主日の福音06/12/24
待降節第4主日(ルカ3:39-45)
主がおっしゃったことは必ず実現します

今日の福音で、マリアの挨拶を受けたエリザベトに目を注いでみましょう。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言いました。「あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(1・44-45)。救い主を宿したマリアがそばにいる時に、聖霊はエリザベトに働きかけ、彼女はマリアを高らかにたたえたのでした。

私たちは、約四週間のあいだ、イエスの誕生を待ち望んで、内的にも外的にも準備をしてまいりました。日曜日ごとに、降誕が近づいていることを感じさせる朗読が読まれました。馬小屋の飾り付けも済みました。赦しの秘跡を受けた方もいらっしゃるでしょう。馬込教会の子供たちはクリスマスミサに向けてセレモニーの練習を積み上げてきました。

こうして着々と準備し、いよいよ「今日・明日」というところまでやって来ました。残る僅かな時間を、どのように待てばよいのでしょうか。エリザベトがそれを教えてくださいます。彼女は、わが子の誕生のその日を待ちながら、心を神に向けていたのです。エリザベットの次の言葉から、彼女が心を神に向けていることが伝わってきます。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(1・45)。

ひたすら、心を神に向けること。これが、あと半日に迫った降誕祭を迎える私たちの準備です。エリザベットにとってそれはわが子の誕生です。神の使いが夫のザカリアに「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」(1・13)と告げました。完全な信頼を寄せることはできなかったかも知れませんが、胎内の子が喜んでおどった、この時期までお腹の子が成長してくると、「主がおっしゃったことは必ず実現する」という言葉は確信に変わってきたことでしょう。

もはや、後戻りはない。神が与えてくださった喜びの日は、確実に近づいている。だから、エリザベットは心を神に向けて、神の言葉が現実になるその時を待つのです。彼女にとって、わが子である洗礼者ヨハネが生まれるその日は、自分たち夫婦の喜びの日として、いやそれ以上に、神に感謝を捧げる日として、はっきり目の前に思い描くことができたのではないでしょうか。私たちにも、もうすぐそこまで来ている喜びを思って神に心を向けなさいと、エリザベットは促しているのです。

神に心を向けたとき、人は何を思うのでしょうか。もっと言うと、神に心を向けたとき、人は何を思うべきなのでしょうか。この点についてもエリザベトは答えてくれます。それは、祝福と賛美、神への感謝ではなかったでしょうか。聖霊に満たされたエリザベトは、自分の心の中にあるものをすべて、あますところなく現したのです。

私たちも、これまでいろいろな方法で、イエスの誕生に向けて準備をしてまいりました。すべての備えが、きっと心のこもった、素晴らしい準備だと思います。今は、私たちの心を聖霊で満たしていただき、祝福と賛美、神への感謝の形で表現していただきたいのです。

エリザベトが聖霊に満たされて、心の中をすべてうち明けたように、私たちも聖霊で満たしていただき、神への思いが溢れ出るようにしていただくことにいたしましょう。聖霊よ、私の心をいっぱいに満たしてください。そうすれば、私は、あなたの助けによって、心の中にある賛美と感謝を神に打ち明けることができるでしょう。心の中の喜びを、じゅうぶん形に現すことができるように、どうか私の心を満たしてくださいと、イブのミサまでの時間、繰り返し願っていくことにいたしましょう。
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‥次の説教は‥‥
主の降誕(早朝)
(ルカ2:15-20)
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