主日の福音07/04/29
復活節第4主日(ヨハネ10:27-30)
羊は、主の声を聞き分けることができる

今日の福音で、私が強く感じたことは、イエスの語る一つひとつの言葉が、どれをとっても曇りがないということです。力強い一つひとつの言葉は、わたしたちに安らぎと勇気を与えてくれます。

「わたしは彼らを知っており」と仰います。ヨハネ福音書で、「知る」ということは「愛する」ということに通じますが、イエスはご自分の羊である人々を知り、愛しておられます。

イエスが確信をもって話しているのは当然ですが、この呼びかけは、イエスに愛されている人にとっても慰めになります。「わたしのことを、イエスは知っておられる。イエスは、わたしを愛しておられる」。そこには、イエスは本当に私が置かれている場を知っておられるのだろうか?という不安や疑いを、完全に取り払ってくださる力強さがあるのです。

「彼らは決して滅びず」「だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない」。滅びるか滅びないかということで言えば、この世の中のものすべてが滅び去るものに属しています。

形あるものは壊れ、記録は塗り替えられ、歴史は繰り返す。永遠に続くものなど、ひとつもないわけですが、イエスに愛され、イエスを通して永遠のいのちをいただいた人たちは、決して滅びないのです。この世のものではない、永遠なもの、イエスだけが与えることのできる、神からの賜物をいただくので、その人は滅びないのです。

今の世の中は、ますます滅びないものにあこがれる時代と言えます。かつては揺らぐことのなかったものが揺らいでいるからです。家族の絆、目上の人に対する尊敬、命の大切さなど。どれも、努力しなくても守ってもらえるものだと思っていました。

ところが、今は家族の絆が揺らいでいます。年長者であるというだけで尊敬してもらえなくなりました。命をあまりにも簡単に考える青少年が増えてきました。そういう、滅びるはずがないと思われたものさえ、この世に属する限り、永遠ではないと思い知らされます。

けれども、イエスは、ご自分の持っておられる永遠の命を通して、滅びないものを与えてくださいます。イエスの与えてくださる永遠のいのちに土台をおいた家族の絆、イエスの命の上に立った人間関係、いのちへのまなざしは、いつの時代にも通用する力強さをもっているのです。

一方で、イエスは羊の態度も力強いと仰います。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」「彼らはわたしに従う」。滅びるものに属しているわたしたちに、どうしてそれほどの信頼を寄せてくださっているのでしょう?

どうも、この点については心配があります。「わたしたちは、イエスの声を聞き分けることができているだろうか?」「わたしたちは、そんなに忠実にイエスに従って生きているだろうか?」

私自身のことを考えると、確実にイエスの声を聞き分けているという自信もないし、忠実にイエスに従っていると言い切る力も持ち合わせていません。イエスはどうしてここまできっぱりと「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」と言い切れるのでしょうか。わたしたちの不足分を、どうやって補ってくださるというのでしょうか。

それは、先にイエスがわたしたちを知り、愛してくださったこと、これ以上ないというほどにご自分を与えつくし、永遠の命にあずからせてくださったことによります。

私たちは、胸に手を置いて考えたとき、イエスの声を聞き分けていると言い切れないし、忠実にイエスに従っているという自信もないのですが、その分は、深く愛してくださったイエスが不足を満たしてくださるのではないでしょうか。

「あなたをわたしは深く知り、深く愛しているよ。だから、あなたはわたしの声を聞き分けることができる。信じて、よく耳を傾けなさい」そう呼びかけておられると考えるべきではないでしょうか。

私は、イエスの声を聞き分けることができるだろうか?私は、イエスに従っていくことができるだろうか?イエスが、大丈夫、できるよと言ってくださっています。私たちには、自分で言ってのける力はないのですが、私たちの不足をイエスが補ってくださるなら、私たちにも力が与えられると思います。

イエスの自信に満ちた言葉、確信に満ちた言葉に信頼して、「あなたは、わたしの声を聞き分けることができるし、信じてついていくことができるよ」という招きを、今週一週間、喜んで受け入れることにいたしましょう。
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‥次の説教は‥‥
復活節第5主日
(ヨハネ13:31-33a,34-35)
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