主日の福音10/01/03
主の公現(マタイ2:1-12)
あなたの贈り物は、あなた自身です
今日は、「主の公現」の祭日です。占星術の学者たちが幼子を見つけ、ひれ伏して幼子を拝み、贈り物をささげました。わたしたちも、学者たちの心がけを学んで、生活に取り入れることにしましょう。
王の誕生を知らせる星を見つけた占星術の学者たちは、エルサレムへ来てヘロデ王に挨拶をします。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(2・2)
学者たちは、ヘロデ王が柔和で謙遜な王だと思っていたでしょうか。それはわかりませんが、学者たちの大胆な行動にまず驚きます。目の前にいるヘロデは、曲がりなりにも現在王である人物です。目の前の王に贈り物もしないで、新しい王の居場所を教えてもらおうとしているのです。
ヘロデが残虐な性格の持ち主だと知っていたら、挨拶には行かなかったかも知れません。あるいは、ヘロデ王がお生まれになった幼子のことを知らなかったことで、これは大変な過ちを犯してしまったと感じたかも知れません。
いずれにしても、学者たちはヘロデのもとを去って、再び星の導きを受けます。この、占星術の学者たちを導いた星ですが、これは神の導きのしるしと考えるとよいと思います。星が現れて、こちらですよ、あちらですよと導いたと考えることもできますが、星は神の導きのしるしで、神が、最初から最後まで、ユダヤ人の王としてお生まれになった方のもとに、学者たちを導いたと考えるほうがすっきり説明できると思います。
ですから学者たちは、神の導きを信頼して、お生まれになった王を探し、ついに探し当てました。「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」とあります。イエスは、王でありますから、黄金を献げます。
イエスは、祭司ですから、祭司が礼拝の務めで用いる薫り高い乳香を献げます。イエスはさらに預言者です。これまでのすべての預言者は、預言を受け入れない人々によって命を奪われて来ました。将来、埋葬されることになる預言者に、没薬を献げました。学者たちが献げた3つの贈り物は、このように説明が可能です。
わたしは今年、少し違った説明の仕方も示したいと思います。占星術の学者たちが献げた贈り物は、彼ら自身でもあったのではないでしょうか。学者たちは幼子を礼拝した後に、自分たちの国へ帰って行きました。学者たちのその後のことは何も語られていませんが、学者たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」に自分のすべてを委ねて、それぞれのその後の生活を送ったのではないでしょうか。
ここに、わたしたちが今週注目すべき点があると思います。学者たちは、幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。そして自分たちの国へ帰って行きました。まず、この学者たちに注意深く目を注ぎます。
すると、学者たちが表そうとしている態度に気付きます。学者たちは、自分の持つ最高のものを贈り物として献げた、ということです。彼らが献げることのできる最高の物、それは自分自身です。黄金や乳香や没薬は、努力すればもう一度買い求めることができるでしょう。
そうではなく、これらの贈り物で示そうとしたのは、幼子の前に、自分自身を献げようとする態度です。お金では買えない、自分自身のすべてを、お生まれになった救い主に委ねたのです。
では最後に、わたしたちは学者の態度を見て、どのように答えて生きてゆけばよいでしょうか。それは、わたしたちも、救い主である幼子に、自分自身を委ねて生きる決心をするということです。わたしの生き方はわたしが決める。それは立派なことですが、そこに、救い主イエスの導きを受け入れて生きる態度が必要です。
学者たちは自分たちの国に帰りました。二度と、ひれ伏して拝んだ幼子を見ることはないでしょう。けれども、学者たちはその後の人生を、幼子イエスに委ねて生きたに違いありません。
わたしたちにも同じことが求められています。わたしたちも、今日幼子を礼拝すれば、また自分たちの生活に帰っていきます。そこで、救い主イエスの導きを願いながら暮らすことを目指しましょう。何かを選ばなければならない。お生まれになった救い主に喜んでもらえる決断を選びましょう。
何かしら、声をかけて上げなければならない。その時、イエスに喜んでもらえるような言葉を選んで、必要としている人に声をかける。このような工夫を取り入れましょう。何かを買う時、誰かと込み入った話を付ける時、いろんな場面で導きを願いながら事を運んでいきましょう。
わたしたちが、今日幼子を礼拝しに来たのは、学者たちの態度を見倣うためです。学者たちは全財産とも言える黄金・乳香・没薬を幼子に献げて自分の国に帰りました。わたしはどうこれに答えるべきでしょうか。
わたしたちも、イエスの前に自分自身を洗いざらい委ね、これからの生活で、あらゆる場面で、イエスの導きを受け入れることができるよう、恵みを願うことにしましょう。
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‥次の説教は‥‥
主の洗礼
(ルカ3:15-16,21-22)
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