主日の福音11/02/20(No.519)
年間第7主日(マタイ5:38-48)
霊が注がれ、人は新しい生き方を歩む

今週の福音朗読箇所は、先週の朗読箇所と一続きになっています。先週の朗読箇所でイエスは「昔の人はこう言っていた。しかしわたしは言う・・・」という形で律法学者やファリサイ派の主張を反駁(はんばく)しましたが、今週の朗読箇所でも同じように「昔の人はこう言っていた。しかしわたしは言う。」という形で、イエスが人々に求めていることを明らかにします。

一続きと言いましたが、先週の朗読箇所とは違いもあります。先週の部分でイエスは、掟が神の本来の望みからずたずたに引き離されていたのを、元に戻すことに力を注いでいました。それが、今週の部分ではもっと進んだ取り組みに人々の目を向けようとしています。ひとことで言うとそれは、「新しい生き方への導き」です。

では、「新しい生き方への導き」とはどういうものでしょうか。それは、律法が教える生き方を超える生き方のことです。律法が「目には目を、歯には歯を」と教えるとき、悪人に手向かわない生き方をイエスは教えます。

当時の人々は、損害を被ったとき、同じだけの損害を相手に与えることは普通のことと考えていたわけですが、イエスはそれをゆるしませんでした。イエスは具体例を出して、とことん相手と向き合う新しい生き方を示します。

「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」(5・39-42)

これらの勧めだけでも、とても実行できそうにないのですが、イエスはさらに難しい勧めを与えました。「わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(5・44)当時の人々は「隣人を愛し、敵を憎め」という生き方を当然のことと考えていたのです。ですからイエスの勧めは、とても受け入れられないものでした。

わたしたちにとっても同じです。わたしたちに「隣人を愛し、敵を憎め」というはっきりした掟はないかもしれませんが、気持ちは理解できるはずです。わたしたちにとっても、敵は憎むべきもの、倒すべきものと思っているでしょう。それを、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と命じるのですから、「なぜ?」と問い返したくなるのです。

イエスの勧めは、今の時代にあっても「新しい生き方」です。復讐してはならない、敵を愛しなさいというのですから、人々の考えを超える生き方です。果たしてそれは可能でしょうか。もし可能なら、どんな人に求められる生き方でしょうか。

中田神父は、正直に言うと、不可能だと感じます。仕返しをするな、と言いますが、これまでしばしば、「やられたらやり返す」そんなつもりで生きてきました。言葉尻をとらえて、「やられたら四倍にして返す」そんなことさえ考えて生きてきたのです。

もし、不可能と考えていることが可能になるとしたら、それは、なぜイエスがわたしたちに新しい生き方を求めてくるのか、そのことを考えないと答えは出ないと思います。イエスは、なぜこうした新しい生き方を求めるのでしょうか。

それは、過ちの繰り返しを断ち切るためではないでしょうか。「復讐しても、また新しい復讐を生む」「敵を憎んだら、憎しみが返ってくる」確かにそうなのです。過ちを繰り返し、歴史が繰り返されていきます。そこへイエスは、過ちを繰り返さないために、新しい生き方を持ち込んでくださったのです。

新しい生き方は、誰かが生きて初めて、その生き方を見習うことができます。復讐しない生き方、敵をも愛していく生き方を最初に生きてくださったのは誰でしょうか。疑いもなく、それはイエス・キリストです。

平手で顔を殴った人に手向かうことなく、衣服を奪い合う人にすべての衣服を手放し、ゴルゴタの丘まで三度倒れながらも歩き通したイエス・キリストが、わたしたちに新しい生き方の模範を残してくださいました。ご自分を迫害する者のために、十字架の上で祈り、悪人にも善人にも、救いの道を開いたイエス・キリストが、新しい生き方を最初に生きてくださったのです。

新しい生き方を見習って生きることは困難を伴います。慣れている道ではないからです。けれども、日本人のわたしたちには、すでにたくさんの先祖たちの模範があります。26聖人がそうですし、205福者殉教者や、188福者殉教者がいます。彼らは、イエスの歩いた道をまっすぐに歩き通しました。

新しい道を選ぶことは、難しすぎると感じるかもしれません。けれども、イエスの霊が注がれると、わたしたちはこの道を選ぶことができるようになります。それはたとえて言えば、決心つかない事柄に、誰かから背中を押してもらって、決断するようなものです。わたしたちが新しい道を選ぶ力を、聖霊は必ず与えてくださいます。

新しい生き方に、大きく舵を取りましょう。復讐しない、敵をも愛する生き方に、永遠の命に至る道が続いているのです。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第8主日
(マタイ6:24-34)
‥‥‥†‥‥‥‥