主日の福音08/12/24
主の降誕(夜半)(ルカ2:1-14)
私たちは神の家族に登録されています

主の降誕、おめでとうございます。すでに、ご承知かも知れませんが、この説教の後に、1人のお子さんが洗礼をお受けになります。ずっと聖歌隊の席にいて、知っている歌は元気に歌い、司祭の招きにも答えることができるまでになっていました。今日は、洗礼式のことを少し意識して、説教したいと思います。

今日の出来事は、全世界にとって大きな出来事です。救い主である幼子は、ベツレヘムで生まれました。ベツレヘムで歴史が始まりました。ただし、人間の世界での歴史です。そこには必ず人間の働きが見え隠れします。

ヨセフとマリアがベツレヘムに向かったのは、自分たちがお産の場所としてベツレヘムを選んだからではなく、人口登録をせよとの皇帝の勅令があったので、ヨセフも、いいなずけのマリアと一緒にベツレヘムに向かったのでした。彼らがベツレヘムに行ったきっかけは、お産のためではなく、登録のためだったのです。

ところが、人間のこのような介入があったとしても、神さまの計画が妨げられるわけではありません。神さまは、ご自身のご計画に沿って、独り子をこの世にお遣わしになりました。ベツレヘムで救い主が生まれることは、ずっと前に聖書の中で預言されていたのです。

「ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである」(マタイ2・6)。

きっかけは人間に過ぎない皇帝の勅令でしたが、その皇帝の命令も含めて、神さまのご計画の中で出来事は動いていたのです。このヨセフとマリアが、ベツレヘムで登録に来たことを、クリスマスのメッセージとしてまずは取り上げたいと思います。

私たちはみな、出生のルーツがあります。そのルーツを知っている人もいれば、知らない人もいるでしょう。また、知ることのできる人もいれば、知り得ない人もいるかも知れません。いずれにしても、私が今存在しているのは、何かのルーツがあるからだということです。そして私たちは、そのルーツをたどっていく中で、神さまと出会うのです。

ヨセフとマリアは、この事実を私たちに教えてくれます。ヨセフは、皇帝の勅令という強制がきっかけではありましたが、自分のルーツであるベツレヘムというダビデの町に上っていきました。ルーツをたどっていく旅の中で、いいなずけのマリアは月が満ちて、初めての子を産みました。幼子イエスは、天使ガブリエルのお告げで示された「救い主」なのですから、彼らは幼子イエスを通して神に出会ったということになります。

今日洗礼を受けるお子さんも、洗礼の恵みによって登録されることになります。神の家族、教会の一員として登録に来たのです。登録されていなくても、神さまの胸の中に記憶されているかも知れませんが、目に見える形で登録することは大事なことです。ヨセフとマリアも登録に行きましたし、幼子イエスも、のちに神殿奉献を通して、人としては登録に出かけたわけです。

今日洗礼を受けるお子さんの様子を、私たちは目の当たりにします。私たちはすでに登録を済ませている者ですが、今日の洗礼式を通して、あらためて自分が神の家族、教会の一員に登録されていることを確認するとよいと思います。

ただ単に、自分が教会に結ばれているということを思い出すだけではなくて、私がこの世にいるのは、神さまの家族に登録されているからなんだなぁということをしみじみと味わってほしいのです。

教会に滅多に顔を出さない人であっても、もしかしたらクリスマスの日にしか教会に来ないという人であっても、神さまの心の中に、私が登録されているおかげで今生きている。そのことをもう一度思い出して、感謝をささげてほしいなぁと思います。

これから、伊王島幼児園の年長さんである○○○○君が洗礼を受けます。神さまの家族の仲間入りをします。私たちも喜んで迎えることにいたしましょう。
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‥次の説教は‥‥
主の降誕(日中)
(ヨハネ1:1-18)
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