主日の福音06/12/31
聖家族(ルカ2:41-52)
神との絆、家族の絆

今日は12月31日、日曜日で聖家族の祝日、明日は1月1日で神の母聖マリアの守るべき大祝日、まるで日曜日が2日続けてやって来るような感じです。今年のようなカレンダーの年は、説教をするわたしとしてはあまりやってきて欲しくありません。2日分の説教を続けて準備すると、ますます髪の毛はなくなってしまいます。

まず今年を振り返ってみて、どんな印象をお持ちでしょうか。個人的には、復活祭にもクリスマスにも洗礼式の恵みが与えられたので、本当に恵み多い年だったと思っています。皆さんお一人おひとりも、やはり神さまはいらっしゃるなと、神さまの働きや神さまの摂理を身近な出来事で体験できたとしたら、この一年は感謝できる一年と言えるのではないでしょうか。

今年は聖家族の祝日が日曜日と重なっています。マリアとイエスが語った言葉から、家族のあるべき姿と、自分自身が属している家族が歩んだ一年を振り返ってみましょう。マリアの次の言葉は、これまで考えたことのなかったひらめきを与えてくれました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」(2・48)。

マリアは夫ヨセフのことをお父さんと言いました。聖家族の中でもヨセフはお父さんと慕われていたのでしょう。つまりイエスも、ふだんヨセフのことを「お父さん」と呼んでいた可能性が高いということです。皆さんの家庭でも、父親のことを夫婦と子供で同じ呼び方をする家庭が多いと思うのです。一方は「パパ」と呼び、もう一方は「お父さん」と呼んで使い分けをしている、そんな家庭はあまりないと思います。

そうであれば、イエスの返事は慎重に考える必要があります。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」(2・49)。イエスは言葉遣いとして「自分の父」という呼び方をしました。「わたしのお父さん」とは言いませんでした。ということはこの言葉遣いは、ヨセフのことを言っているのではなく、父である神のことを言っているのだと考えるべきです。これは単に日本語に訳された聖書の言葉遣いの問題ではなくて、はっきり使い分けをしていると考えるべきだと思います。

ところが、「両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった」(2・50)となっています。ただし、母はのちになって当時のことを正確に理解したのでしょう。「母はこれらのことをすべて心に納めていた」(2・51)。長い時間をかけてではありましたが、マリアは当時のイエスの言葉が父である神とわが子イエスとの関係をはっきり言っていることを悟り、福音書を書き残すことになるルカに「今になって考えればあのときのことはこういう意味だったに違いない」と打ち明け話をしたかも知れません。

さらに考えると、もう一つのことが見えてきます。イエスは私たち家族の本来あるべき姿についても、少年時代に教えてくださいました。「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。神の子イエスが、父である神から決して離れない。私たち人間家族もまた、父である神から決して離れない生活が必要ですよと、少年イエスは教えているのではないでしょうか。

そうは言っても、私たちは誰もがこれまで考えた理想にたやすくたどり着くわけではありません。そこでもう一つ意味深い点に触れるなら、イエスと両親は、三日の後に神殿で再会したということです。仮に皆さんの家庭で子供が迷子になって三日間探し続けたとしたら、その時間はどれほど長く感じることでしょうか。気の遠くなるような時間かも知れません。三日間一睡もせずに捜すかも知れません。その長い時間が、イエスの語った言葉を十分に理解するためにおそらく必要です。

父なる神から離れない生活が大切だと、言われればなるほどそうだときっと思うでしょう。ですが、神を横に置いた生活、神を無視した生活を長く続けてしまうことがあります。表では熱心な信者の顔をしていても、カトリックでない方と交わるときには信仰の物差しに目を向けないこともあり得ます。今年一年を振り返っただけでも、頭では分かっていても、または実行できた場面で実行しなかったなどの反省はたくさん出てくると思うのです。

あるいは親子の絆についても、わが子の発する信号が読み取れずに、大事なときに救ってあげられなかったこともあるかも知れません。あの時わが子が伝えたかったのはこういうことではなかったのか、あとで気付くこともあります。イエスを三日後に見つけ出したマリアとヨセフ。不安の中に過ごした三日間を通してはっきりと、自分たちにとってイエスがどれだけ大切であるか、父なる神から離れないイエスが教えようとしている事柄がいかに重大であるか、身をもって経験したのだと思います。

この時期、子供たちが帰省したり、冬休みに入ったりして、親子で触れ合う時間も多いと思います。ぜひこうしたチャンスに、神と私たちの絆、また家族の絆を考えてみてはいかがでしょうか。互いに、信頼の絆を確かめ合うことができるよう、恵みを願っていくことにいたしましょう。
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‥次の説教は‥‥
神の母聖マリア
(ルカ2:16-21)
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