主日の福音04/12/24
主の降誕・夜半(ルカ2:1-14)
救い主は、女性に・羊飼いに喜びを届けます

主の御降誕おめでとうございます。今日説教のあとに洗礼式と堅信式が予定されていますが、救い主の誕生から、新しく生まれ出るということに少し結びつけながら話していきたいと思います。

過ぎた日曜日にも話しましたが、救い主誕生の物語はマタイ福音書と今日朗読されているルカ福音書の二人の著者が残してくれています。この二十四日夜のミサでは、常にルカ福音書が読まれているのですが、その理由は、マタイ福音書の誕生の記録が、わずかしか残されていないからです。「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(マタイ2・1)。

その点、ルカは誕生の経緯をもうすこし書き残してくれました。「布にくるんで」寝かせたこと、寝かせたのは「飼い葉桶」つまり動物のえさ箱であったこと、彼らが動物の小屋でお産をすることになったのは、宿屋に彼らの泊まる場所がなかったことなどです。

これらはルカ福音書が書き記していることで、マタイ福音書にはその辺の事情は書かれていません。マタイ福音書だけしかこの世に残らなかったとしたら、私たちは馬小屋を準備するとっかかりを何も持てなかったことになります。言い方を変えれば、マタイ福音書には細かなことは書かれていないのだから、クリスマスの飾り付けはいろんな可能性があってもよい、ということになるかも知れません。

もう一つ福音書による違いを押さえておくとすれば、誕生した救い主を拝みに来た人です。今日朗読されているルカ福音書では羊飼いの訪問が紹介されていますが、ルカ福音書に記されているのは羊飼いの訪問のみです。他方マタイ福音書では占星術の学者たち(いわゆる三人の博士)の来訪が記されていますが、マタイには学者達の訪問が記されているだけです。

つまり私たちは、羊飼いの訪問をルカ福音書から知り、占星術(星占い)の学者たちの訪問はマタイ福音書から学んでいるということになります。当然、物語を書いた二人の著者には、それぞれの思いや伝えたいことがあってのことです。

さて私たちは、毎年ルカ福音書が伝える救い主誕生の物語から学ぶわけですが、今年のメッセージとして、「弱い立場にある人を守るために、救い主はおいでになりました」とまとめてみたいと思います。

今日中田神父が伝えたいメッセージのもとになっているのは、マリアが残した賛美の歌です。マリアは、次のような言葉で始まる賛歌で主をたたえたとされています。「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ1・47)。この賛歌の中で、マリアは二箇所、「弱い立場にある人に神が目を留めてくださる」ことを述べています。その一つは、「身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです」(1・48)というものです

マリアは、ご自分が救い主の母となる素晴らしい出来事を、私にとっての素晴らしいことと受け取るのではなくて、神様にとってのすばらしさとしてたたえたのではないでしょうか。その当時、女性は男性に比べて弱い立場にありました。たとえば夫を失った女性はやもめとして、多くの場合収入の当てを失ってしまう時代だったわけです。

こうした、「弱い立場にある女性に、神が目を留めてくださったこと」。これが素晴らしいことなのですと、マリアは主をたたえたのではないでしょうか。そしてこのマリアを訪ねたのが、同じく社会の底辺に置かれていた羊飼いだったのです。ヘロデ王や側近の高官たちではなく、名もない羊番、あなたたちのそばに救い主は来てくれたと告げ知らせたのです。

主の天使は羊飼いに告げます。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(2・11)。生まれたばかりの幼子は、布にくるまって、飼い葉桶の中に寝ているというのです。あなたがたのために生まれた救い主は、あなたがたがふだん目にするもの、身近なものを身にまとっています。それは、羊とともに寝起きするあなたがたの目線まで、神は来てくださったのですというしるしだったのではないでしょうか。

羊飼いたちは、救い主を確かめ、賛美しながら帰ります。それも、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰ったのです。これは、布にくるまれていたから話のとおりだったという意味でしょうか。飼い葉桶の中に寝かされていたから、天使の話した通りだったと安心したということでしょうか。

私は、そうではないと思います。天使の話したとおりだったという言葉の裏には、救い主が、自分たち羊飼いと同じ立場まで来てくださった、布きれや飼い葉桶を毎日のように目にしている自分たちと同じ場所に立ってくださったのだという意味が込められているのだと思います。だから、神をあがめるのです。

神が人間の世界においでくださった、それだけでは羊飼いたちは心を躍らせることもないかも知れません。その上さらに、神は私が日々向き合っている現実を身に受けてくださった。泥まみれになったり、汗まみれになったり、そういう私たちと同じものになってくださったので、神をあがめ、賛美する気持ちになったのではないでしょうか。これがもし、王宮で生まれ、高価な着物にくるまれていたら、羊飼いにとって同じ人間とは思えなかったのではないでしょうか。

私たちのことを考えてみましょう。今日の降誕の喜びで、神は私たちのそばに来てくださった。それも、立場の弱い人のそばまで来て、あなたから離れないよ、見守り続けるよと仰ってくださるのですが、私たちはここから何を持ち帰ることができるでしょうか。

それは何よりも、おいでくださった救い主の態度を見習うことだと思います。弱い立場に置かれている人と同じ気持ちに立つことです。簡単なことではないと思いますが、行ってそのようにしなさいと、神は幼子イエスを通して私たちに語りかけていると思います。

弱い立場に置かれている人が嬉しいと感じることを、私たちが何か一つしてあげることができたらと考えます。ルカが知らせる救い主誕生の出来事は、当時立場の弱かった女性にとって喜びとなりました。社会の底辺に置かれていた羊飼いにとって喜びとなりました。私も、その姿を倣って、暮らしの中で出会う方々の喜びとなることを一つでも二つでもお世話しましょう。幼子は私たちにそう望んでいると思います。
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‥次の説教は‥‥
主の降誕(日中)
(ヨハネ1:1-18)
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