主日の福音08/10/19
年間第29主日(マタイ22:15-22)
生涯をかけていのちを神にお返ししましょう

ここ数年、10月から11月にかけては純心大学で一年生に授業をしに出かけています。最初の年こそ女子大生に囲まれてさぞウキウキだろうなぁと思っていましたが、そんな思いは全くの妄想だとすぐに分かりました。大学生のほうは40歳のおじさんとしか思っていないことに気付いたのです。まじめに自分の受け持っている授業に専念したほうがいいとすぐに感じました。

さてその授業の内容は、「いのちの時代を生きる」というテーマの授業で、「いのちの大切さをあらためて知る」ということと、「その大切ないのちをどのように生きていったらよいのか考える」ということが柱になっています。

初めに取り上げる「いのちの大切さ」の中で、次のような考えを示しました。「いのちを自分の持ち物だと考えると、いのちの大切さを見誤ることになります。持ち物と考えてしまえば、勝手に手放したり、また取り戻したりすことができると思ってしまうからです。ところが、仮に自分のいのちを手放した場合、取り戻すことはできないのです。むしろ、いのちは与えられたもの、預けられたものと考えるほうが、いのちの大切さをよりよく理解できると思います。」

「いのちが与えられたもの、託されたものであれば、与えてくれた方にいつかはお返しするつもりで生きていくべきです。それは、図書館で本を借りた時、返すまで大切に扱うのと同じことです。図書館から借りた本は、預けられたのですから、傷つけたり汚したり、ましてや頁を破いて価値を下げてはいけないように、私たちも預けられたいのちを傷つけたり汚したりすべきではありません。最低限、元の状態を保ち、できることなら美しく飾り、価値ある状態でお返しすべきです。そのような生き方を目指しましょう。」まぁだいたいこのような授業をしています。

私の中で、この授業と今週の福音でイエスが最後に語ったことばとがうまく重なりました。イエスは今週の朗読箇所の結びとして次のように語っています。「神のものは神に返しなさい」(22・22)。当然、キリスト者にとっていのちは神から与えられたものですから、私たちはいのちを神にお返しする生き方を目指すべきだということです。

大学生に向けた言葉でもう少し補うと、神から与えられたいのちを美しく飾り、神にお返しするように努力する。これが、わたしたちの生きる道なのです。置かれた生活の中で、神に与えられたいのちをそれぞれの生き方に合わせて美しく装う。家庭生活にある人は信仰に土台を置いた家庭を築き、いのちを美しく飾る。

修道生活や司祭職に呼ばれた人は、神のことばを生活に宿らせるようにすることでいのちを飾る。1人ひとりの置かれた生活の中で、神に与えられたいのちを輝かせる工夫を取り入れることが、「神のものは神に返しなさい」とおっしゃるイエスに答えることになるのです。

大学生の授業の中では、次のようなことも言いました。「与えられたいのちを美しく飾る生き方とは、どのような生き方を言うのでしょうか。例えばそれは、『人を生かす生き方』ではないでしょうか。自分の時間や才能や持っているものを使って、周りの人を喜ばせたり、元気づけたり、やる気を起こさせたりすること。それが『人を生かす生き方』だと思います。家族の中で、学生活動の中で、職場で、何かの集まりの中で、『人を生かす』ことに目を向けてみてください。」

同じように、私たちも人を生かすことに私の時間や才能や持ち物を使う時、与えられた自分のいのちを美しく飾る事ができると思います。もちろんこれは1例に過ぎないのですが、「与えられたいのちを美しく飾る生き方」が何も思い付かないなら、参考にしてみてはいかがでしょうか。イエスの言葉は今週私たちに強く迫ってきます。「神のものは神に返しなさい」。いのちを神にお返しする気持ちで日々を生きていくなら、イエスのこの呼びかけに答える1つの道となるでしょう。

私の中でもう1つ、「神のものは神に返しなさい」というイエスの言葉と結びついたものがあります。それは、殉教者の生き方です。11月24日にはいよいよ188殉教者が列福されますが、彼らこそ「神のものを神に返す」という生き方に徹した人々だと思いました。殉教者たちは、いのちを神にいただいたことはもちろんのこととして、この世のすべてが、神から与えられたものだから、神にお返しすべきものだと考えていたのだと思います。

それはどういうことかと言うと、殉教者たちは自分のいのちを殉教によって美しく飾り、神にお返ししただけではなく、キリスト教の神をすべての日本人に知らせようと真剣に願っていたのです。長崎の西坂で殉教したニコラオ福永ケイアンは、処刑される前に次の言葉を残しました。「残念なことが1つあります。将軍様はじめ、すべての日本人をキリストへ導くことができなかったことです。」

みずからが与えられたいのちを美しく飾るだけに留まらず、「人を生かす生き方」を最後まで貫こうと努力していたことがよく分かります。日本人をイエス・キリストに導くことが、すべての人を生かす生き方なのだと固く信じていたのです。

彼ら殉教者の生き方には、2つの大きなお手本があると思います。1つは、神のものをすべて神にお返しになった独り子イエスに完全に倣おうとしていたことです。もう1つは、私たちに与えられたいのちを美しく飾る生き方の模範を示してくださったということです。私たちはもっともっと殉教者の生き方を学び、お手本を読み取って自分の生活に当てはめていくべきだと思います。

この1年で、いくつもの参考になる書物が出ています。少し前に出た「わたしは模範を示した」という赤い色の冊子とか、「ペトロ岐部と187殉教者」、また「恵みの風に帆をはって」という絵本などが特に参考になるでしょう。ぜひ読み返したり読み続けたりして、私は自分の置かれた場所で、どうやって「神のものを神に返しなさい」という呼びかけに答えていくのか、しっかり考えてみたいと思います。
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‥次の説教は‥‥
年間第30主日
(マタイ22:34-40)
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