主日の福音07/01/01
神の母聖マリア(ルカ2:16-21)
信仰者はイエスによって輝く
皆さんおめでとうございます。教会は新たな年を、神の母マリアを祝って始めます。母としてのマリアの姿から、新たな一年を歩み始める知恵を学ぶことにしましょう。
まず聖書の中にマリアをさがしましょう。聖書は、どのようにマリアを登場させているのでしょうか。「おとめマリア」という姿でしょうか。「おとめマリア」として紹介するのは、イエス誕生にまつわる物語で一度取り上げているだけです。ではどんな姿で紹介するのでしょうか。「母マリア」の姿です。マリアは、おとめとしても十分すばらしい女性ですが、母マリアの姿の中に、彼女のすばらしさが最高に花開くのです。
女性が「母」であるからには、「誰かの母である」ということです。子供に対して生みの母であったり、育ての母として関わることで母となります。言うまでもありませんが、マリアはイエスの母です。実は、イエスとの関わりの中で、マリアのすばらしさは特に引き出されるのです。
例を挙げてみましょう。今日の朗読箇所では、羊飼いたちが飼い葉桶に寝ている乳飲み子をさがしあてて、広く人々に幼子のことを知らせに行きます。マリアはその時のことを心に納めて、思い巡らしていたとあります。マリアの思慮深さが、幼子イエスとの関わりの中で、まず発揮されたのでした。
また、婚礼の席で、水をぶどう酒に変える奇跡があったとき、マリアは「ぶどう酒がなくなりました」とだけ言って、あとはイエスがきっと何とかしてくれる、そう思ってイエスに対する絶対的な信頼の心を見せてくださいました。これもまた、イエスとの関わりの中で発揮された、マリアの徳でした。
さらに、イエスが十字架にはりつけにされる場面で、マリアはイエスと苦しみをともにします。イエスへの希望を失わなかった姿は、マリアの「内面の強さ」を感じさせます。マリアおひとりでは、とてもあのような強い信仰を保つことはできなかったでしょう。これもまた、イエスとの関わりの中で与えたれた恵みなのです。
こうしてみると、マリアが輝くのは、神であるイエスとの関わりにおいてであることが分かります。私たちが神の母聖マリアをお祝いするのは、イエスの母という姿の中にマリアのすばらしさが際立って現れるからなのです。
母マリアの姿は、ステンドグラスのすばらしさに例えることができるかも知れません。ステンドグラスは、どれだけ高価なものであっても夜にはその価値を十分知ることはできません。朝日が昇り、夕日が射し込む。その光を通してステンドグラスは輝きを増します。ステンドグラス本来の価値を引き出します。ステンドグラスを輝かせている光、それはイエス・キリストです。イエス・キリストという光に照らされるとき、マリアを始めすべての人はその輝きを人々の前に現すことができるのです。
今年初めの祝日に当たり、神の母聖マリアから模範をいただくことにいたしましょう。子供を教え導く父親母親は、子供を通して自分自身の徳が増し加えられます。ときとして私たちは、今の置かれている生活と違った生活ならきっと立派な信仰者になれると夢見ますが、今の生活の中にこそ、あなたを成長させ、徳に進ませるチャンスが与えられているということを学んでほしいと思います。
もう少し踏み込んで考えると、イエスは私の考えに賛成しているだろうか反対だろうかと考えることで私の判断は高められるし、イエスに全面的に信頼することで私はしっかりと立つことができる、すべての場面にイエスとの関わりをさがすことで信仰者としての私は輝くのではないでしょうか。
今年一年も、神の祝福に満ちた年となるように、神の母聖マリアに取り次ぎを願いましょう。マリアの模範を仰ぎましょう。私たちが自分を高めるのは、つねにイエス・キリストとの関わりをもって歩むときなのです。
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‥次の説教は‥‥
主の公現
(マタイ2:1-12)
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