主日の福音09/05/31
聖霊降臨の主日(ヨハネ15:26-27;16:12-15)
わたしたち自身の聖霊降臨に気づき、証しを立てよう

5月30日土曜日に、父フランシスコ中田輝明の年忌のミサを新上五島町鯛ノ浦教会でささげてきました。金曜日に長崎の大波止から五島産業汽船に乗って鯛ノ浦に向かったのですが、この日は木曜日の大荒れの天気の影響がまだ残っていて、少々の波では何とも思わないわたしも、さすがに船が揺れてまいりました。胃の中身がかき混ぜられるような感じと言ったらいいでしょうか。とにかくつらい船旅になりました。

わたしは大きな波に揺られて鯛ノ浦に向かっている時間に、1年と数ヶ月前、肺ガンの治療のために鯛ノ浦から長崎に船で上がってきた父を迎えた時のことを思い出していました。「おー、迎えにきとったとか。酔うたぞ〜」と、弱気なことを言って船から降りてきたのです。

「これから治療に行くんだから、そんな弱気じゃダメだよ」と、元気づけるつもりで言葉を掛けたような気がします。わたしが金曜日に味わったようなつらさをもし味わっていたとしたら、弱気じゃダメじゃないかとか言ったのは、今になって考えてみれば悪いことを言ってしまったなぁと思ったのでした。

翌日の土曜日、集まった信徒の皆さんと一緒に追悼のミサをささげたのですが、金曜日に布団に滑り込んだのは夜中の12時半くらいでした。しばらく休ませてもらおうと思っていたのですが、ちょっとした物音が聞こえたような気がして起き上がって居間に行きますと、母が何やら新聞で調べ物をしていました。

「頼むよ本当に。こっちは疲れてるんだから。」そう言うと母が「起きたとね。時間までゆっくり寝とってよかよ。起こすけん」と言うんです。それはこっちのセリフじゃ。こんな時間に物音立てたりして。そう思ったのですが、これまたあとで考えると、毎朝ミサに行く時に「おー、こうじ。ミサに行くぞ〜」と言って目覚ましが鳴るよりも早くに起こしていた父が、物音を立ててわたしを起こしていたのかなぁと思ったのです。

この2つのことを重ねて考えると、わたしはこんなことを思いました。父が生活の中で教えてくれようとしていたことは、一緒に暮らしている時には当たり前すぎて理解できなかった。けれども、父が亡くなって1年経ってみると、今のほうがむしろ当時よりも父の言いたいことがよく理解できることもある。そう感じたのです。

この経験は、聖霊降臨の出来事を理解するヒントになるのではないでしょうか。今日の福音朗読の中で、「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」(15・26)「あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。」(15・27)「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。」(16・12)「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」(16・14)これらの箇所が重なっていると考えました。

説明すると、聖霊降臨の出来事は、弟子たちが、今は理解できなくても、あとで聖霊を受けると理解できるようになるという約束の部分と、聖霊を受けると弟子たちは証し人になるという使命の部分とが含まれると思うのです。

この二重になっている部分は、わたしが父のことをあとになって理解できるようになったことと、父が残してくれた生き方を、自分のこれからの人生の中で証ししていかなければならないと感じているという二重の感覚と、よくにているなぁと思ったわけです。

このような関連は、なぜ生まれてきたのか。それは、両方共に、聖霊が降って、働いているからではないでしょうか。今年、中田神父にとっては、父の1周忌を通して、聖霊降臨とはどんな出来事だったのかを具体的に教えてもらったような気がします。

もちろんわたしが話したことはわたし個人に関わる体験ですので、皆さまはそれぞれが、自分の中で同じような経験をしていないだろうかと、振り返っていただければと思います。

その当時は理解できなかったけれども、今になってみたら前よりもよく分かるようになった。そしてその分かるようになったことは、今の時代のより多くの人に、さらには次の世代の人々に、告げ知らせるべきだと感じている。

もしもこのような経験を持っているとしたら、あなたにも聖霊降臨の働きが届いているのだと思います。聖霊降臨で弟子たちが体験していることは、当時劇的な形で実現したわけですが、それで終わったのではなく、今の時代にも同じ恵みの体験は与えられるということです。

同じ体験が与えられる共通の土台は、わたしたちがすでに堅信の秘跡によって聖霊を受けているということです。あとは、よくよく振り返ってみると、誰しもきっと同じような体験に行き当たるのではないでしょうか。

わたしにも、聖霊降臨の恵みは届いています。その喜びの体験に気づき、体験をもとにして証しを立てましょう。あなたが体験した喜びであれば、他人の借り物ではないのですから、きっと伝えることができるはずです。そしてあなた自身の喜びが本物であれば、きっと人を惹きつけ、わたしたちと同じ信仰に、人を招き入れることができるのではないでしょうか。
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‥次の説教は‥‥
三位一体の主日
(マタイ28:16-20)
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