主日の福音10/12/24(No.508)
主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
あなたがたは乳飲み子を見つけるであろう

主の降誕、おめでとうございます。司祭になって初めて、生まれ故郷の上五島でクリスマスを迎えました。想像もしなかったことです。幼いころ、眠い目をこすりながら、この日の夜半のミサに連れて行かれたことを思い出しました。

今年のクリスマスを祝うに当たって、次の箇所を取り上げたいと思います。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。」(2・12)何も、驚くような箇所ではないのですが、あらためて考える材料を見つけましたので、今年、みなさんと分かち合いたいのです。

「あなたがたは…見つけるであろう。」これは、あらためて考えると、簡単なようで、そう簡単ではないと思いました。多くの羊を、牧草を探しながら転々としている羊飼いが、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つけ出すというのです。

浜串小教区の小学生、ざっと20人ほどですが、この小学生をわたしが例えば桐とか、奈良尾とかまで連れて行って、生まれたばかりの赤ちゃんを確実に見つけることができるかと考えるとき、そう簡単ではないぞとすぐに感じます。

20人を連れて、指示された乳飲み子を見つけようとしても、一緒に連れまわっている20人の心配もあります。乳飲み子がその土地でたった1人であれば見つけやすいでしょうが、何人かいたなら、その中のどの乳飲み子が、目当ての子なのでしょうか。

のちに占星術の学者たちが訪ねに行きますが、その時は星の導きがあったとされています。けれども、羊飼いたちには星の導きがあったとは書かれていません。わたしたちが昔そうであったように、牛を1頭飼っているとか、山羊を1頭飼っているとかいう家はざらにあったわけですから、家畜小屋を探すといってもそうたやすいことではなかったでしょう。

どのようにして、救い主に出会うことができたのでしょうか。もし、羊飼いの方から幼子を見つけるのが難しいのであれば、人となられた神が、羊飼いを招いたのではないでしょうか。神が、羊飼いを導き、布にくるまって飼い葉桶に寝かされている乳飲み子を見つけたのではないでしょうか。

そう考えて、もう一度天使の言葉を思い出してみましょう。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。」まるで、必ず見つけることになっていると、言っているようです。本来は、人間の側から必ず見つけるとは言えないはずです。だとすれば、羊飼いたちが必ず見つける理由があるはずです。

わたしは、それは出来事への深い信頼と、素直に受け入れる謙虚さだと思います。天使が告げた出来事はきっとどこかで起こったのだから、そこに行こう。わたしたちが見つけることができなくても、きっとわたしたちを導いてくれるはずだ。そこまでの信頼があったので、導かれて、その目で出来事を見ることができたのではないでしょうか。のちに訪ねてくる占星術の学者たちも、深い信頼と、謙虚さがあったので、導かれて救い主を見出したのです。

この考え方を、わたしたちにも当てはめてみましょう。わたしたちは、救い主を自分の力で見つけ出すことができるかと言うと、実はそうでもないということになります。クリスマスがやってきました。それでも、全員が救い主にたどりつくわけではないのです。自分で探しだすのではなく、導かれた人たちが、たどり着くということです。救い主はおいでになり、わたしを導いて出会わせてくれる。深い信頼と、謙虚な心を準備して来た人たちが、導かれていくのです。

今日、みなさんの多くが、馬小屋の前で祈りをささげていくでしょう。できればそのお祈りの中に、自分が導かれてここに来たことを、感謝する気持ちを付けくわえてほしいと思います。自分の力で、馬小屋を見つけて幼子にあいさつをしているのではありません。もし、そんな気持ちだったら、救い主の前に来ても、「やあこんにちは」くらいのあいさつしかできないでしょう。

「おいでになった救い主に、感謝します」とあいさつできるためには、自分が導かれてここに来たという気持ちが必要です。馬小屋の前に跪くのが当り前ではなく、導かれてひざまずくことができたという感謝につながってほしいものです。

最後に、この馬小屋の中で、布にくるまれて飼い葉桶に寝かされている幼子に導かれる人が、もっとたくさん増えることを考えましょう。きっと、まだ導かれて、この馬小屋の前までたどり着いていない人がいるはずです。そんな人たちのために、あなたは何ができるでしょうか。直接、この馬小屋の前に、誘ってあげることもできます。あるいは、家庭に招待して、家庭で飾っている馬小屋に誘ってあげることもできるでしょう。

来年のクリスマスに向けて、わたしは誰を、新しく導いて救い主の前に紹介できるでしょうか。もし1人でも、幼子の前に新しい人を導くことができるなら、それこそが、わたしたちにとってのイエスさまへの最高の贈り物だと思います。
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‥次の説教は‥‥
主の降誕(日中)
(ヨハネ1:1-18)
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