主日の福音11/03/06(No.521)
年間第9主日(マタイ7:21-27)
イエスは今も「漁をしなさい」と呼びかけます
初聖体の2人は、イエスさまを土台に置きました

今日は、初聖体を受ける保育園の年長さんが2人います。この子たちには、お話の最後に、ご聖体を受けるにふさわしい準備ができているか、試験をしたいと思います。ケータイ電話でおうちの人に答えを聞いたりしたらダメですからね。お話が終わるまで、ちょっと待ってください。

今日は説教を7・8分で切り上げたいと思っていますが、試験のために待たされる2人には、果てしなく長い時間に感じるかもしれません。ご苦労さまです。さて、福音朗読箇所で、イエスが特に念を押しているのは、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者」(7・24)「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者」(7・26)とあるように、イエスの言葉を土台にして信仰生活を成長させていくことの大切さです。

イエスがたとえに引いたのは、家と土台についてです。しっかりした土台の上に建てた家、砂の上に建てられた家、どちらが災害の時に耐えられるかはだれもが分かることです。滅多にないことですが、わたしも前任地で司祭館を建てるチャンスに恵まれました。すでにある家を改築するのと、新たに建て直すのと、あんまり変わらない見積もりでしたので、新築しようよと促して、司祭館を建てたのです。

立派な司祭館がたちあがりまして、後の神父さま方に1つはお役に立てたかなぁと思っていますが、設計を引き受けてくださった事務所の社長さんが、古い司祭館から、1つだけ新しい司祭館に取り入れたものがあると言ってそれを見せてくださいました。

70年も80年も経った司祭館に、使える材料などあるのだろうかと思っていましたが、示されたものを見て、あーなるほどと納得したのです。それは、基礎・土台の石でした。設計事務所の社長は、この基礎の石が表に見えるように、玄関の部分に利用してくださったのです。

もちろん、古い材料など1つも使わなくても、新しい司祭館を建てることはできたでしょう。けれども、この場所に70年も80年も司祭が生活した証しを、新しい司祭館に引き継ぐことは、それなりに意味があると思うのです。

いろんな人の努力の上に、古い司祭館が建っていた。そして、その人々の努力を忘れることのないように、未来の人のために基礎の石を引き継いだわけです。これはさすがだなぁと感心しました。3月27日には伊王島大橋も開通するわけですが、開通後に予定している巡礼の時には、もう一度司祭館を眺めてみたいと思っています。

今日、2人の年長さんが初聖体を受けます。ご聖体には、イエスさまがおいでになります。そしてご聖体をいただくときには、「アーメン」と答えて拝領します。「アーメン」は、「そうです、その通りです」という意味がありますが、聖体拝領でのアーメンの意味を補うと、「イエスさまをいただいて、わたしたちはイエスさまに育ててもらいます。イエスさまという土台の上に、わたしたちはすくすく成長していきます。その通りです」という意味だと思うのです。

イエスさまははっきりと、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う」ことが何より大切と仰いました。イエスさまの言葉、行い、そしてイエスさまそのものであるご聖体を土台にして信仰を積み上げていかなければならないのです。そうしない人々は、どれだけ見栄え良く教会とつながっていても、イエスさまが土台にないので、積み上がっては崩れて、何も形に残らないのです。

初聖体を受ける2人が、これからいつもいつもミサを楽しみにしてくる子どもでいてほしいと思います。おうちの人にしつこくこう言ってください。「わたしたちはいつミサに行ってもご聖体拝領できるんでしょ?今度もミサに行けるんだよね?今度の日曜日も、いちばん最初にご聖体を受けるんだよね?」と、執念深く聞き返してほしいと思います。2人の願いだったら、おうちの人はどんな努力をしてでもかなえてくれるはずです。

今日から2人は、ミサにあずかって、ご聖体に養われて、岩の土台の上に信仰のお城を建てていきます。神父さまも、2人がこれからイエスさまの恵みを土台にしてどんなふうに成長していくか、本当に楽しみにしています。これから少なくとも数年間、中田神父さまを喜ばせてください。そしてこれからずっとイエスさまの土台の上で成長していくことで、浜串小教区の皆さんを喜ばせる人であってほしいと思います。

では、初聖体のためのテストをします。
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‥次の説教は‥‥
四旬節第1主日
(マタイ4:1-11)
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