主日の福音06/08/27
年間第21主日(ヨハネ6:60-69)
この夏、あなたをおいてだれのところへ行きましょうか
夏休みもいよいよ終わりに近づきました。神学生、特に中学時代などは、夏休みが終わろうかというこの時期になると天気予報を穴の開くほど見て、「フェリーが欠航にならんかなぁ」といつもつぶやいていました。ちょうど台風が長崎を通過する時期でもありましたので、強風波浪注意報とかが発表されると小躍りして喜んでいたものです。けれども結局はフェリーも欠航せず、競り市に引かれていく牛のような重い足取りで上五島の奈良尾ターミナルに向かったものです。
戻りたくないなあと思いながらフェリーの2等客室に行ってみると、すでに下五島の福江ターミナルから乗り込んでいた神学生たちの顔が見えます。ほかの神学生の顔を見るとますます神学校が近づいていると感じますから、ますます憂うつになります。
ところが福江からの学生たちの中に、船にめっぽう弱い先輩がいまして、福江から出発した船が上五島の奈良尾に着いた時点で真っ青な顔をして、こんな感じの死にそうな顔になっているんです。そんな先輩を見ていると、自分は上五島に生まれたから、福江の学生たちより船に乗る時間は少なくて済む。あの先輩が耐えているんだから、自分ももう少し頑張ってみるかなあ・・・と思ったのでした。
今日、イエスのこれまでの発言や行動にとうとう付いていけなくなり、離れていった弟子たちが紹介されています。これまで行動を共にしていた弟子たちでしたが、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(6・60)と酷評しています。この時点で12人の弟子たちが残ったわけですが、イエスは「あなたがたも離れて行きたいか」と問いかけました。
イエスが言われた「あなたがたも離れて行きたいか」という言葉は、この8月の終わりの時期に聞くと、神学生当時神学校に戻りたくなくて、フェリーが欠航すればいいのにと思っていた時期と重なるのです。まるでイエスが「あなたがたもついて来たくないのか」と言っていたようで、人ごとにはどうしても思えないのです。
「あなたがたも離れて行きたいか」というイエスの言葉には、「きみたちだけは残ってくれるよな」という期待が感じ取れます。弟子たちはどうだったか知りませんが、現実の神学生は案外冷たいもので、何か口実があればとっとと神学校をやめたいと、大半の学生が思っていたのではないでしょうか。
しがみついてでも留まりたい、校長先生がここを出て行きなさいと言ったとしても絶対にその場を動かない、そんな根性のある人は私を含め、いなかっただろうと思います。それなのに今こうして祭壇に立っていられるのは、例えば五島のフェリーに乗ってみたら青ざめた顔の先輩が必死で船酔いをがまんしているのを見て、どうしてここまでして神学校に行かなければならないのだろうかと、そういう悩みがなかったので続いたのだと思います。
どうしてここまでして神学校に残らねばならないのだろうかと、そこまでの悩みがなかったことは本当に幸いだったのかも知れません。もし、どうしてこんな所にいられようかと感じていたら、今日の離れ去った弟子たちのように、今この場にはいなかったのかも知れません。
もしも、五島に生まれていながらものすごく乗り物に弱かったら、続いてなかったかも知れません。もしも、先輩のしごきを苦痛と感じ、どうしてここまでして神学校に残らねばならないのだろうかと感じることがあれば、やはり続いてなかったことでしょう。よく神学校の掃除のときには先輩にしごかれました。板張りの教室で先輩がバケツに足を引っかけてバケツを倒し、「ちゃんと全部拭き取るんだぞ」と言い残して後輩の私たちだけで掃除をさせられたこともありました。
あるいは神学校の中で物がなくなって、みんながみんなを疑い始め、だれも信じられなくなったこともありました。あのときも、どうしてここまでして神学校に残らねばならないのだろうかとちらっとでも思っていたら、今の私はなかったと思います。
中学一年生で堅信式の代父になってくれた高校三年生の先輩をたいへん尊敬していましたが、私が大神学校に行ったときにはその先輩はやめてしまっていました。大神学校に面会人が来たので受付係だった私が応対すると何とその先輩が顔を出しに来ていたのです。
「おー、中田か。頑張れよ」と言われました。堅信の代父をした人が神学校をやめていて、しかも気安く神学校に顔を出すことが許せなくて、「あなたに声かけられる筋合いはありません」と突っぱねたことがありました。
同じ面会係をしていた時期に、大神学校の神父様が神学校の芝生の中でゴルフをしていて、ゴルフが終わってその神父様は学生用の玄関のチャイムを鳴らしました。「外からドアが開かなかったの。教授の玄関を開けてちょうだい」と言われました。学生の授業中に、自分はゴルフをして、ドアを開けてくれとは何事かとこの時ばかりは思いました。何度も何度も「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(6・60)というようなことが繰り返されましたが、離れ去ろうという気持ちにまではなりませんでした。
何が自分を思いとどまらせたのでしょうか。きちんと説明はできないかも知れません。ただ、最後まで残った12人を代表して答えたペトロの言葉の中に、何か同じ思いがあるかも知れません。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」(6・60)。
あんな死ぬ思いまでして神学校に帰りたくないとか、あんな先輩のいる神学校にはいられないとか、人間不信になるようなあんな環境は神学校じゃないとか、しまいにはあんな教授の態度につまづいたとか、「ひどい話だ」と思わせるような実例はいろいろありました。けれども大切なことは、そんな苦労をいくら並べたところで、ミサをささげる司祭になるのに、ほかに留まる場所がないのだから、今のこの神学校をおいてどこへ行きましょうかとそういう思いだったのだと思います。
先輩らしくない先輩、これでも司祭かという司祭、これが神学校かというような学校の雰囲気、どれだけキリストを写す鏡が曇っていても、鏡が曇っていることでキリストが曇ることはありませんでした。
この夏、普段よりも身近に子どもたちに接する機会がありました。私を通して子どもたちに、キリストをいくらかでも伝えられただろうかと思い巡らしています。子どもたちにとって、教会がより身近なものとなり、司祭がキリストの魅力を伝えるよりよい奉仕者として感じられた夏であったならと、願わずにはいられません。
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‥次の説教は‥‥
年間第22主日
(マルコ7:1-8,14-15,21-23)
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