主日の福音05/10/16
年間第29主日(マタイ22:15-21)
あなた自身神のもので神にお返しすべきものです

今週の説教案は、3年前のリメイク版です。朗読された福音で、どんな小さなことでも、慎重に読み返すと良いものが見つかるのだなあと思いました。それは、イエスの言葉「税金に納めるお金を見せなさい」(19節参照)です。

つい読み流してしまいそうになりますが、これはつまり、イエスがそのお金を持ってなかったということが読み取れます。この貨幣には、ユダヤ人たちが納税したくないであるローマ皇帝の肖像が描かれていました。そして、当時いちばん流通していたお金だとすると、その硬貨さえ持っておられなかったイエスはまったくこの世のものにとらわれない生き方をしておられたということです。イエスはデナリオン銀貨を手に握らないことで、かえって自由な心を手にしておられたのです。

反対に、ファリサイ派の人々とヘロデ王派の人々は、デナリオン銀貨を手に持っていました。彼らはイエスにデナリオン銀貨を示したからです。この人たちは、心ではローマ皇帝に税を納めることを嫌っていたのに、そのお金を手に持つ、そのお金にすがって生きることには納得していたのです。

そこで、イエスは彼らに厳しく問いかけます。「これはだれの肖像と銘か」(20節参照)。あなたがたはローマ皇帝の肖像の入った貨幣を生活の中で平気で使っているではないか。この世の王に従うことを習い覚えているのなら、目に見えない王である神には、もっと忠実に従うように心を配るべきではないのかと、言いたいのです。

イエスは、ある時、ペトロに釣りに行ってもらって、税金を納めたことがありました(マタイ17章27節)。ですから、ローマ皇帝の肖像と名の入った硬貨で税金を納めることになっても、あまり抵抗がなかったのだと思います。もっと大事なこと、心に刻まれている肖像と銘に、細心の注意を払うようにと促したかったのです。

イエスは地上の王との関わりだけで問題を終わらせず、「神のものは神に返しなさい」と仰いました。この世の王は、いわゆる権力者ですから、貨幣に自分の像を描くことぐらいはできるでしょう。それを皆に配って、また自分に納めろと命ずることすらできるかも知れません。けれども、この世の支配者は私たちの心の奥底に名前を刻んで、命を与え、命を呼び戻すことはできないのです。それはただおひとり、神だけができることです。

私たちは、この世の権力者にではなく、神に名前を刻まれ、神に命を与えていただいた者です。どんなに突っ張って、「わたしは自分の力でこの世を生きている」と言ったとしても、だれも自分の命を延ばすことはできません。神が決められたときに、神に呼び戻されるに過ぎない者なのです。

そうであれば、私たちは何よりもまず自分そのものが神に命を与えてもらった者であることを思い起こし、神に与えていただいた命(すなわちそれは神のものである命ですが)を神に返す生き方に、いちばん気を配らなければいけないのだと思います。それは、ものの考え方を「わたしのものはわたしのもの」という考えから、「わたしのものは、すべて神から与えられたもの」という考えに移していくことと言っても良いでしょう。

「わたしのものはわたしのもの」こう言っているあいだは、きっと与えられた時間を神のため、また人のために使いたがらないと思います。神に声を上げる祈りも、神の声を聞く聖書朗読も、神に教えていただく教会学校も、惜しいと思って、時間を割かなくなることでしょう。

ところが、「わたしのものは神に与えていただいたもの」と感じるようになったとき、ミサに行くその時間も、祈りをするちょっとした時間も、聖書を開いて神の声に耳をすまそうとすることも、意味があると思えるようになるわけです。ちょっとした心の持ちようですが、それだけでがらっと変わるのです。

私一人に限ったことではありません。同じように、目の前にいるこの人も、わたしが知っているあの人も、「わたしのものは神から与えられたもの」という思いに目を向けてくれるように、私たちから案内をすることができるのではないでしょうか?

明らかに、自分の体をこわすようなことをする人がいます。生活に不相応な浪費をする人がいます。目や耳といった五感から、心を傷つけるようなものをたくさん入れる人もいます。こんな人を目の前にして、「あなたの心と体は、実は神に与えていただいたものであって、神に返すはずのものですよ」と、私たちが言葉や態度で伝えるなら、これだけでも大きな働きかけになるのです。

「神のものは神に返しなさい」。まず私たちが自分のすべてを神から与えられたものとしてお返しすることに気づく必要があります。そうして、周りの人にもそれを知らせていく。これが私たちに今週求められていることです。そのための力を、引き続きミサの中で願ってまいりましょう。
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‥次の説教は‥‥
年間第30主日
(マタイ22:34-40)
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