主日の福音06/04/13
聖木曜日(ヨハネ13:1-15)
聖体の制定は司祭職の制定でもあります

今年の聖木曜日は、司祭職の制定について話したいと思います。聖体の秘跡を定められた最後の晩さんの出来事は、同時に司祭職を制定された日でもあります。司祭職と言いましたが、司祭職の中には三つの務めが含まれています。それは、「祭司職」「王職」「預言職」の三つです。

「祭司職」は礼拝を執り行う職務、「王職」は民を治め、平和に導く職務、「預言職」は神の民を教え導き、神の言葉を告げ知らせる職務です。信徒にも実は礼拝を司り(祭司職)、治め保ち(王職)、神の言葉を告げる職務(預言職)がありますが、司祭にはそれがさらにはっきりと与えられているのです。

司祭に委ねられている三つの職務を考える前に、まず「司祭」と「祭司」という言葉について使い方をはっきりさせましょう。「司祭」とは、信徒のみなさんと区別するときの言葉遣いです。「主任司祭」と言いますが、「主任祭司」とは言いません。信者から選ばれて、叙階の秘跡を受けて聖職者となった方々を「司祭」と呼びます。まずはこの点を確認して、三つの職務について考えてみましょう。

はじめに「祭司職」についてです。祭司は礼拝を司る人、礼拝を取り仕切る人のことです。祭司の務めは旧約聖書の時代は「レビ人」という一部族が担っていました。私たちの時代、祭司の務め「祭司職」は、ある礼拝の中では司祭でなく信徒が務めを果たすことがあります。例えば、十字架の道行きは、信徒の人でも礼拝を司ることができます。この場合、祭司職を果たしているのは信徒の人です。

もちろん司祭に委ねられた祭司職と信徒に委ねられた祭司職には違いがあります。礼拝を司ると言っても、信徒がミサを司ることはできません。今日の典礼は、聖体の秘跡に感謝すると同時に聖体の秘跡を取り扱う司祭の祭司職にも感謝する日なのです。

次に、司祭には民を治め、平和に導く「王職」が委ねられています。教会全体が神の導きに従って平和な社会を保つために、司祭は教会の民を治め保つ務めがあるのです。教会の中に争いがあり、平和が失われていれば、主任司祭は王職を全うしていないことになります。

最後に、司祭は神の言葉を告げ知らせる預言職を忠実に果たします。ミサの中での説教は預言職の分かりやすい例です。福音書を読み、ミサの中で説教するのは信徒ではなく司祭です。司祭は日曜日ごとの説教を通して、よく教え導かなければなりません。自慢話ばかりしていたり、分かりやすく教えることを怠ったり、信徒のやる気を萎えさせたりする司祭は、預言職を果たしていないのです。

祭司職・王職・預言職を適切に果たしているか、今日の聖木曜日を迎えるたびによく自分自身を振り返りたいと思います。司祭が果たす礼拝の務め(祭司職)を見て、信徒は生活の中に自分なりの礼拝の務め(祭司職)を果たすのですから、司祭がどのような姿を見せるかは大変重要な問題です。

同じように、教会の中に平和を保ち、神の望みに従って歩む姿を先頭に立って示さなければ、信徒も家庭の中で王の導きに家庭を委ねる(王職)ことができませんし、神の言葉を忠実に告げ知らせる司祭を見て、信徒も神の言葉をより多くの人に届けることになります。

一つひとつが、司祭の祭司職・王職・預言職にかかっているとも言えることを肝に銘じて、委ねられた使命を忠実に果たしていけるよう、このミサの中で照らしと導きを願いたいと思います。ここにお集まりのみなさんも、すべての司祭が忠実に職務を全うすることができるように、あわせてお祈りください。
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‥次の説教は‥‥
聖金曜日
(ヨハネ18:1〜19:42)
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