主日の福音07/06/03(No.301)
三位一体の主日(ヨハネ16:12-15)
三位一体の神はいつも具体的な対話をします

先週の27日日曜日、パリ外国宣教会のローランド神父様が伊王島を訪問してくださいました。26日土曜日とあわせて外海と長崎南地区を訪問したのですが、皆さん喜んでください。伊王島での歓迎にいちばん感動したと言っていました。

27日は午後3時から中町教会で講演会と感謝のミサを捧げ、その後場所を移して懇親会をしたのですが、名指しで、馬込小教区での歓迎がいちばん心に残ったと言ってくださいました。これも全て、信徒の皆さんのおかげです。伊王島のおもてなしの心が本当にすばらしいということを証明してくれました。ありがとうございました。

188殉教者の列福がいよいよ本決まりになりました。日程と場所はまだ決まっていませんが、近いうちに日本の司教団が訪問団を結成してバチカンに赴き、日程と場所を決めてくることになると思います。私も行ってこようと思います。うそです。

さて、三位一体の主日を迎えました。名前の付く祭日が連続していることは、もう覚えてくれたでしょうか。ご昇天・聖霊降臨・三位一体・キリストの聖体・イエスのみ心、ここまでは連続してやって来る祭日ですので、ひとまとめにして覚えるときっとためになります。

三位一体の主日を考えるために、すごーく身近な話を取り上げます。皆さんの中に、親しい人と話をするときにほとんど「あれ」「それ」「これ」で話をしている人がいると思います。私は、歳を取るにつれてだんだん「あれ」「それ」「これ」と言うようになるのだろうと、身近な人々を見ながら思っていたのですが、もしかしたら原因は年齢だけではないのかも知れないと思うようになってきました。

こういうことです。本当に親しい間柄の人と話すときは、「昨日の話、考えてくれた?」と言えば、昨日の話が何なのかはっきり分かっていると思います。もっと省略して、「昨日のあれ、考えてくれた?」と言っても話は通じると思います。

ところが、親しい人同士の会話に、もう1人加わったらどうなるでしょうか。3人目の人は、おそらく、初めての話題に付いていけないか、じっと聞きながら話を補うことでしょう。つまり、「あれ」「それ」「これ」は、2人の間では成り立ちますが、3人、またそれ以上になると成り立たない、と言うことです。

振り返って考えてください。「あれ」「それ」「これ」ばっかり言っている人は、何人もの人を相手にして話すときに「あれ」「それ」「これ」と言っているのではなく、親しい相手1人に向かって話しているときに、「あれ」「それ」「これ」と言っているのではないでしょうか。そんな人はなぜか、3人で話すと「あれ」「それ」「これ」言わないんですよね。私の3年間の研究の成果です。

実は三位一体の神も、父と子と聖霊で対話しています。父と子の二者ではありません。父と子と聖霊の三者です。3人と言っては間違いになりますが、三者ですから、「あれそれこれ」という対話は通じないはずです。父と子と聖霊の間では、2人の間だけで使うような「あれそれこれ」ではなく、いつも具体的な言葉で対話しているに違いありません。その証拠に、イエスは決して弟子たちに「あれそれこれ」と言いませんでした。人間に対して、神は2人きりの時のように「あれそれこれ」と言わなかったのです。父と子と聖霊の三者が人間に語りかける。それはいつも、3人以上に話しかける、具体的な言葉を使ってくださったのです。

ちなみに、「あれそれこれ」症候群の方々に中田神父が考えたリハビリの方法をお教えしましょう。あなたの会話に、あと1人加わえて、話をしてみてください。もう1人、違う人を加えて日頃から話す訓練をすれば、すっかり「あれそれこれ」の癖は無くなると思います。お試しください。費用は一切かかりません。

もう一つは、手紙を書いてみることです。文章を書こうとすれば、どうしても言いたいことをはっきり言葉に表す必要が出てきます。「昨日あれが届きました」とか「あれが畑で取れたので送ります」と言っても相手には決して通じません。文章を書くという習慣は、「あれそれこれ」症候群になるのを防ぐとても良い習慣です。これも、費用はわずかです。お試しください。

手紙を書く一連の流れ、ここにも三位一体の神を考えるヒントがあるように思います。3つの働きが同時に働きます。「何について書けばよいか」が分かっているとします。すると残るのは「どう書くか」という頭の働きと、「結果を出す(文章化する)」ための手の働き、あわせて3つです。

ほとんどの人が、「何について書けばよいのか」が分かっていればすぐに取り組むことができます。簡単な手紙ならすぐに書き上げることもあります。けれども気を遣う相手に手紙を書くときは、「何について書けばよいか」が分かっているのに頭は働かない、手も動かない、金縛り状態になってしまいます。こんな時は頭も手もバラバラで、まるで自分のものでないような気さえします。

もうお気づきかと思いますが、「三位一体の神」の姿は、あなたが手紙を書くときの、すべてがまったく一つであるようなすばらしい精神状態と健康状態の時のようなのです。「何について書けばよいか」「どう書くか」「結果を出す」ということにほとんど差は生じません。三位一体の神には、私たちがすらすらと手紙を書くときのような完全な一致が見られるのではないでしょうか。

父と子と聖霊の完全な一致は、人間を救う働きにおいて見事に活かされます。「この世界と人類について何をすればよいか(『父が持っておられるものは』)」「どのように実現するか(『すべてわたしのものである』)」「実際に結果を出す(『わたしのものを受けて、あなたがたに告げる』)」この3つに遅れは生じません。父と子と聖霊の完全な一致の状態にあって、世界と人類に愛を注ごうとお考えになったときにはすでに計画の青写真も明確に描かれていて、その上すぐに実行されている。そんなすばらしい状態が、三位一体の神の中に実現していて、歴史の初めから人類に注がれていたのです。

「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」(16・13)。三者の対話においては、「あれそれこれ」とは言わない。いつも具体的に、思いを言葉に表し、思いが救いのわざとして形になる。今年、三位一体の神についてこんな黙想をしてみました。
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‥次の説教は‥‥
キリストの聖体
(ルカ9:11b-17)
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