主日の福音05/12/18
待降節第4主日(ルカ1:26-38)
神にできないことは何一つない

私たち人間は、経験で物事を判断します。経験したことのないものについては、言葉で説明されてもなかなか理解できません。たとえば、イエスが大勢の群衆を前にして「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」と仰った山上の説教について、実体験のない私はなかなかその感動をつかむことができなかったのですが、2000年にイスラエル巡礼の体験をさせてもらったおかげで、あーこの場所で幸いについての説教が響き渡ったのだなと実感できました。

大勢の群衆が集まったであろうその小高い丘、なだらかな斜面、また丘の上に立てられた教会。これらはやはり現地を訪ねてみて初めて理解できるというものです。日本にいて、例えば5000人くらいの人が集まる場所で説教するという体験があれば話は別ですが、なかなか当時の山上の説教を思い描くことはできないわけです。

主の降誕を一週間後に控えている今週、マリアに救い主誕生の予告が告げられました。天使が告げる言葉のほとんどが、マリアにとっては未体験の出来事でしたので、理解できずに戸惑ったのも無理はありません。そのマリアが、天使とのやりとりの最後には受け入れて喜びを表現するようになります。経験していない出来事を受け入れ、喜びのうちに待つマリアの姿から、私たちも残り一週間となった今週を豊かに過ごすヒントを得たいと思います。

繰り返しますが、人間は経験していないことをあーそうですかと納得できる存在ではありません。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」そう言われてもマリアは簡単には受け入れられなかったに違いありません。自分が恵みに満たされていること、主がそばにいてくださることを天使に伝えられて、なるほどその通りだとさすがのマリアでもすぐには考えることはできなかったのだと思います。

さらに驚きは続きます。この後の天使の言葉は思い浮かべることすら難しいのでした。「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

特に来週のクリスマスとの兼ね合いで取り上げるとすれば、「彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」と天使は告げるのですが、実際には当時のユダヤの国はローマに支配されていて、ヘロデという恐ろしい王が権力をふるっていたのでした。その現実の中で、マリアはどうして天使の告げる言葉を全面的に受け入れることができるようになったのでしょうか。

私は、天使が語った最後の言葉にすべてを受け入れる鍵があると思います。それは、「神にできないことは何一つない」という言葉です。微妙な意味合いをくみ取って欲しいのですが、「神にできないことはない」ということすらも未体験の出来事ではあったのですが、この一点に限っては、体験していなくても完全に同意できたので、天使がマリアに告げた数々のメッセージをすべて受け入れ、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言えたのではないでしょうか。

つまりこういうことです。人間は体験していないことはそう易々と受け入れることはできないのですが、「神にできないことは何一つない」というこの一点だけは、神を信じているのであれば受け入れることができる、ということなのです。体験したことのないことでそれでも受け入れることができるものが人間に一つあるとすれば、それは「神にできないことは何一つない」ということ、これだけなのです。

それでも問題は解決していないように思えます。「彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」さきに述べたように、ユダヤの国は支配を受け続けて当時の姿になっていたわけですから、マリアは「神にできないことは何一つない」と確信できたとしてもどのようにして王としての支配がすべての民に及ぶのか理解できなかっただろうと思います。それは、生まれてくるイエス様を通してしか理解できない出来事だったのです。

ただ、私たちは聖書を通して出来事を見通すことができます。新たに生まれる王の支配は力で押さえつけるものではありません。新しい王の支配は、神が望むことをすべての人に行き渡らせることです。すべての人が神の望みのもとに置かれることが、新しい形の支配なのです。その理想は力によっては実現しません。柔和と謙遜な態度でしかなしえないことなのです。そのために救い主は幼子の姿で、豪華な宮殿にではなく貧しい家畜小屋でお生まれになり、最後は十字架の死によってすべてを完成されたのです。

ここで私たちも、マリアの態度に目を向ける必要があります。マリアは、体験のないことであっても、「神にできないことは何一つない」という天使の言葉は完全に受け入れました。受け入れるためには、神にすべてを委ね、心を開く必要があります。「神にできないことは何一つない」と思ったとしても、もし少しでも疑いが生じるなら、「それなのにわたしの悩みを取り除くことはできないのではないか」とか「わたしは神から見放されているのではないか」と考えてしまうのです。マリアがお手本を示したように、神にすべてを委ね、心を開く必要があります。

また、マリアが信じた「終わりなき神の支配」は、マリアが宿すことになる救い主キリストを通して実現します。私たちもまた、来週お迎えする救い主、幼子イエスを心から待ち望んで、「終わりなき神の支配」がイエスを通して始まるのだということをこの一週間思い巡らしたいものです。力による支配ではなく、柔和と謙遜な態度で成し遂げる神の支配に、私たちも協力したいという気持ちをこの一週間育てていくことにいたしましょう。
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‥次の説教は‥‥
主の降誕(夜半)
(ルカ2:1-14)
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