主日の福音11/00/00
神の母聖マリア(ルカ2:16-21)
マリアはわたしたちに救い主を指し示す
みなさん、新年明けましておめでとうございます。日本の教会にとって、1月1日はほかの国とは違った重みがあります。この大切な日に、教会は神の母聖マリアをお祝いいたします。日本人にとっての1年の始まりを、聖マリアを祝うことで迎えることに、意味を見つけたいと思います。
「一年の計は元旦にあり」と言われます。そこでお勧めしたいことが、「カトリック信者として、この一年をどのように過ごすか考える」ということです。わたしは、神の母聖マリアに、この一年をどのように歩むか、模範を仰いだらよいと思います。
今日の朗読箇所から、模範を見つけたいのですが、2つ、示したいと思います。1つは、間違いなくここです。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」(2・19)マリアは出来事をよく観察し、その意味を慎重に思い巡らす人でした。慌てて判断を誤るというのでもなく、判断を遅らせて大事に至るのでもなく、慎重に判断することのできる人でした。
わたしたちはなかなか、慎重に物事を見極めて判断することができません。感情的にすぐに反応してしまったり、後回しにして損失を被ったりします。さらに、そういう目に遭っても、なかなか反省が身につきません。
そこで、慎重な判断が求められるときに、気持ちの上で次のように考えたらどうでしょうか。「今、大事な判断が求められている。マリアさまと一緒に考えることにしよう。」こういう思いで、出来事を思い巡らすならば、どんなに落ち着かない人でも、慌てる人でも、慎重な判断が身に付いていくのではないでしょうか。
「この出来事をどう受け止めたらよいのか。マリアさまと一緒に考えてみよう。」このちょっとした取り組みで、わたしの判断は格段に慎重なものになるのではないでしょうか。即断即決する人でも、そこに至る前の段階で、慎重に考える時間があるはずです。マリアさまと一緒に考えをまとめることをお勧めします。
もう1つ、マリアから仰ぎたい模範を見つけましょう。これは、わたしが今日の福音朗読を読みながら考えたことです。羊飼いたちが、幼子を訪ね当てた場面に表れています。「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」(2・16)
羊飼いたちは、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子だけを見つけたのではありません。「マリアとヨセフ、また乳飲み子を」と書いてあります。当たり前のことですが、天使が「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」(2・11)と言った時、羊飼いはその救い主のことを、幼子に直接尋ねるわけにはいかないのです。
当然、マリア、またはヨセフに尋ねたはずです。わたしは、この名前の書き方、母の名前を先に出し、そのあとにヨセフの名前を出しているのは、やはり先に、母マリアを羊飼いたちは見つけたのではないかと思うのです。
そして母となったマリアに、「お生まれになった救い主はどちらにおられますか」と、尋ねたのだと思います。母マリアは、ヨセフと一緒にいて、生まれたばかりの乳飲み子を指し示したのではないでしょうか。
今、さらっと言いましたが、マリアが、救い主を指し示すということには意味があるわけです。マリアは、神の子ではありませんが、真っ先に、神の子救い主はこちらですと、指し示すことのできる方なのではないでしょうか。
つまりマリアは、わたしたちが道に迷ったり、救い主に心が向かっている感じがなくて力を落とすときに、「あなたを救う方はこの方です。あなたはこの方に、何かを願うべきです」と、はっきり指し示してくれる方だということです。
わたしたちが、日々、イエスに向かって歩みを進めなければならないことは百も承知です。ただ、それを自分の力だけでできるかというと、そんなに強いわけではありません。そんなときに、「あなたは、この道で、この方法で、イエスにまっすぐに向かうべきです。」そんな導きをすべての人にくださるのが、マリアさまなのではないでしょうか。
そう考えて1年を見渡すと、5月と10月に、わたしたちはマリアにロザリオの祈りをささげる月が回って来ることに思い当たるでしょう。あるいは、8月15日には聖母被昇天の祭日が回ってきます。そう考えると、1年の節目節目に、わたしたちは聖母マリアに支えをいただいて1年を過ごしているのではないでしょうか。
神の母聖マリアは、神の子を宿し、人類の救いに協力したほめたたえられるべき方です。この方は、神の母でありながら、わたしたちから遠い存在ではありませ年。むしろ、身分も何もない羊飼いに救い主を指し示したことでもわかるように、わたしたちにより近いお方なのです。
この一年を、実り豊かなものにしましょう。そのために、常に救い主を指し示してくださる神の母聖マリアに、取り次ぎを願いましょう。道を間違えそうになる時、道を見失いそうになる時、神の母聖マリアが、「救い主に向かう道はこちらです」と指し示してくださいます。今日のミサで、マリアの取り次ぎを信頼していますと、マリアに呼びかけることにいたしましょう。
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‥次の説教は‥‥
主の公現
(マタイ2:1-12)
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