主日の福音11/03/27(No.524)
四旬節第3主日(ヨハネ4:5-42)
主よ、その水をください
3月25日日本時間の夜8時、バチカンでは25日の正午ですが、教皇ベネディクト16世は、高松教区と大分教区の新しい司教さまを発表なさいました。高松教区には、大阪大司教区の諏訪榮次郎師が、大分教区には長崎大司教区の浜口末雄師が選ばれました。本当に喜ばしいことだと思います。
長崎大司教区から選ばれた浜口末雄師とは、大曽教会時代に、神学生としてお手伝いをさせてもらったことがあります。小学生の黙想会の手伝いでした。わたしの指導力が足りなかったために、もっとしっかり準備をして子どもを指導しなさいと、あの時は叱られたような覚えがあります。
浜口末雄師は、長崎のカトリック神学院の院長や、高松教区に派遣司祭として出向いて、高松教区事務局長の重責を担いました。それらの働きが、教皇さまの目に留まったのだと思います。ふだんはつまようじをはさんでいる木枯らし紋次郎のような風貌なのですが、司教に選ばれましたと、中央協議会のホームページに掲載された写真は、つまようじをはさんでいませんで、りりしい恰好で写っていました。
わたしは、浜口師が非常に勉強熱心な方であることを知っています。絶対に表には見せませんが、上五島での聖書講座などで準備に費やした時間は、講座に与かっているだけでは分からないくらいのものすごい量でした。ある時は、外国語の参考資料をていねいに読みこんでいるのを見たこともあります。そう考えてみると、なるべくして司教さまになったのかなぁと納得しております。
さて、今週の福音朗読は、「イエスとサマリアの女」という物語です。イエスに少しずつ導かれて、サマリアの婦人はイエスを信じるようになります。そして、サマリアの婦人は町に戻って、人々にイエスのことを告げ知らせ、多くの人もイエスを信じるようになるという物語です。途中、弟子たちと「生きた水」についての対話もあります。
わたしが注目したのは、サマリアの婦人が、イエスにたくさんの質問をぶつけて、その疑問に答えを求めるのですが、その中に、1つだけ、質問をぶつけるのではなくイエスに請い求める部分があります。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」(4・15)という部分です。
さまざまに質問をぶつけているとき、サマリアの婦人にはまだ心の中に警戒心があったと思います。けれども、「主よ、その水をください」と言った時には、もはやイエスを警戒する気持ちではなくなっていたはずです。この人だったら、すべて心を開いて自分の願いを受け止めてくださる。そして、この水汲みの苦労から解放してもらえる。そう思ったのかもしれません。
当時の水汲みは重労働でした。何十リットルもの水を、井戸のある場所まで歩いて行って、持ち帰る必要があったのです。彼女が水汲みに来たのは、正午ごろと書かれています。普通は、朝早くか、日が傾いてからの労働のはずですが、彼女は人目を避けるように、最も日が高く上っている時間帯にやってきたのです。ですから、彼女の願いは切実だったでしょう。
次第に彼女は、飲み水のことを言っているのではないということに気づいていきます。飲み水は、どれだけ飲んでもいつかは乾きます。そうではなく、彼女の中で求めていた別の渇きを、イエスが満たしてくださるという理解に、導かれていったのです。
「その水をください。」そう言ったときは、まだ飲み水のことを考えていたでしょう。ある意味で、まだ十分理解していないときに声を上げたので、正しい答えに導かれていったのかもしれません。このサマリアの婦人の態度は、わたしたちも学ぶ必要があります。わたしたちも、分かってから求めるのではなく、まだ分からないながらも、真剣に願い求めるなら、いつか正しい答えに導かれていくのではないでしょうか。
中田神父も、いつも週末になると考えます。「主よ、説教で苦しむことのないように、また、週末になって毎度毎度頭を悩ませなくてもよいように、これで完璧という説教をわたしにください。」けれども、その願いはいつも当てが外れます。1度準備したら何回使っても飽きのこない説教など、どこにもないのです。そして、わたしがイエスに求めるべきものも、そういう類のものではないのだと思います。
そうして、「主よ、今週も何でもいいですから、説教をわたしに与えてください」と願い続けるうちに、何か、信者の皆さんの心の奥の渇きに潤いを与える水が与えられるのだと思います。「主よ、その水をください。」この願いが、わたしたちの心の渇きを潤す突破口なのだと思います。
いつまで大分教区は司教さまが与えられないのだろうか。そんなことを心の中で呟いていましたが、神さまは必ず、わたしたちの心の渇きをいやす水を与えてくれるのだと今回知りました。わたしたちが目の前の水ではなく、心の渇きを満たす水こそ大事なのだと徹底的に教えてくださり、それからイエスは命の水を与えてくださるのだと思います。命の水を今週も与えてくださるイエスに、感謝してこのミサを続けてまいりましょう。
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‥次の説教は‥‥
四旬節第4主日
(ヨハネ9:1-41)
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