主日の福音08/06/15(No.362)
年間第11主日(マタイ9:36-10:8)
殉教者の姿に宣教の姿勢を学ぶ

過ぎた週は教区司祭の黙想会でした。指導してくださったのは現在高松教区(四国)におられる溝部 脩(おさむ)司教さまです。この司教さまは、列聖列福特別委員会の委員長を務めておられます。説教の内容は殉教者が殉教していくその最後の証しについてでした。188殉教者の列福を前に、とても効果的な黙想会になったと思います。

説教は合計で7回ありまして、3回分は司祭の殉教者について、4回分は信徒の殉教者を取り扱いました。その中で、中浦ジュリアン神父についての説教を紹介しながら、今週の福音の学びを得たいと思います。

中浦ジュリアンは、日本に建てられた有馬のセミナリオで、イエズス会の宣教師バリニャーノによって育てられた司祭です。中浦ジュリアンは他の3人と共にローマに派遣されました。有名な「天正少年遣欧使節」です。ヨーロッパの文化に触れ、同時にカトリック教会の伝統を体験した上で、日本での宣教に就かせるためでした。

中浦ジュリアンは、ヨーロッパの文化、カトリック教会の伝統を学んだと言っても、決して西洋かぶれでは終わらない人でした。バリニャーノが少年使節をローマに派遣したのは、日本の土地に生まれ育った日本人が、ヨーロッパの文化に触れ、そして世界の教会体験を経て、キリスト教という信仰の本質に至り、納得して自分の言葉で信仰を語ることが最終目標だったのです。

中浦ジュリアンは宣教師バリニャーノの教育を受け始めたとき10代の少年でした。ところが、司祭になったのは38歳になってからでした。25年もの長きにわたって準備をして、迫害のさなかにある日本で宣教者として生きることを選んだのです。それは、キリスト教を十分学んだ上で、自分の言葉で、また日本人に伝わる話し方で宣教するための長い長い道のりだったのです。

私は、中浦ジュリアンを取り上げた回の説教で心に残ったのは、「自分の言葉で、日本人に分かるように話す必要がある」ということです。そのためには、ローマから伝えられたキリスト教を十分学ぶだけでなく、その上さらにどのように話したら分かってもらえるのかという「日本の伝統や習慣をより深く理解する」ことが必要になるのです。

今日の福音の中で、イエスは12人の弟子を呼び寄せ、使徒として派遣します。使徒として選ばれた弟子たちが、自分の言葉で、イスラエルの家の失われた羊たちに語りかけました。「収穫は多いが、働き手が少ない」(9・37)とは、この辺のことを言っているのでしょう。ただ命じられたからと言ってイエスから指示されたことを棒読みするのではなく、自分の言葉にしっかり置き換えて話す必要があったのです。

こうした「自分の言葉でしっかり語れる働き手」が必要だとイエスは強調します。そのためには、イエスの教えを理解しているだけではなくて、話す相手であるイスラエルの失われた羊の置かれている事情も十分理解できる人でなければならないのです。

迫害の時代に殉教していった中浦ジュリアンは、今日の12使徒が求められていたことを日本で確実に実行した司祭でした。ヨーロッパで学んだことを、日本人に伝えるためにいったん自分の中で十分に消化して、日本人に伝えようとしたのです。ここまで気を配らないと、ヨーロッパで育ったキリスト教をそのまま押しつけても、日本人には理解してもらえないし、日本に根付くこともない。当時の宣教師たちも分かっていたし、宣教師によって育てられた中浦ジュリアンも分かっていたのです。

中浦ジュリアンは最後は西坂で穴吊りの刑にされて殉教しています。そして、彼の最後の言葉は、「わたしはローマに行った中浦ジュリアン神父である」という言葉でした。それは、教会と出会い、日本の文化を基礎に置いた教育を受け、さらに世界での体験を経てカトリック教会を理解し、キリスト教を自分の揺るぎない信仰として受け止めた日本人の叫びだったのです。

もっと大胆に言うと、「イエス・キリストの教えは、日本の中で根付くことができます。日本人の中に根付くことができます。わたしがそのことを命を賭して証明しましょう」という叫びだったと思います。

イエス・キリストの教えは、日本の中で、日本人の中に根付くことができる。私はその強烈なメッセージを今年の黙想会全体を通して受け取りました。そしてこれからは、そのことを生活の中で証明していくための日々になります。黙想会に呼び集められたすべての教区司祭が、同じ思いでこれから小教区に戻って全力を尽くします。
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‥次の説教は‥‥
年間第12主日
(マタイ10:26-33)
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