない愚かな人は、いざという時に間に合いません。
これは、年間の主日をもうすぐ終えるわたしたちに、あなたは善い行いを、常に身近に用意できていますか、あなたの善い行いをわたしに示してくれと言われたときに、賢いおとめのようにすぐに用意できますかと問いかけているのだと思います。
自分の分の油、イエス・キリストを周りの人に知らせる善い行いが、今年1年の信仰の歩みの中で身近にありましたかと、問いかけているのです。用意ができていないことに気付き、慌てて外に出て善い行いを実行し、それを持ち帰っても、間に合わないかもしれないのです。
そこで今週の福音の学びとして、「自分の分の油を常に保つ」ということを考えておきましょう。あなたが身近に用意している油が、周りの人にイエス・キリストを証しするともし火となります。油は、十分に用意しておく必要があります。
あなたに求められる証しは、ずっと長く続ける必要があるかもしれません。今年限り、とは限りません。ずっと、その油を使って、周囲の人に、場合によっては遠くにいる人に、ともし火を見せてあげるようお願いされるかもしれません。
花婿であるイエス・キリストの願いに、たとえ到着が遅れることがあっても応じることができるように、常に壺の中の油に注意を払いましょう。聖霊に、「わたしの壺の油をたえず満たしてください」と、ミサの中で願いましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第33主日
(マタイ25:14-30)
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