主日の福音06/04/15
復活徹夜祭(マルコ16:1-7)
光を信じ、光に向かって歩もう

主のご復活、おめでとうございます。今日、一人の方が洗礼と堅信の秘跡をお受けになり、私たちの教会に新しい家族が加わります。たいへん明るい話題です。明るい話題と言いましたが、明るさはどこから来るのでしょうか。それは、光のおかげです。この教会に一筋の光が差したような明るい話題です。そこで、今年の復活徹夜祭の説教として、喜びの源である光について話したいと思います。

今日のミサは、復活を喜ぶ特別な儀式を伴って始まりました。公の礼拝のための儀式を典礼と言いますが、今日のミサの典礼の始まりに、電気を消した中でキリストの復活のシンボルである光をともす儀式を行いました。本来、今日ここにお集まりのすべての人にとって、喜びの源はイエス・キリストの復活です。そのキリストの復活が、暗闇を照らす光として私たちに示されたのです。

私たちはどれほど光の恩恵を受けていることでしょう。私たちがふだん目にしているものは、光のおかげで景色として見えています。青い空、青い海、山の深い緑、目を楽しませるたくさんの花、これらはすべて、光のおかげで私たちの目に景色として映っているのです。光がなければ、私たちはいっさいの色を目で見ることはできないのです。

この、暮らしの中で誰もが経験していることが、信仰の中でも当てはまるのだと、今日のミサの始まりで行った光の祭儀は教えてくれます。私たちの暮らしに光が欠かせないように、光であるキリストは私たちが神を知り、信じるために欠かせないのです。私たちは光を通して毎日の生活を楽しんでいますが、神を信じる信仰にも、キリストという光がなくてはならないのです。

また、今日の光の典礼に、私たちはローソクを使いました。キリストの復活とローソクに必然的なつながりはありませんが、ローソクの自然な光とキリストの復活とは十分関わりがあると思います。自然な光の特徴は何でしょうか。それは、明るさを届けるだけではなく、暖かさも届けるということです。

自然な光が家の中に届くと、家の中は明るくなります。それだけではなく、柔らかい暖かな日差しは、家の中を暖かくします。家の中だけではありません。家に住むすべての人をも、暖かく包んでくれるのです。

今日の復活の祝いにローソクの光をともしました。ローソクの光も自然な光です。明るさを届けるだけではなく、暖かさも届けてくれます。そのように、復活したキリストは、神を信じて真剣に生きようとする私たちを明るく照らすだけではなく、私たちの心を温め、やさしく包む光として心の中に届くのです。復活したキリストは、まさにローソクの自然な光と同じく、私たちの心を照らすとともに、これからも温かく見守り、優しく包んでくださる方なのです。

ぜひ、今日のミサの一つひとつを、しっかり心に刻んでいただきたいと思います。自然な光に暗闇が照らされた。信仰の目でものを見るなら、キリストという光がなければこの世界は暗闇なのです。キリストこそが、信じる私たちの唯一の光です。

また、説教の後に続く洗礼式・堅信式の中で、洗礼を受ける方はもちろんですが、ここにお集まりのすべての方も、悪を退け、キリストへの信仰を新たにいたします。最後に、キリストを信じて生きていきますという固い約束を交わした後、聖体拝領をしてキリストの体を受けます。みなが同じ一つのパンを受けることで、私たちは信仰の仲間、神の家族となります。家族はお互いに助け合い、協力し合うものです。こうしてミサの一つひとつから、私たちはキリスト信者としての基本的な生き方を日曜日ごとに学んで帰るのです。

今年の復活祭、光であるキリストを心に留めてミサを続けていきましょう。私の心に光がなければ、私のすべては何も見えない暗闇です。光を受けたなら、光を失わないように、光であるキリストに向かって歩いていく信仰を保ち続けて歩きましょう。

これから、洗礼式と堅信式に移ります。
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‥次の説教は‥‥
復活の主日(日中)
(ヨハネ20:1-9)
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