主日の福音08/12/28
聖家族(ルカ2:22-40)
何かをささげて家族は絆を見いだします
今日の福音朗読は、イエスが両親に連れられて神殿に奉献される箇所でした。今こう言っただけでピンと来た人もいると思いますが、今日の朗読箇所と2月にやってくる「主の奉献」の朗読箇所はまったく同じになります。
2ヶ月もするとまったく同じ朗読箇所で説教をしなければならないというのは私にとっては暴力に近いものがあります。ほんと、こんな意地悪はやめてほしいです。ただ幸いに、日本では主の奉献の祝日が2月2日の月曜日に割り振られているので、本当に助かっています。
さて、幼子イエスを連れたヨセフとマリアが神殿に詣でてみると、聖家族のお参りを首を長くして待っていた人が2人待機していました。1人はシメオンという男性、もう1人はアンナという女預言者でした。その2人のうち、今年はシメオンの預言の言葉を取り上げたいと思います。
取り上げたいのはシメオンの最後の言葉「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」(2:34-35)です。このシメオンの預言の言葉から、「家族は何かを奉献することで、真の家族になっていく」ということを考えてみたいと思います。
ヨセフと一緒に神殿に向かったマリアがシメオンから受けた預言は、幼子の将来について、それもマリアにとってつらい結果を伴った将来でした。「剣で心を刺し貫かれる」それほどの苦しみが待っているというのです。これはイエスの受難のことを預言しているのですが、まだ幼子に過ぎない今、生後40日しか経っていない今、このような未来を示されたマリアは、胸がつぶれるような思いだったのではないでしょうか。
シメオンの預言を考えれば、ヨセフとマリアはイエスを神殿に奉献したその時から、将来イエスに起こる出来事のために大きな十字架を担って生きたということになります。十字架を担い、またその十字架を日々おささげして、生きたのです。なかなか、私たちには理解できない大きな犠牲だと思います。
ところが、よく考えると、ヨセフとマリアが担ったその大きな犠牲に近い犠牲をささげている家族は、あちこちにいるかも知れないのです。私は過ぎた1週間で、そのような家族を知りました。実は私の従兄弟が、火曜日の夜に脳出血で亡くなりました。40歳?でした。
ご両親は、私の父の兄弟です。一番上の兄で、私の父は一番下の弟だったのでずいぶんかわいがってもらっていたそうです。このおじさん夫婦が失ったのは一人息子でした。ヨセフとマリア、そして幼子イエスという聖家族と同じ家族構成だったのです。
私は金曜日にその従兄弟の葬式のために長崎の滑石教会に行きました。おじさん夫婦は本当に疲れ、また一人息子を亡くしたことで暗闇の底に突き落とされたような状態だったと思います。
ただ、先に子供を失った、それも一人息子を失ったおじさん夫婦には、これからも先の時間があるわけです。とても辛いことですが、これからの人生を、その悲しみを背負って生きていかなければなりません。
私はこのおじさん夫婦に、信仰に裏打ちされた家族の力を見た思いでした。亡くなった息子さんは戻っては来ませんが、家族の中から、神さまへ、1つの完全な奉献を、成し遂げたのだと思います。取り戻したくても取り戻せない、神さまのもとに一人息子を委ねました。それは、大きな犠牲、大きな献げ物なのだと思います。
そして、犠牲をささげることで、家族は神に特別に近づくのです。アブラハムが息子イサクをささげたことで、神に特別に愛される人となったように、たとえ相手が神さまでも、ささげるのはちょっとためらう、そんな大切な何かを十字架としてささげるとき、家族はさらに神に近づくのではないでしょうか。
いつでもささげることができるものは、通常の献げ物です。ですが、ある時家族は、どうしても神に求められて、何か尊いものをささげなければならない時がやってきます。夫婦のどちらかが配偶者を神に召されるとか、または親を送らなければならなくなったとか、できればその日が来ないでほしいと思えるような辛い別れ、犠牲をささげる日がどこかで巡ってきます。
けれども、別の見方をすると、そうした特別な犠牲を神にささげる時、家族はもっと深い絆を与えられるわけです。生きていた時にはそばにいてくれることを特別に思っていなかったのに、神さまに配偶者が呼ばれると、そばにいてくれたことがどんなにありがたかったかが分かります。子どもが、親の存在をありがたいと思うのも、親を神さまに送り出した時だったなぁと感じる人も多いはずです。特別な犠牲を家族がささげた時、家族はもっと深い絆に結ばれた家族になるのではないでしょうか。
聖家族は、シメオンの預言を聞いたことで、幼子イエスをささげなければならないことを知り、覚悟を決めました。この時、家族の絆はこれ以上ないほど強まったのだと思います。
特別なささげものは、私たち家族も絆を強めます。私の家族は、人でも物でも、神さまにささげるのは気乗りしないとと思っていないでしょうか。神さまのために時間を使うのがもったいない気がすると思っていないでしょうか。
ぜひ、聖家族が神への献げ物によって強められたように、私たちの家族も何か大きな献げ物を通して神さまから強い絆を与えてもらえるように願いましょう。聖家族の姿に、必ず私たちの家族が成長する模範を見つけることができます。これからの生活に照らしとなる点を、聖家族の中に見いだすことがように、ミサを通して願いましょう
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‥次の説教は‥‥
神の母聖マリア
(ルカ2:16-21)
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