主日の福音11/04/17(No.527)
受難の主日(マタイ27:11-54)
今は恵みの時、今は救いの日

今日、受難の主日のために、福音書が2度朗読されました。最初の朗読は、エルサレム入城記念です。イエスは、最後の日々をエルサレムで迎えるために、お入りになります。預言者の言葉が引き合いに出されています。その中で、王であるイエスは華やかな王ではなく、「柔和な方」です。

また、「荷を負うろばの子、子ろばに乗って」とあります。「荷を負う」のは、今も昔も変わらないかもしれませんが、身分のある人、王の務めではありません。王の僕が、通常であれば荷を負うはずです。荷を負う仕事は、苦しみを伴う仕事だからです。

するとイエスは、柔和な方であり、荷を負う方であり、荷を負うことで苦しむ方であるということになります。その決意のもとに、エルサレムに入られるのです。このことを踏まえて、二度目の福音朗読を考えてみましょう。

朗読はマタイが描く受難の場面です。イエスはほとんど口を開きません。弁明をしない姿は、最後まで柔和を保った姿です。十字架に貼り付けにされている姿は、荷を負う姿、苦しむメシアの姿です。わたしたちは、十字架の上から問いかけているイエスと、向き合わなければ鳴りません。

イエスを取り囲む群衆がいます。彼らの態度は真っ二つに分かれています。柔和な姿、荷を負う姿、苦しむメシアの姿をしたイエスを見て、心をかたくなにする人々と、心を開き、イエスにより頼もうとする人々です。

イエスは問いかけています。あなたは、わたしのこのような姿を見て、心をかたくなにするのですか、心を開き、わたしにより頼もうとしますか。最後まで柔和に、荷を負い、苦しむイエスはわたしたちの救い主ですと、今まさにより頼むことができるでしょうか。

イエスに倣って、わたしたちも生活の中で柔和を保ち、進んで荷を負い、苦しみを逃げませんと、正面向いて答えることができるでしょうか。今日はそのことが問われていると思います。イエスに倣って生きますと答える人に、イエスはまことの自由、まことの解放をお与えくださいます。
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‥次の説教は‥‥
聖木曜日
(ヨハネ13:1-15)
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