純心中学校3年生黙想会06/03/10
コミュニケーション

【1】
●3月12日で40歳になります。ちょっとショックです。でも自分のことをワインと思うことにしました。一年一年積み重ねて、40年物の値打ちになったワインです。そう思えば、自分の年齢を誇らしく思えます。そして、自分のことをワインにたとえてみたとき、自分以外の方々にもそれは当てはまるに違いないと思うようになりました。
●年を重ねたワインの価値を認めない人はどこにもいません。私は社会の中でたくさんの年配の方に出会います。お一人おひとりのすばらしさを考えるきっかけを、40歳の誕生日を迎えるに当たっていただいた思いがしました。
●ちなみに、「楽天」というインターネットショッピングで40年物のワインを探してみたら、いちばんお手頃なものでも1万円の値段が付いていました。中田神父は500円のワインを飲んで悪酔いした経験があります。おそらく質の悪いワインだったのでしょう。頭がガンガンしました。それと比べると、40年物のワインはいちばんお手頃なものであっても飲んでみたいと思います。もちろん皆さんは中学3年生で、ワインを飲むことはできませんけどね。
●話を元に戻しましょう。中田神父は、今年の黙想会のテーマを「コミュニケーション」としてみました。コミュニケーションは「わたしの思いを伝え、相手の思いを理解する」ということです。多くの場合コミュニケーションは会話で行われますが、ある場合は身振り手振りのジェスチャーだったり、目と目で見つめ合うことだったり、手を握ったりする身体的な表現であったりします。
●このコミュニケーションを黙想会で学ぶために、三つのことを考えてみたいと思います。まず、私たちがいろんな場面でうまくコミュニケーションが取れているかを考えてみましょう(「わたし」とのコミュニケーション、身近な人「家庭」「クラス」「先生」とのコミュニケーションなど)。
●次に、コミュニケーションの最高のお手本であるイエスキリストについて紹介します。なぜ、イエス様がコミュニケーションの最高のお手本なのかについても説明します。最後に、イエス様に導かれ、照らされながら、私たちはもう少し上を目指していこう、卒業して高校生になるのだから、より広く、より深いコミュニケーションを目指そうということを考えてみましょう。先ずは中田神父についての話から入っていきたいと思います。
●カトリック教会の司祭(神父様とも言いますが)への道のりは、たとえば中田神父の場合は中学生の時から準備が始まりました。神学校という「養成所」(ある目的のために育てる場所)に入学して、準備が始まりました。まずは長崎の神学校で中学高校の6年間育てられます。普通の学校教育は南山中学校と高校に通いました。
●長崎の神学校を卒業すると、今度は福岡の神学校に移ります。ここでは司祭に必要な専門教育と、研修を行います。福岡の神学校では当時8年間かけて養成していましたので、中学高校の6年間と福岡での8年間、合計14年間の養成期間を経て司祭になっていきます。長い時間かかるんですよ。ちなみに福岡では大学の卒業資格を取るために、慶応大学の通信教育課程を受けて慶応大学を卒業しています。
●司祭になる道のりは今の皆さんにはたいして興味はわかないと思います。むしろ、皆さんと同じ時期、中学3年生の時の体験のほうが、身近で興味を持ってくれると思いますので、一つの体験を紹介したいと思います。コミュニケーションが難しいということの一つの例です。この経験を、仮に「ワカメスープ・コミュニケーション」と名付けておきます。
●先にちょっと話したとおり、長崎の神学校では中学1年生から高校3年生までの期間を一緒に暮らして育てられていくわけです。中学生から高校生までの共同生活、勉強もスポーツも、寝たり起きたりすることも、食事もみな一緒でした。その中の食事の時に起こった事件です。
●中田神父が長崎の神学校にいたとき、だいたい70人くらいの生徒が共同生活をしていました。食事の席は、縦割りになっていて、中学生から高校生までが均等に6人掛けしてテーブルに着いていました。一つのテーブルに中学1年生もいれば、高校3年生もいるわけです。
●私は当時中学3年生でした。私がいたテーブルの中学1年生は、残念ながら好き嫌いがありました。ワカメなどの海草類は特に苦手でした。ある日ワカメのスープが出て、全員食事が始まっても、その1年生の子はワカメスープを食べようとしません。高校3年生の先輩がそれを見つけてこう言いました。「おい、ちゃんと食べろ。お前が食べるまで今日の食事は終わらないからな」
●夕食時の出来事でした。実は夕食が終わると、みんなが楽しみにしていた自由時間が待っていました。ミニバスケットをしたり、卓球をしたり、ミニサッカーをしたりして楽しむわけですが、先輩が食事の終わりを告げないと食事は終われないというのがルールだったんです。もしも中1の子がいつまでもワカメスープを食べなかったら、6時から始まった夕食が7時になっても7時半になっても終われないわけです。
●ほかの学生全員、高校3年生の先輩に何も言えませんでした。ワカメスープを残すことは良くないことだし、先輩に文句を言う理由が見つかりません。だからといって、「先輩、今日は勘弁してください」と声を出して言う勇気もありませんでした。それは私も同じことでした。
●けれども私は、勇気を振り絞って行動することにしました。先輩に口で言い返すことは恐ろしくてできないけれども、自分はもう少しお腹に余裕があるから、ワカメスープを全部平らげてしまったら、きっと先輩は気付いてくれて、1年生の子を勘弁してくれる、許してくれるに違いないと思ったわけです。
●みんな動けなくなっていた中で、私は黙々とワカメスープを飲み始めました。食欲旺盛な男子の学生が6人座るテーブルに用意されたワカメスープです。お代わりのことも考えて用意されているわけですから、たくさん入っていました。5杯、7杯、10杯と、苦しくなってもガマンして食べました。
●13杯くらい注いだときでしょうか。最上級生の先輩がやっと口を開いたんです。その先輩はこう言いました。「なかだ〜。お前よっぽどワカメスープが好きやなぁ?」先輩に口で言い返すことができなかったので、行動で、コミュニケーションを取ろうとしたのですが、中学3年生だった私の「ワカメスープ・コミュニケーション」は、まったく通じなかったのです。
●当時私は中学3年生でした。高校3年生の先輩とは、いつもずっと一緒だったわけではなかったとしても、長崎の神学校で3年間、一緒に暮らしていた先輩のはずです。3年間一緒にいる人とであっても、コミュニケーションは難しいのです。ある人と心のこもったコミュニケーションをすることは、本当に大変なことなのです。
●もう一つ、親子のコミュニケーションについて私の体験を紹介したいと思います。高校3年生の時の体験です。高校3年生と言うことは、18歳くらいです。親子の時間が18年積み重なっているから、コミュニケーションは何も問題がないかというとそうでもありません。子供からすると、両親が自分のことを分かってくれないと思っているし、両親からすると、どうして親の気持ちを分かってくれないのだろうかとお互いに感じたりします。親子であっても、真剣に努力してコミュニケーションを保つことが必要だと思います。先ずは、高校3年生の時の体験を話してみたいと思います。
●わたしは高校3年生の時に、生まれて初めて、本気で神学校を辞めようと思ったことがあります。高校3年生といえば、大学受験や就職試験やらで、だれもが目標目指して必死になっている時です。南山高校でも、神学生以外の一般の学生も同じでした。そんな中で神学生は、どちらかというとのほほんとしていて、「大神学校(福岡の神学校のこと)ぐらい、たぶん受かるだろう」くらいの考えで毎日過ごしていました。
●2学期が始まると、一般の生徒は教室に置いてある受験情報誌や、就職情報誌を手にとって、大学を受験する人、就職する人それぞれが「ここに入れたらいいなあ」とか、「おれの頭じゃ、ここぐらいしか入れないかなあ」と言いながら、にぎやかにページをめくっていたようです。
●学校では一般の生徒と一緒に模擬試験を受けることがありましたが、実際には大学入試を受けるわけではないので、いつも志望校の欄を書くときに「どうせ行かないんだけどなあ」と思いながら志望校を書いていました。私たち神学生が模擬試験を受ける姿勢と比べたら、一般の生徒は真剣そのものです。すごいなぁと感じていました。
●国語や英語が得意でしたが、神学校では好きな勉強ではなくて、それ以外の勉強、神父様になるための勉強をたくさんさせられます。その中で考えたのです。「今の自分は、本当は無駄な時間を過ごしているのではないだろうか。」こうした雰囲気にさらに追い打ちをかけるように、12人いた同級生のうち7人が、夏休みのうちに神学校を辞めてしまっていて、帰ってみたら5人しか残っていませんでした。
●自分は、こんなところにいていいのだろうか。本気で神父様になるつもりがあるのだろうか。そんなことを考えているうちに、いっそのことを神学校を辞めてしまいたいと考えるようになり、神学校を任されている校長神父様に言いに行こうと決めました。
●校長神父様のところに行くと、自分がいかにも悩みごとを持ってきたという顔をしていたのでしょう。「何か、相談のあっとね」と、こっちが話す前から質問を返されました。
●「神父様、僕が神学校やめると言ったら、どうしますか」「どうするも何も、どうして辞めるとかと聞くやろうね」そこで私は、今まで心に積もっていた考えを全部ぶつけて、校長神父様に訴えました。「自分はこれまで一生懸命やってきましたが、もう続けるつもりはありません。辞めたいと思います。」
●「どうしてもと言うのなら、いちおう家に帰って、相談してみなさい」「相談しても変わりません。99パーセント帰って来るつもりはありませんから。」「99パーセントね。そんなら、残りの1パーセントに賭けるたい。」
●「残りの1パーセントに賭ける。」ちょっとかっこいい言葉ですよね。校長室を出るとき、自分でうろたえているのがわかりました。神父様の言葉が頭の隅にひっかかっていたのです。考えてみれば、ベテランの神父様ですから、自分たち高校生を説得する殺し文句の一つや二つは持っているわけです。私はそれも考えずに正面から突っ込んでいって、まんまと校長神父様の殺し文句にひっかかったわけです。
●わたしは、両親と話し合いをするために、五島に帰りました。もちろんその時は、「絶対親を説得してやる!」と意気込んで家に帰りました。そうしたら父親はカンカンに怒っていまして、今にも茶碗を投げ付けるんじゃないか、殴られるんじゃないかという剣幕でした。「殴られるかなぁ」という覚悟はあったのですが、父はそれを必死にこらえていたのでしょう。
●当時、郷里の五島・鯛ノ浦教会には神父様が二人、主任神父様と助任神父様がおられて、助任神父様が間に立って、私と両親――といってもここではほとんど父でしたが――で話し合いが持たれました。話し合いなんて行儀のいいものじゃなかったですね、あれはもう喧嘩でした。

「何と言おうが、俺は辞める」「辞めるな」
「辞めると言ったらやめる」「絶対許さん」

●いつ終わるかわからない水掛け論が、二日間続いたと思います。やっぱりこの頑固おやじは、言ってもダメか。そう思いました。それで、神学校にいるときから、最後の切り札として準備していた台詞を使うことにしました。最後になったらこれを言おう。これを言ったら、さすがの親でも納得してくれるだろう、そう思っていた言葉です。
●「おやじ、俺はな、親の言いなりになるロボットじゃないぞ。俺はこれから自分の好きなことをする。親の言いなりには絶対ならないからな。」これで自分が勝った、絶対やめさせてくれる。そう思いました。
●そう言ったとき、全く予想できなかったことが起こりました。父が泣き始めたんです。人前で絶対弱いところを見せたことのないあの父が、男泣きに泣いているんです。これにはびっくりしました。
●初めて父のそうした姿を見ていて、さすがの私も考えました。「あー、自分がしていることは、よっぽど悪いことに違いない。もうこれ以上父を悲しませてはいけない。」それで、絶対やめてやると思っていたのに、神学校に戻る羽目になりました。
●長崎の神学校では、「中田先輩は辞める」という話で持ちきりでしたから、戻ってきた私が荷物をなかなかまとめないものですから、不思議に思っていたようです。野次馬のような後輩たちから「先輩、辞めるんじゃなかったんですか?」と、しばらくはからかい半分に言われて、自分も恥ずかしかったし、かえって辞めていたほうがスッキリしたのにと、父を逆恨みしたりもしました。
●数日して、ようやく気持ちの整理がついたころに、母から一通の手紙が届きました。なんだろうと思っていたら、励ましの手紙でした。もうその手紙はなくしてしまいましたが、大まか次のような内容だったと思います。
●「わたしは、あなたが神学校に戻ってくれたことを、何よりもうれしく思っています。というのは、わたしはあなたが神学校に行きたいと言うようになるずっと以前から、あなたを神様のために使いたい、神様のお役に立てたらと、心の中ですでに献げていたからです。
●あなたに今まで知らせていなかったことですが、あなたは生まれた時に、息をしていませんでした。泣き声ひとつあげず、仮死状態で生まれてきたのです。時々、そういうことはあるのだそうですが、何せ初めての子供だったので、わたしはとても心配して、もうだめなんだろうかと考えたものです。
●神様、どうか生かしてください。この子を生きさせてください。もしこの子が生き返るなら、喜んで神様にお献げします。わたしはそう言って、あなたが生き返るのを祈り続けました。幸いあなたは、産婆さんの介抱が実って、息を吹き返し、初めて泣き声をあげたのです。
●その時から、わたしはあなたが神様の喜ぶような生き方をしてほしいといつも願っていました。そして神学校に行くようになり、また今度のことを乗り越えて一歩前進し、ひと回り成長してくれました。本当にうれしく思っています。
●どうか、この道を最後まで歩き続けてください。自分でこのすばらしい生き方を終わらせるようなことだけはしないでください。母より」。母は自分の心が落ち着くのを待って、あんな手紙を書いたのかなぁと、今では考えています。
●この体験を通して、皆さんには親子のコミュニケーションということを考えてもらいたかったのですが、皆さんはどんなふうに感じたでしょうか。親子であっても、たとえ18年という時間を経ていても、両親の気持ちを分かっていないということはあるし、両親も、子供が考えていることを初めて知るということもあると思います。
●また、親子のコミュニケーションは、その時うまく通じ合うことができなくても、長い時間をかけて分かり合えるということもあります。親子の絆はいつまでも続くからです。もしかしたら、私たちが親になったときに初めて、両親の気持ちが分かり、本当の意味でのコミュニケーションが取れるようになる例もあるだろうと思います。
●さて、これからは中学3年生の皆さん自身のことを考えてみましょう。皆さんは、毎日の生活の中で、うまくコミュニケーションが取れているでしょうか。それとも、コミュニケーションがうまく取れていないなあと感じているでしょうか。そして、もしもうまくコミュニケーションが取れていないと感じるなら、それはどの部分においてでしょうか。
●コミュニケーションがうまく取れている人に、まず呼びかけたいと思います。コミュニケーションがうまく取れているということは、大変すばらしいことです。私が、私自身とうまくコミュニケーションが取れているなら、ちょっとしたことで頭に来たり大声を出したりしなくて済みます。実は中田神父は自分自身とうまくコミュニケーションが取れていなくて、ときどき自分で自分に腹が立つことがあります。
●身近な人ともコミュニケーションがうまく取れているとしたら、それは本当に幸せなことです。喜ぶべきことです。誰かに、自分は毎日の生活でうまくコミュニケーションが取れていることを話したくなるくらい幸せだと思います。ちなみに、コミュニケーションがうまく取れている喜びをあなたは誰に話しますか?誰に感謝しますか?自分の幸せな状態を、誰に打ち明けますか?
●もし、打ち明ける相手がはっきり決まっていたら何も言うことはありませんが、よく考えてみたら、毎日うまくコミュニケーションが取れている幸せを話す相手がいないとしたら、あなたはもしかしたら一つの点で、コミュニケーションがうまく取れていないのかも知れません。
●コミュニケーションがうまく取れていない人にも呼びかけたいと思います。あなたは、軽いストレスを感じているかも知れません。また、ときどき言いたいことが伝わらなくて、イライラしているかも知れません。話を聞いてほしいと思っているし、私のことを分かってほしいと思っているのに、分かってもらえない、分かってくれる人が見つからない。それは、ちょっぴり悲しいことですよね。
●今日嬉しいことがあったのに、体はすごーく疲れていて海の底に沈んでいるみたいになっていて、今日楽しかったねって自分に話しかけてもちっとも楽しくなれない。それは、自分自身とのコミュニケーションがうまくいっていないのかも知れません。ぐっすり休みたいときに、心配事がいっぱい頭の中を駆けめぐって、眠れなかった。もっと、自分自身とうまく会話できていれば、眠れないということもなかったかも知れません。
●習い事を続けているけれどもなかなか上達しない。そんなときに両親が「もう習い事やめたら」と言われた。上達したいと思っていた気持ちがいっぺんにしぼんでしまって、続けさせてと本当は言いたかったのに、作り笑いをして「うん。もう行かない」と答えてしまった。親と子で、考えていることがずれていて、子供の私たちは心の中で傷ついている。こんなことも、コミュニケーションがうまくいっていないために起こった悲しい出来事だと思います。
●同じようなことがクラスの中で起こった。親に言われたことを先生にも言われた。私の心の叫びが、誰にも届かない、誰も分かってくれない。私は一生懸命自分を分かってもらおうとして、言葉でも態度でもコミュニケーションを取ろうとしているのに(ときどき、あなたの気持ちがうまく伝わっていないこともあると思いますが)、気持ちを伝えても返ってこなかった、反対に悲しくなるようなことを言われてしまった。こんな、コミュニケーションの渋滞や一方通行は、あちこちでいっぱい起こっているに違いありません。
●コミュニケーションがうまく取れていない時、人は2つの方向に向かうと思います。1つは、自分を理解してくれないことがあまりに多くて、あきらめてしまうということです。分かって欲しいけど、友達も両親も、学校の先生も分かってくれない。自分に話しかけても答えが返ってこない。これではどんなにねばり強い人でも、あきらめてしまいそうになります。
●もう1つは、すぐれた模範や手本を見倣って、難しいけれども前に進もうとすることです。ただ失敗を気にせず努力し続けるということではありません。本当に力になってくれる、確かなお手本を参考にしながら、新たなコミュニケーションを作り上げていきます。もしも信頼できるお手本を見つけることができなかったら、始めは強い気持ちでコミュニケーションを取り戻そうとしますが、努力は報われずにあきらめてしまうことでしょう。
●2つの方向と言いましたが、選んでほしい道は1つです。難しいけれども前に進もうとする、コミュニケーションの窓を開くということです。もちろん、1人でそうしなさいということではありません。確かなお手本を参考にします。ところで、確かなお手本、確かにお手本になる人はこの世界にいるのでしょうか。
●私は、カトリック教会の司祭ですから、迷わずイエス・キリストをコミュニケーションの最高のお手本として示したいと思います。始めにも言いましたが、コミュニケーションは「わたしの思いを伝え、相手の思いを理解する」ということです。イエス様は、ご自分の思いを確実に相手に伝えることができ、また相手の悩み苦しみを知り、コミュニケーションを断ち切られている悲しみ、絶望をよく理解してくださる方でした。
●イエス様の一生涯については、新約聖書の「福音書」という書物の中に収められていますが、その中からイエス様がコミュニケーションの能力を発揮して、絶望の淵に立たされている人の心に触れ、その人を悲しみのどん底から救い出してくださる様子を紹介したいと思います。
●ここで1回目の話を終わりたいと思います。2回目の話では、実際の聖書の箇所を読むところから始めたいと思います。
【2】
●2回目の話に入りましょう。1つは、「やもめの息子を生き返らせる」という奇跡物語です。まずは朗読します。

【やもめの息子を生き返らせる(ルカ7:11-17)】
それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。
●朗読の中で、コミュニケーションがうまく取れなくなった母親の姿が描かれています。次の言葉で母親の様子が分かります。(1)「その母親がやもめであること」(2)「母親の一人息子が死んだこと」。これから説明しますが、これは絶望的な出来事だったのです。
●この母親は「やもめ」でした。「やもめ」それは夫を亡くし、生活の支えを失っている女性です。イエス様の時代には、女性が働くことは考えられませんでした。だから、社会の中でも弱い立場におかれ、彼女たちを食い物にする悪い人たちもうようよしていたわけです。
●この母親が一人息子を失いました。彼女にとって、一人息子は大切な宝物でした。どれくらい大切だったか。言葉で表すと、「たった一つの希望」そして同時に「すべての希望」でした。その、一人息子を失ったのですから、お母さんは、「すべてを失い、一切の希望を断たれた」わけです。
●彼女は絶望的な気持ちになっていたことでしょう。誰の話も、誰の慰めも受け入れたくなくなっていたことでしょう。これは、コミュニケーションが断ち切られている姿です。心を固く閉ざし、もう誰にも心を打ち明けない、孤独の中に投げ落とされてしまった姿です。誰も、この女性とコミュニケーションを取ることはできないと思われました。
●その様子をじっと見ていたイエス様が「もう泣かなくともよい」と仰います。正直に話しますが、中田神父が同じようにご主人に先立たれ、一人息子を亡くしたお母さんに出会ったら、「もう泣かないでいいですよ」とは言えません。泣かなくてもいいように責任持つことができるなら、「泣かないで」と言いますが、私には無理です。絶対無理。
●ところが、イエス様は「もう泣かなくともよい」と仰いました。誰も彼女の心の中に入っていけなかったのに、イエス様だけはコミュニケーションを取り戻すチャンネルを持っていました。どれだけ泣いても消えないほどの悲しみに突き落とされた女性に、「もう泣かなくともよい」と声をかけます。もし、今の悲しみを消してくださるほどの喜びを与えることができなければ、イエス様は無責任なことを言っていることにならないでしょうか。
●イエス様は責任を持ってくださいました。あのお母さんの悲しみを消す方法は一つだけ、一人息子を生き返らせることしかありません。イエス様は、その通り一人息子を生き返らせ、母親に返してくださいました。一人息子を返すこと、それはお母さんにとって自分の息子が戻ったということだけではなくて、すべての希望を返していただいたのと同じだったのではないでしょうか。
●こうしてイエス様は、絶望の淵に立たされてコミュニケーションの窓を閉ざしていた母親と対話し、心を開き、彼女の喜びと希望を取り戻すことに成功しました。どんな人間も彼女とコミュニケーションを取り戻すことができなかったのに、イエス様は彼女との交わりを回復することに成功したのです。イエス様が、ほかの誰にもない特別なコミュニケーション能力を持っておられたことがよく分かります。
●次に、「耳が聞こえず舌の回らない人をいやす」という奇跡物語を読んでみます。この物語からは、なぜイエス様がコミュニケーションの最高のお手本なのかについて学んでみたいと思います。

【耳が聞こえず舌の回らない人をいやす(マルコ7:31-37)】
それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」
●物語から3つのことを取り出してみましょう。1つは、登場人物がどれほどコミュニケーションをするのに不自由だったかということです。この男性は耳が聞こえませんでしたし、発音していたのは意味を聞き取ることが非常に難しい、うめき声だけでした。何をして欲しいのかも分からないので、人々は彼をイエスのもとに連れてきました。この登場人物も、周囲の人々も、まったく望みがないと絶望していたのです。
●2つめに移りましょう。イエス様は、ご自分がこの人を大切にし、関心を持っていること、また彼の面倒を見ようと望んでおられ、そして確かにそのことができると、親しみを込めて伝えるために、彼を群衆から連れ出します。
●イエス様はこの人を野次馬のような群衆の目から遠ざけたかったのです。彼も、群衆に取り囲まれているよりは、イエス様と個人的な親しさを感じられる離れた場所に連れて行ってもらうほうが安心だったでしょう。
●安心できる雰囲気を作ってあげてから、イエス様は指を彼の耳に入れ、唾をつけて彼の舌に触りました。彼は絶望の中にいましたから、イエス様が深く愛してくださっていることを知らせるためには、言葉のコミュニケーションだけではなくて、その人に触れて、もっと暖かみのある方法で心を開こうと考えたのでしょう。
●イエス様がこの人を深く愛しておられることが伝わったところで、言葉でのコミュニケーションが始まります。「エッファタ」(「開け」)という言葉は、心を完全に閉ざしていた彼に、私がコミュニケーションの力を取り戻してあげたから、さあ、あなたが生まれたときからの願いだったコミュニケーションすることを、今始めなさい。その扉を、今開きなさい、という命令です。
●3つめのポイントは、イエスがコミュニケーションのチャンネルを開いてあげると、その人の失われていたコミュニケーションの力を取り戻すだけでは終わりません。周囲の人々にも広がって、奇跡を見た人々の驚きと喜びが町中に広がっていきます。
●「イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。『この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。』」
●3つのポイントをおさらいすると、イエス様がコミュニケーションを回復させる最高のお手本であることが分かってきます。まず、絶望的な人が最後に連れてこられた場所はイエス様のもとでした。誰もその人とコミュニケーションすることができなかったのに、イエス様だけはコミュニケーションできるに違いないと、すでに人々は感じていたのです。
●次に、イエス様は失われたコミュニケーションを取り戻すためにいちばん良い方法と最適な場所を知っていました。野次馬のような群衆から離れた場所に彼を招いて、私は、群衆のようにではなく、あなたに心の底からのお世話をしたいのです。イエス様はご自分がが伝えたいことを確実に伝えましたし、心を固く閉ざしている相手の思いもきちんと理解してくださったのです。
●最後に、奇跡が行われ、登場人物の一生のお願いは叶えられました。彼にコミュニケーションの力が戻っただけではなくて、奇跡に驚いた群衆にもコミュニケーションのチャンネルが開かれます。いちばんすぐれたコミュニケーション能力を持っている人は、コミュニケーションする力を失っている人にその力を取り戻してあげて、その上にさらに周りの人も変えてしまう力を持っているのです。その力を最高に持っておられるのは、イエス・キリストのほかにいません。
●コミュニケーションの基本は、「わたしの思いを伝え、相手の思いもちゃんと聞いて理解する」ということです。イエス様はこの基本を最高の状態で実行できる方でした。ところが、ある人々は、自分の思いを伝えることには熱心ですが、相手の思いをちゃんと聞いてあげることを忘れているのではないか、というような人がいます。
●たとえば、今こうして中田神父は3年生の皆さんにお話ししているわけですが、話していることを頭の中で考える時間は絶対に必要です。ですから、私が話したいことを一方的に話して考える時間をまったく与えなかったら、私はコミュニケーション能力のない神父様ということになります。
●実は、私は最近そのような話し方をする場面に出くわしたのです。その人は一生懸命コミュニケーションという言葉を使っていました。でも彼は、自分の言おうとすることを機関銃のようにまくし立て、聞いているのはほとんどお年寄りであるにもかかわらず、ものすごい早口で一気にたたみかけるような話し方をしていました。
●正直な話、私はこう思ったのです。あー、この人と聞いている人々との間にはコミュニケーションは成り立っていないなあ。一方的に話す人が話しているだけで、話の中にコミュニケーションという言葉をやたらと使っていたけれども、本当のコミュニケーションはどこにもなかったなあ。その方のお話を聞いていて、正直な感想としてそう思いました。
●もちろん、だからといって中田神父がコミュニケーションの力が優れているよと言うつもりはありません。今でも、私が話していることを3年生のみんなは聞いてくれているか、心配しています。私は、3年生の心の動きをちゃんとつかんでいるだろうか。今も心配です。
●でも心配していても前には進みません。ここでちょっと、気分を変えて、3分間で中田神父と3年生の皆さんとコミュニケーションが取れるかどうか、実験をしてみたいと思います。実験する道具はこれです。スタートと言ってから、コミュニケーションが成立するかどうかを判断する時間は制限時間3分です。果たして、コミュニケーションは可能でしょうか?
●いちおう、コミュニケーションは成功したと受け取りたいと思います。何の反応もなくて、しーんとしていたら、海の底へ沈んでいく気分になったかも知れませんが、少し、希望があるようです。ぜひ残りの時間も良い雰囲気でコミュニケーションを保ちながら、話を進めたいと思います(もう一回やってみますか?)
●ここからの時間は、イエス様に導かれ、照らされながら、私たちはもう少し上を目指していこう、卒業して高校生になるのだから、より広く、より深いコミュニケーションを目指そうということを考えてみましょう。
●皆さんは高校に行ってこんなことがしたいあんなことも挑戦してみたい、いろんな夢と希望を持っていると思います。高校に行ったときにすごく役に立つ能力は何でしょうか?私は、コミュニケーション能力だと思います。「わたしの思っていることを伝え、相手の思いもちゃんと聞いて理解する」この能力のことです。
●コミュニケーション能力があれば、たくさんの人と友達になれます。先輩に何か困っていることを相談することもできます。今まで学校が認めていなかったことをもう一度考えてもらうことだってできるでしょう。人に心から納得して動いてもらったり、クラス全体を目標に向かって力強く進めていったり、どんなことにもコミュニケーション能力が大切な役割を果たすのです。
●ですから、ぜひこの黙想会の時間を使って、私の中のありとあらゆるコミュニケーションのチャンネルを活動状態にしていこうと努力してください。コミュニケーションのチャンネルとは、黙想の始めに確認した「わたしとのコミュニケーション」「身近な人とのコミュニケーション」そして今初めて取り上げる「初めて出会う人とのコミュニケーション」などのことです。
●こうしたチャンネルのどこかがうまくコミュニケーションの取れていない状態になっていると、必ず全体に影響を与えます。私自身とのコミュニケーションがうまく取れていないと、外でどれだけうまくコミュニケーションが取れていても、最後には一人の時間になるわけですから、そこで衝突が起こり、いらだち、何かにストレスをぶつけ、心も体も傷だらけになることでしょう。
●もし、どれかのチャンネルに問題を感じたら、どうやったらうまく働くのか、自分で考えたり、親しい友達に相談したりするとよいと思います。その中でも、あなたがイエス・キリストを信じているか、信じていなくても信頼できると思うなら、こんな時キリストはどのようにチャンネルを開いていっただろうか、福音書を丹念に読みながら探してみたらよいと思います。
●皆さんが、イエス・キリストに信頼を置いてコミュニケーションの能力を磨いていくために、2つのことを話しておきたいと思います。1つは、イエス様はご自身とのコミュニケーションをどのようにして良い状態に保つことができたのか、ということです。
●ときどき私たちは、イライラしたり、キレたりするかも知れません。イエス様は自分にイライラしたりはしませんでした。なぜでしょう?それは、祈ることを知っていたからです。イエス様はしばしば、誰もいないところに行って静かに祈っていたのです。
●もしあなたが、一人になって、静かに祈る時間を持つようにしたら、きっとあなたは自分とのコミュニケーションをとても良い状態で保つことができるでしょう。祈る人は、それだけ自分の中に神さまをとどまらせることになるので、落ち着いて自分自身とコミュニケーションできるのです。これはお勧めします。
●周囲とのコミュニケーションに、イエスは何を導いてくれるでしょうか。たとえば、大きな過ちを犯した人は、どのように自分の心を周りの人に開けばよいのでしょうか?私たちは、12歳の少年少女が、大きな事件を起こした例を知っています。大きな過ちを犯してしまった人に、周囲の人はいつまでも冷たい態度を取るかも知れません。なかなか心を開くことができないかも知れません。そんなとき、イエス様は何か照らしを与えてくれるでしょうか。
●イエス様はこんな場合でも、私たちにコミュニケーションの力を注いでくださいます。イエス様はこの世の最後の時に、十字架にはりつけになって命を捧げました。一緒に十字架にかかった人、重大な犯罪を犯したその人の心を開いて、コミュニケーションのきっかけを取り戻してくださいました。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」そう言って、はりつけにされている人にもコミュニケーションの最後のチャンスを与えてくださったのです。
●そんなイエス様ですから、私がもしも、警察に補導されるようなことをして、一度暗闇に迷い込んだとしても、イエスはすぐにあなたの心を開いて、希望を失わずに周りの人とのコミュニケーションを育てるように励ましてくださいます。
●あきらめずに、投げやりにならずに、イエスに信頼してコミュニケーションのチャンネルを開くようにしてください。イエス様は決してあなたを見捨てることはありません。カトリック信者であるかどうかに関係なく、最後までそばにいて、コミュニケーションのチャンスを与えてくださる方です。信頼しましょう。
●最後に、発表の時間を有意義なものにするために、班別作業の進め方を示しておきたいと思います。あくまでも参考にしてください。言われたことを言われたとおりにするのではなくて、こういうことを期待しているのかな?と考えながら、班別作業を進めてもらいたいと思います。
●そこでいちおう期待していることを言います。班ごとにスケッチブックがあります。文字でもイラストでも表現の仕方は選んで構いませんが、中学生になってコミュニケーションのどこかの部分はきっと伸びたと思います。その伸びた部分を紹介してください。
●たとえば、先生とのコミュニケーションは中学生になってぐーんと伸びたとか、親子のコミュニケーションは中学生になって深まったとか、そういうことを表現してもらいたいなあと思います。
●次に、コミュニケーションのどこかの部分は、いまだにつぼみのまま、開花していないのではないかと思います。もしかしたら問題を抱えたままなのかも知れません。その、まだ開いていない部分をまずは教えてください。
●そして、班のメンバーで協力して、高校生になったら、中学生の時に開花させることのできなかったコミュニケーションのこの部分を、こんな工夫をして開花させたい、伸ばしたいと全身で表現してほしいと思います。
●もちろん班別作業をしながら、班の全員が同じ面で伸びているとか、同じ部分で伸びてないとか、共通のものは出てこないと思います。いちおう、みんなで出し合ってみて、特に取り上げてみたい部分を紹介してもらえればそれでOKです。
●伸びてない部分について、みんなでどうすれば高校生になってから伸ばすことができるだろうか、一生懸命考えたことが、きっと高校に行ったときに役に立つと思います。作業の時間は苦労するかも知れないけれど、きっとあとで役に立つと思いますから、真剣に取り組んでくださいね。
●私は、15歳の皆さんに、これからすぐ高校1年生になる皆さんに、メッセージを伝えたくてやってきました。それは、「コミュニケーションする能力と自信をつかんで新しい世界に羽ばたいてほしい」ということです。
●中田神父も、メッセージを聞いてくれたみんなの思いを、発表会の時間で真剣に聞きます。そして発表の時間を、3年生同士、3年生と先生、また皆さんと中田神父とのコミュニケーションの場所にしましょう。発表の時間を楽しみにしています。
●これで、中田神父の話を終わります。