主日の福音11/10/23(No.558)
年間第30主日(マタイ22:34-40)
律法全体と預言者が基づいているものとは

婦人会のミニバレーの試合があるので、ふだんよりも10秒だけ話を短くしています。バイクの話の続きを1つします。小学生をカトリック神学院1日体験入学に送りました。とても楽しい体験ができたそうです。日曜日の午後3時15分にジェットフォイルで奈良尾に到着するので、ちょっとびっくりさせてやろうと思ってバイクで迎えに行きました。リュックサックにもう1つヘルメットを入れて、本人が乗りたいと言ったら乗せてあげようという魂胆でした。

奈良尾ターミナルに引率の大人と体験入学を終えた子供が帰って来たので、「ご苦労さん。バイクに乗って帰らないか?」と尋ねると「乗る」と言ってくれました。「ヘルメットがリュックの中にあるので、取り出してかぶってくれ」と言いますと、しばらく探した揚句に「神父さま、何も入っていませんよ」と言います。そんなはずはないと言いましたが、「神父さまのリュック、ファスナーが全開になっていますよ」と言われ、何かが起こったのだと悟りました。どうやら、途中でヘルメットを落としてきたようです。

ガッカリして、引率の大人に子供をお願いして、失意のうちに帰り始めました。ヘルメットは、確かに落ちていました。道路の中央、白線の上に置いてあったのですが、落ちているヘルメットを誰か親切な人が中央の白線の上においてくださったのだと思います。またもや恥をかいてしまいました。

さて喜ばしい話が1つあります。日本の典礼の暦に、福者ヨハネ・パウロ2世教皇の記念日を祝う認可がローマから与えられまして、10月22日、お祝い日となりました。わたしたちが目で見た人が、福者として祝うことができるのはすばらしいことだと思います。

マザーテレサも、コルベ神父も、あまり見た人はいないと思いますが、ヨハネ・パウロ2世教皇を見た人はたくさんいるでしょう。これは、ヨハネ・パウロ2世のような生き方が現代に求められていること、わたしたちの模範としてとても必要であることを意味しているのだと思います。今年10月22日は土曜日で、浜串教会でのミサでした。来年10月22日は月曜日ですので、福見教会で祝うことになります。

今週の福音に目を留めましょう。イエスはファリサイ派のうちの1人、律法の専門家が「律法の中でどの掟が最も重要でしょうか」と問いかけた時、神を愛することと、隣人を自分のように愛することを示した上で、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(22・40)とお答えになりました。

問いかけと答えの、わずかな違いが実は大きな違いです。質問をしかけた律法の専門家は、「律法の中で」と尋ねました。これは、律法だけを取り出して考えていることをうかがわせます。それは、「ミサの中でどこが大切ですか」と、ミサの部分にこだわっているようなものです。ミサのすべてが大切ですが、パンとぶどう酒の聖別の言葉の部分に、ミサ全体は基づいていると答えたいと思います。同じようにイエスも、律法だけを取り出しての議論には意味がないとして、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」とお答えになったのでした。

イエスが言う「律法全体と預言者」というのは、旧約聖書すべてを表す表現です。神の掟と、その掟を守ろうとしてきた神の民の歴史全体を指しているのです。イエスが言った「律法全体と預言者」という表現には、律法の専門家が思っていた狭いとらえ方ではなく、神が歴史の中で行った救いの業全体が含まれていたのです。

ところで、「律法全体と預言者」という表現は、イエスご自身にも当てはまるとわたしは思っています。イエスは、神が歴史の中で行った救いの業の完全な形です。神は、歴史の中で様々な救いの業を行いましたが、御子イエスをこの世に遣わしたことが、救いのわざの究極の働きです。そしてイエスは、ただ1人、「神を愛すること」と「隣人を自分のように愛すること」を完全に果たされたお方でした。

すると、次のように言えるのではないでしょうか。「律法全体と預言者は、『イエス・キリスト』に基づいている。」つまり、神である主を愛し、隣人を愛することを極みまで生きたイエス・キリストこそが、「最も重要な掟」だということです。

イエス・キリストが「律法の中で最も重要な掟」であるなら、わたしたちには何が必要でしょうか。それは、「イエス・キリストをもっとよく知ること」です。あらゆる方法で、イエス・キリストをよりよく知るように、努力しなければなりません。祈りの時に、わたしたちは「祈るイエス・キリスト」を知ることができます。わたしたちの心がけひとつで、ただ単に祈るだけではなく、父なる神にひたすら心を向けるイエス・キリストを身に受けることができるのです。

わたしたちはだれかに対して教えることがあります。教会学校で子供たちに教える、親が子に対して教会の務めを教えるなどです。そうした時に、わたしたちは単に教えるだけでなく、「教えるイエス・キリスト」を身に受けることになります。わたしたちの信仰生活の様々な場面が、実はイエス・キリストをよりよく知る機会となり得るのです。

「律法全体と預言者」神がわたしたちに示そうとするすべてのものは、実はイエス・キリストに基づいています。イエスをよりよく知るために、いろんな場を活用しましょう。主日のミサ前に続けている聖書朗読に耳を傾ける時間も、どうぞ活用してください。そして、イエス・キリストをより身近に感じることで、「あらゆることが、イエス・キリストに基づいています」と、人々に証しすることへと、今週一週間を整えていきましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第31主日
(マタイ23:1-12)
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