主日の福音07/01/21
年間第3主日(ルカ1:1-4;4:14-21)
イエスの歩みに自分を合わせよう

今日朗読された福音は、ルカ福音書のいちばん最初の部分と、ちょっと離れている箇所をくっつけて読み上げられていました。実際は、「イエスは『霊』の力に満ちてガリラヤに帰られた」(4・14)で分かれております。

朗読の後半部分から話したいので、後半部分がどのように書かれているかを説明しておきたいと思います。ルカは私たち読者の目を、最初は少し広い場所から、だんだん狭めていって、中心部分に向かっていくように自然と案内しています。

いくつかの言葉を拾って説明しますと、最初にガリラヤという地方を紹介し、次にガリラヤの中でもお育ちになったナザレに私たちの目を向けさせます。ナザレに入ると、さらにナザレの会堂、会堂の中のイザヤ書(これは旧約聖書ということでしょうか)、そして、イザヤ書を受け取ったイエス様へと、だんだんと私たちの目を「ルカが案内したい中心」へと向けさせているのです。

ここまでをまとめておくと、ルカは、ガリラヤという広い土地から始まって、だんだん場所を狭め、最後には物語の中心であるイエス様に、私たちみなを注目させてようとしている、ということです。その、紛れもない証拠が、最後のほうに書かれている言葉です。「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」(4・20)。これは、私たちをも含めて、すべての人の目が、世界の中心、救いのみ業というたいへん大きな出来事の中心におられるイエス様に、今注がれているわけです。

もう少し、話を進めていきましょう。この、すべての物事の中心で、変化することなく、周囲にも流されないイエス様は、中心にいてすべての人に一つの言葉を語られました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(4・21)。貧しい人に福音を告げ知らせ、捕らわれている人に解放を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げる。この、誰もなしえなかった力強い救いの業が、イエス様が中心に立って会堂にいる皆に語りかけてくださることで実現したというのです。

ここで、私が強調したいのは、「あなたがたが耳にしたとき実現した」という言葉です。人間を救うという大きな働きは、神様がことを始めなければ、もちろん始まることすら不可能ですが、現実には、私たちが心を開いて、あるいは耳を澄まして「聞いたときに」実現すると言っているのです。まずはイエスが人間に語りかけ、行いで模範を示します。それを、人間が聞き、あるいは見て変えられていくときに、本当の意味で神様の救いの計画は大きく動き始めるのではないでしょうか。

一つのたとえを考えてみましょう。安定して回っているコマを思い描いてみてください。安定して回るコマの外側は、ものすごい勢いで回っています。ところが、コマの中心は全く動かず、回転もしていないように見えます。実際には回っているのでしょうが、精巧に作られたコマは、中心がきちっと決まっていて、回転しているときに動かないのです。中心が少しも動かないことで、コマは安定する。反対に中心が決まらないコマは、どれだけ勢いをつけても止まってしまいます。

私たちの生活は回っているコマのようです。あっという間に次の日曜日が回ってきます。一日一日があっという間に過ぎて、勢いよく回っています。一週間のうちには、実りある一日だったなあという日もありますが、今日一日は何だったのだろうと思う日もあるでしょう。良かったと思える一日と、あまり良くなかった一日との違いは、中心が決まっていなかったということにあるのではないでしょうか。忙しく回転していく毎日の中で、決して動かず、それでいて私たちの中心にふさわしいものがあるか、そうではないのかで、大いに違ってくるのではないでしょうか。

もうお分かりと思いますが、中心にイエスがおられることで生活は安定して回っていきます。私たちは中心からの声に耳を傾け、中心におられるイエスの言葉を生活の中で実現させることが大切なのです。けれども、「どのようにして中心からの声に耳を傾ければよいのでしょうか」と考えるでしょう。

どのようにして「中心からの声に耳を傾ける」のでしょう。それは、「できる限り中心に近づく」ということです。イエスに親しく触れることができる場所まで、私が近づくということです。一週間の中では日曜日がそうですし、一日の中では朝夕に、私の中心におられるイエスに近づくことで、声を聞くことができます。

ではイエスは、中心にいて私たちにどんな声を響かせているのでしょうか。今日の朗読では次のような言葉が響いています。「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(4・18-19)。このイエスの言葉は、私たちが耳にしたとき、聞いて、その呼びかけに応えようとしたときに実現します。

イエスは、今日私たちに招いてくださいます。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」。私たちが、少しずつでもイエスに変えられて、この世の不正や差別、偏見に流されないで、イエスという中心に導かれて動く決心をするなら、社会は動かせるのです。イエスの働きは、今も、私たちが耳で聞いて、私たちが変わろうと決心するとき、今このときにも実現していくのです。

生活の中心をイエスに求めましょう。善悪の基準をイエスに求めることで、私たちの社会にキリストの望みを行き渡らせることができるように、力を願い求めることにいたしましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第4主日
(ルカ4:21-30)
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