主日の福音08/07/06(No.365)
年間第14主日(マタイ11:25-30)
わたしのもとに来なさい。あなたを休ませる

今日は聖歌を1曲歌ってから説教に入ろうと思います。

『来なさい 重荷を負う者』
(作詞・作曲 高田三郎)

1.来なさい 重荷を負う者
  苦しむ者はみな わたしのもとに
  わたしはあなたを 休ませる
2.わたしは柔和で謙遜だから
  受けなさい わたしの軛を
  なりなさい わたしの弟子に
3.わたしの軛は負いやすく
  わたしの荷は 軽いから
  あなたの心は 安らかになる

この歌、もしかしたら聖歌隊の皆さんも今日のミサのどこかで歌うかも知れません。その時にもじっくり聞きながらこれから話すことを考えてみてください。中田神父は今、「来なさい 重荷を負う者」という歌を歌いながら、3箇所、特に気持ちを込めて歌いました。それぞれ、歌に込めた思いを紹介します。

1番では、「来なさい」という部分です。「来なさい」「おいで」という言葉は、人を引き寄せる、引きつける力がなければなりません。たとえそれが歌の歌詞であっても、「来なさい」という言葉を聞いた人にちゃんと伝わって、呼びかけている人のところへ行ってみたいな、近づきたいなと思わせる歌い方でなければならないと思うのです。「来なさい」と言葉では言うけれども、「本当は来てもらっちゃ困る」というのでは意味がありません。

先ほどの歌のもとになっているのは、もちろん今週の福音朗読の箇所です。イエスはこう言いました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(11・28)。イエスの「来なさい」という言葉に、多くの人が耳を傾けました。

イエスの「来なさい」という言葉には、本当に疲れた人、重荷を負う人にとっては大いに引きつけられる力があったのでしょう。私も、「来なさい」と歌うからには、心から「おいで」という気持ちを込めて歌えるようになりたいと思うのです。

2番の歌詞で私が特に心を込めたのは、「受けなさい」という部分です。「受け取りなさい」と言って、示しているのは「軛(くびき)」です。つまりそれは「服従」とか「つらい仕事」を受け取りなさいという意味です。いくらイエスが「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」(11・29)と言ったって、簡単に「はいそうですか」と言えるでしょうか。

「わたしの軛を受けなさい」と言っているイエスの言葉を考える時、私は父親が病床で過ごした最後の三日間を重ねて考えます。最後となった週の木曜日あたりから、父は周囲の呼びかけに返事ができなくなりました。それでも、苦しそうにしている様子を見ると、たくさんの重荷を背負っていることが伝わってきます。

金曜日は、さらに反応がなくなってきました。先生や看護師の方が何度も父のまぶたにライトを当てて、瞳孔の反応を見るようになりました。まったく苦しい様子を見せないなら私たちも辛くないのですが、やはり苦しそうにしています。私はその時にこう思いました。もはや家族の声は遠くなって、イエスの呼びかけ「受けなさい、わたしの軛を」という声に従っているのだと思ったのです。

苦しくても、イエスから「受けなさい、わたしの軛を」と呼ばれれば、イエスの軛を負う。父の姿は、イエスの呼びかけ「受けなさい、わたしの軛を」という言葉に偽りがないことを教えてくれたと思います。

最後の3番の歌詞の中で、私は「安らかになる」という言葉に特に気を付けて歌いました。イエスが求める軛を負い、イエスに学ぶ人は、安らぎを覚えるというのです。果たしてそれは、生活の中で、この日曜日の礼拝に集まって、体験できているのでしょうか。

自分自身の体験から言えることは、毎週日曜日の説教を考えながら、ああでもない、こうでもないと頭をひねり、腕組みをし、イエスが私に伝えようとしていることを何とか形にしようと毎週格闘しています。そして何かの形にまとまった時、いつも感じるのは「やっと終わった」という安心感です。中田神父にとっての軛を負い、今週の学びを得た時、そこには必ず安らぎが待っています。

それは終わりのない経験です。今年何かの安らぎを得たからと言って、3年後にはまた何かを求めてイエスの軛を負い、イエスに学び直します。そこには新たな安らぎが待っています。私の経験から言えることは、何度イエスの軛を引き受けても、その度に何か新しい学びがあり、安らぎを得ると言うことです。

お一人おひとりにも、イエスのもとに来る度に新たな安らぎがあるように、イエスの思いを伝える協力をしたいと思います。「あなたの心は 安らかになる」そう歌うだけで十分、説明してもらわなくても分かる。それほど、イエスの呼びかけを考えに考え抜いて、とことん吟味して、歌えるようになりたいと思います。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(11・28)。だれもがこのイエスの言葉を味わえるミサにしていきましょう。日曜日にミサに来てこの言葉の意味が分かったと思えるような教会づくりを、一緒に進めていくため、ミサの中で照らしを願いましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第15主日
(マタイ13:1-23)
‥‥‥†‥‥‥‥