主日の福音08/05/11(No.357)
聖霊降臨の主日(ヨハネ20:19-23)
聖霊は教会の誕生と密接に関わっています

今週私たちは聖霊降臨の主日を迎えました。聖霊降臨は教会の誕生の日と言われたりもします。そのことを少し心に留めて、出来事を私たちの生活と結び付けていきましょう。

まず今日の3つの朗読箇所から、聖霊の役割について考えてみたいと思います。第1朗読、「使徒たちの宣教」の中で、「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(使徒言行録2:4)とあります。聖霊が注がれて誕生した教会は、その出発の時からあらゆる国の人々に語りかける言葉を持っていた、あらゆる国の人々に理解される価値を持っていたということです。

この第1朗読のメッセージを福音書で探すなら、復活したイエスは弟子たちの前に現れ、「あなたがたに平和があるように」(20:19)と声をかけた場面になるでしょう。その時、「手とわき腹とをお見せになった」(20:20)ことから、弟子たちに届く平和は、イエスの手とわき腹の傷が、その土台となっている、つまりすべての人のために十字架にかけられ、神との和解を取り戻してくれたイエスの犠牲が土台です。イエスの犠牲が土台となった平和は、すべての人に価値のある平和に違いありません。

この点を、教会の誕生と結び付けると、教会はその誕生から、弟子たちに注がれた聖霊に、イエスが築き上げてくださった平和によって世界中の人に理解され、誰にとっても価値のある存在として出発したことが分かります。

今日私たちにも聖霊降臨の喜びが与えられます。私たちには、誰にでも誇れる信仰の良さが理解できているでしょうか。また、教会の家族として、平和を保っている家族でしょうか。考えてみたいと思います。聖霊降臨によって、教会は誕生し、出発しました。私たちの教会にとっても、教会が誕生し、成長していく第一の鍵は、誰にでも誇れる信仰を示すことができるか、平和を皆さんと共にしているか、ということです。

次に、第2朗読から聖霊の役割を探ると、「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです」(一コリント12:11)。教会がイエスのわざを引き継ぐ力強い道具となるためには、教会を形づくっている一人一人が全体の益となる振る舞い、発言を心がけるべきです。

第2朗読のメッセージは福音朗読にも引き継がれます。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(20:22-23)。ここで言われているのは、罪から人を清める役割です。御父と御子から与えられる聖霊によってしかできないわざを、弟子たちは引き継いで果たしていくのです。

それはつまり、聖霊降臨によって誕生した教会は、イエスのわざを世の終わりまで続けていく力強い道具だということです。福音の箇所は、罪が赦されることを強調していますが、洗礼を授けること、社会に対して神の言葉を告げる預言者となること、奇跡を行うことまで含めて、神の民である教会は聖霊のたまものを受けてイエスのわざを続けていくのです。

私たちの教会とのつながりも考えておきましょう。私たちはそれぞれ、神の道具として働いてきたでしょうか。聖霊の注ぎを受けた人にしかできないわざを人々の前に証明してきたでしょうか。

聖霊の第二の役割は、秘跡にあずかるときにも発揮されます。ゆるしの秘跡、ミサの時の聖体拝領、洗礼、堅信、病者の塗油、叙階、婚姻、どの秘跡の場合も、その場に積極的に参加することで、神がこの世に残されたわざを、告げ知らせることができます。あるいは周りの人にも、秘跡の交わりに参加を促したりすることで、私たちは教会の誕生とその成長に関わっているのです。

聖霊降臨に見られる第三の役割は派遣の働きです。福音朗読にそのことがはっきり示されています。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(21:22)。聖霊を受けて誕生した教会は、誕生と同時に成長していくのです。成長するとは、もちろん神の民が増えていくことですから、神の民があちこちに派遣されて、新たな神の民をもうけることを意味しています。

そこで、私たちの教会とのつながりを考えて結びとしましょう。今日の典礼の中で、聖霊の続唱を唱えました。「聖霊来てください」と唱えました。この祈りは、ただ単に聖霊の恵みを願う祈りではないのです。かつての弟子たちはイエスに指示された通りに聖霊を待ち望み、聖霊が注がれると教会が誕生しました。当然、誕生したものは同時に成長し始めるのです。

同じことは私たちの教会にも当てはまります。「聖霊来てください」と唱えたのですから、私たちも教会も誕生と当時に成長が始まります。「聖霊来てください」と願うことで、私たちの教会の誕生と成長に関与しますという意思表明をしたことになるのです。この点をもう一度確認しておきたいと思います。

さらに、私たちはミサの終わりに、「行きましょう主の平和のうちに」という言葉を受けて派遣されていきます。特に今日の典礼では、復活からの一連の出来事の完成として「アレルヤ」が付け加えられています。私たちはいつも派遣の祝福を受けて生活に戻っていくのですが、私たちの派遣にも聖霊を受けて教会が始まったという当時の弟子たちの体験が関わっていなければならないと思います。

教会の誕生、また教会の成長と発展に一役買うために、私たちは「聖霊来てください」と願い、派遣の祝福を受けて社会に送られていきます。使命をしっかり心に留めて今週一週間過ごしていきましょう。
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‥次の説教は‥‥
三位一体の主日
(ヨハネ3:16-18)
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