主日の福音06/01/29
年間第4主日(マルコ1:21-28)
人に何かをさせるには権威が必要です
これは過去の経験なのですが、堅信組を受け持っていたときの保護者会の席での話です。ある人がその年の堅信組のお世話係になったのですが、お世話係になった人に信徒会長の方がこんなふうに声をかけました。
「堅信組のお世話係になって、大変だ、困ったどうしようと心配しないでください。お世話係は堅信組の保護者の中から選ばれて、これをお願いします、あれをお願いしますと他の保護者たちに仕事を割り振りするのが務めです。何もかも引き受ける係という意味ではありません」。
なるほどそう考えれば、係を引き受けるのは人を使うためであって、本来はその人が一人で責任をかぶるために引き受けるわけではないということが分かってきます。実際堅信組の保護者の中から選ばれたお世話係は、堅信式当日まで務めを果たし、必要な人を見つけてお願いをして、一つひとつ仕事を割り振っていきました。
ここで大切になってくることは二つです。一つは、お世話係には何かしらの権威が与えられていて、この権威を参加している皆が認める必要があるということです。もしもお世話係に与えられている権威を皆が認めるのでなければ、お世話係が仕事を依頼して割り振りしても、お願いされた人から断られてやる気が失せてしまいます。
もう一つの必要なことは、「わたしたちはあなたがお世話係になったので、大変でしょうから全面的に協力します」という気持ちを持つということです。これら二つの面、代表としてお世話する人の権威を認めてあげることと、代表のもとに集まる人たちが協力するということ。この二つがうまくかみ合って、活動は成り立っていくわけです。
そこで福音朗読ですが、今週の朗読は「権威」について明らかにしてくれます。イエスは安息日に会堂に入って教えます。会堂で教えを説く職業的な教師はこれまでもたくさんいたわけですが、イエスのやり方には「権威」がありました。汚れた霊さえも言うことを聴いたのです。イエスははっきり示してくださいました。教え、導くためには、皆が言うことを聴くだけの権威が必要なのです。それまでの律法学者たちには皆が言うことを聴くだけの権威が備わっていませんでしたが、イエスにはそれが備わっていたのです。
ところで権威は、その人が努力して身につけるようなものでしょうか。私は違うと思います。権威は、その人が何かの務めのために選ばれたとき、同時に与えてもらうもの、付与されるものだと思います。ですから、私は選ばれても権威がないからダメだとか、私は失敗ばかりするから権威がないとか、そういう心配はいらないと思います。権威は上から与えられるものなのです。
イエスは、父なる神から権威を与えられていました。人に対してだけでなく、汚れた霊に対しても、霊が言うことを聴くだけの権威が与えられていたのです。それと似たようなことが、教会活動の中にも言えると思います。教会のさまざまな活動を進めていくために長に選ばれた人には一定の権威が与えられるのです。小教区の中でその権威を与えるのは主任司祭です。主任司祭がそれぞれの活動の長に、権威を与えるのです。
権威と言っても、それは威張って回るための権威ではありません。そうではなくて、仕事を割り振りするために、お願いすることができるという権威です。そしてこの権威が成り立つためには、「長に選ばれた人から頼まれたら、嫌と言わない。協力する」という態度が必要です。この両方の態度がかみ合って、教会活動は進んでいくのです。
そこで私たちの小教区を考えてみると、残念ながら各部署の責任者がバッチリ決まっているわけではありません。はっきり言えば、典礼委員会すらも決まっていないというのが実情ではないでしょうか。
そこで、いよいよどうしても、小教区の活動に目で見てはっきり分かる委員会を立ち上げて、動いてもらう必要が出てきました。後ろに模造紙を貼りましたが、これはこれから一つずつ、委員会を立ち上げますという決意の表れです。そしてその委員会で長に選ばれた人は、責任を何もかも一人でかぶってしまう人ではなくて、人を選んでお願いすることができるようになります。そして、お願いされた人は協力をします。
念を押しておきますが、委員会がうまく回っていくため、また委員長に選ばれた人が務めをこなすためには、同時に皆が協力することが必要なのです。仕事の割り振りをするために委員長には権威が与えられ、お願いされた人は協力する。これからしっかりこの姿勢を守って、一つずつ委員会を立ち上げていきたいと思います。
まず真っ先に立ち上げなければいけないのは、典礼委員会です。この典礼委員会に与えられる権威は、全部ではありませんが、具体的な例を挙げると第一朗読・第二朗読をお願いしたり、パンとぶどう酒を後ろから運んでくる人を選んだりすることができます。お願いするためには権威が必要です。どうして自分がしなければいけないのか、と言われて断られたら、しょんぼりしてしまうからです。権威が成り立つためには、お願いされた人が協力すること。皆が協力してくれることが何より大切です。
委員会が立ち上がっても、何をすればよいのか分からないというのでは困りますので、各委員会ごとに勉強会も必要になってきます。これから立ち上げるすべての委員会を主任司祭が全部教育するとは限りませんが、各委員会ごとに勉強会の時間を持ちたいと思います。
さて、どうしても必要な委員会を立ち上げたら、委員会全体をまとめ上げる頭脳が必要になってきます。この頭脳が、「小教区評議会」です。主任司祭は、全体をまとめ上げるこの小教区評議会まで立ち上げて、ようやく両手両足が揃うことになります。ぜひここまでこぎ着けたいと思います。ちなみに、頭脳となる小教区評議会は、頭の固くなった方々よりも、柔らかい頭脳の方々が適しているかなあと思っています。
これから、困難な道が続くことになりますが、一つずつ、乗り越えていきましょう。去年まで見える形を持ってなかった委員会、小教区評議会を立ち上げて、何となく歩んでいた小教区から、目に見える形を付けて、前進していきましょう。
各委員会には、権威が必要です。そしてそれ以上に、権威を成り立たせるためには皆の協力が必要です。目で見てよく分かる歩みを、馬込小教区が続けていけるように、教え導くイエスの照らしを願うことにいたしましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第5主日
(マルコ1:29-39)
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