主日の福音10/06/20
年間第12主日(福音書)
試練の中でも信仰告白しよう

今日の福音朗読は、「ペトロの信仰告白」の場面です。イエスは弟子たちに、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(9:20)と問いかけました。すでに人々がイエスのことを、「洗礼者ヨハネ」とか、「エリヤだ」とか、「だれか昔の預言者が生き返った」と噂していました。そんな評判を知った上で、弟子たちに自分の言葉で、イエスをどう思っているのか、答えてほしかったのです。

イエスを誰かに例えるというのは、「すでに認められている人」「すでに敬われている人」と比べて考えようとするものです。イエスは弟子たちにそのような答え方を望みませんでした。自分の言葉で、誰とも比べずに、どう思っているのかすなおに言ってほしかったのでしょう。

わたしも、自分の言葉で答えることはすばらしいと思います。心の底から、神に対して思っていることが言えた時、それはすばらしい信仰告白になると思います。たとえ、言葉がつたなくても、自分が心から言った言葉には重みがあるのです。

こんなことがありました。中学生の堅信組を担当していた時でした。その日、堅信式前の試験を受けるために中学生が集まっていました。わたしは祈りを覚えているか尋ねる担当でした。たいていの中学生は、覚えてきた祈りをすらすらと唱えます。

内心わたしは、「これは、すらすら言えるかどうかの試験じゃなくて、これからもずっと、祈る場面で祈ることができるかを問うものなんだけどなぁ」と思っていました。すらすらと、祈りを唱える中学生たちに、正直退屈していたのです。

そこへ、うってつけの中学生が目の前に座りました。祈る習慣が身についていないのか、どの祈りを言わせてもうろ覚えです。「すらすら言えるかどうかの試験」であれば、とっくに不合格でした。

途中わたしは、「食前の祈りを唱えてごらん」と言いました。その中学生は一言も口を開きませんでした。きっと、食前・食後の祈りを家庭で唱えていないのでしょう。そこでわたしはこう言ったのです。「神さまに感謝してから、ご飯を食べることはすばらしいと思わないか?その気持ちを、言葉に表してごらん。それが、あなたらしい『食前の祈り』だよ。」

するとその中学生は、しばらく考えてから、「神さま、わたしはいままで神さまに感謝して食べたことがありませんでした。これから、神さまに感謝してご飯を食べようと思います。いただきます。」と答えてくれたのです。

本来、この子の「祈り」の試験の点数は、ひどい点数がつくはずだったのですが、わたしは、中学生の最後の祈りに心を打たれまして、30点のうち20点をつけてあげました。あとで合格不合格の判定会議に呼び出され、なぜこの中学生が20点ももらっているのだと、ずいぶん責められました。

もう一度、ペトロの信仰告白の場面を振り返ってみましょう。イエスが弟子たちに、自分のことをどう思うか尋ねた場面、実は前置きになる出来事が起こっていました。それは、5千人に食べ物を与えるという奇跡です。普通であれば、これほどの奇跡を目にして、イエスが誰であるかを言おうとするなら、「奇跡をおこなえる人」と言ってしまいそうなものです。

けれども、イエスが奇跡をおこなうことをご自分の中心であるかのように考えるのは望んでいなかったと思います。弟子たちも気づいていました。なぜなら、すでにいろんな例え方をされていることを説明して、それでもなお、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」と問いかけてきたからです。

弟子たちの口は黙ってしまいました。そんじょそこらの(ありきたりの)答え方では、イエスは満足してくれないことは明らかでした。何をどう言っていいのか、ためらってしまったのです。弟子たちも、下手なことを言って、「そんなことしか答えられないのか」とは、言われたくありませんでした。

そこへ、ペトロが弟子たちを代表して答えます。「神からのメシアです。」(9・20)ペトロには、答えがイエスにとって満足できるものかどうか、自信はありませんでした。ただ、弟子たちの誰もが何も言えなくなった時、何か答えなくちゃと思って、必死に答えたのです。

ペトロの答えは、実際には素晴らしい答えでした。イエスがもし、5千人に食べ物を与える奇跡をおこなってなくても、いろんな華々しい活躍をしてなくても、わたしにとってあなたは「神からのメシアです。」それだけ言えれば十分なのです。

ではわたしたちも考えてみましょう。わたしが信頼し、信じているイエスは、華々しい奇跡をおこなってくれなかったら、輝きはなくなるのでしょうか。もし、輝きがなくなれば、もう信じられなくなるのでしょうか。

わたしたちの信じるイエスは、華々しい人でなくても、信じるに値する方です。そのことをどこまで確信を持てるか、それが今日問われていると思います。わたしたちがイエスを信じ、従っていく道のりは、ちやほやされたり、自慢できたりできるような道のりでないことは明らからです。

そんな、世間的なものは何もなくても、「あなたは神からのメシアです」と答えることができるか、そのことが問われています。今すぐに、イエスにきっぱりと信仰を表す力は備わっていないかもしれません。それでも、「あなたは神からのメシアです」と繰り返し答えて、わたしの答えをゆるぎないものにしましょう。わたしたちの信仰告白が揺るがないなら、イエスは必ず、わたしたちに答えてくださいます。
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‥次の説教は‥‥
年間第13主日
(ルカ9:51-62)
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